普羅の徒を迎へ花咲く父祖の山 山元 誠2020年10月11日

山元 誠句集『春星』から。これも以前に「辛夷」連載コラムの「好句考」の鑑賞文を転載する。

 平成二十二年四月十七日十八日の『辛夷』一千号記念大会は有意義な大会であり、特別な二日間であった。掲句は二日目の立山山麓での吟行で得られた。好天のもとで数十名が山野に散ってコブシや桜の花を、雪解け水がほとばしる谷を、それぞれが詠んだ。中でも出色の一句と思う。
 作者は立山山麓の産である。記念大会に馳せ参じた十七日には「春光や山河溢るるバスの窓」と詠んでふるさとの山河への挨拶をかわした。そして春風に乗ってきたかのごとく続々と会場に集結した『辛夷』の会員たちを作者は特別な思いで眺めた。
 それが「普羅の徒」という表現に結びついたであろう。普羅の声に接した人はもうきわめて少ないはずである。本来は鳴風先生のような直弟子を指すことばのはずである。左様、今日は一千号到達を祝う特別な意味があるのだ。すべての参加者への賛辞である。
 立山山麓は作者の生家があり、普羅は度々訪ねて吟行をしたという。辛夷一家なのである。『辛夷』一千号を寿ぐかのように桜も咲いてこんなにも沢山の普羅の徒を迎えましたよ、と父母に報告する作者である。

くっきりと浅間の煙今朝の秋 山元 誠2020年10月12日

山元 誠句集『春星』から。これも以前に「辛夷」連載コラムの「好句考」の鑑賞文を転載する。2017年

 つい最近木曽の御嶽山を間近に眺めたがもう噴煙は収まっていた。しかし、浅間山の噴煙は絶えることがない。だから江戸時代に中山道が開通し、馬子が職業として成立すると「小諸馬子唄」が民謡として唄われた。その一番を引く。
♪小諸出て見りゃ 浅間の山に
今朝も三筋の 煙立つ♪
 掲句は「小諸馬子唄」を俳句にしたような気がした。
 ちなみに前田普羅の句集「春寒浅間山」をみた。普羅の俳句にも浅間山の煙が詠まれていた。 
  春星や女性浅間は夜も寝ねず 
  春星を静かにつつむ噴煙か 
  つかの間の春の霜置き浅間燃ゆ 
・・・浅間山のやわらかな山容に女性を見たという句意。普羅はごつごつした険しい山よりも女性的な山容の山が好きだった。
 長谷川伸の戯曲「沓掛時次郎」。義理と人情の股旅ものと呼んだ。「沓掛小唄」の作詞も手掛けた。♪浅間三筋の煙の下で♪と唄う。これを土台に演歌にもオマージュが産まれた。橋幸夫が「沓掛時次郎」で同じフレーズを唄う。沓掛は中軽井沢となって消滅したが浅間山の煙は永遠だろう。


小諸馬子唄
https://www.youtube.com/watch?v=8ZdplEEr6Mc

大衆に親しまれた沓掛小唄
村田英雄の沓掛小唄
https://www.youtube.com/watch?v=JBxXCjuQkmY

橋幸夫の「沓掛時次郎」
https://www.youtube.com/watch?v=JV98WVbzPYg

 これ以降もバリエーションはありますが、島津亜矢の「沓掛時次郎」には浅間は辛うじてあるが、最近の福田こうへい「あれが沓掛時次郎」には浅間三筋の言葉は継承されませんでした。後になると人間同士の絡みが残されるのみ。やっぱりあの噴煙をあげる浅間山の風景のイメージで歌わないと。
 日本の文学と芸能の融合が文芸を産んだ。俳句はその最たるもの。芸能は伝統的な民謡や文学をちょいと切り取って分かりやすく腑分けする。民謡から歌謡曲へ、そして演歌へと受け継がれた。いくら演歌であっても写実的な歌詞は必要です。そこに行かないと得られない風景描写が人心を引き付けるのです。風景と物語が日本文芸の核心です。
あっ、句集名の「春星」は普羅句集『春寒浅間山』の句に見る春星の句へのオマージュかも知れませんね。

秋冷の岳揃い立つ甲斐信濃 山元 誠2020年10月13日

句集『春星』よりP187
・・・さてどこからの山岳同定であろう。もちろん上信国境の山の一角に立ってのことに違いない。
 例えば浅間山は北が上州(群馬県)で南と西が信州(長野県)だから間近に高峰を仰ぐことができる。群馬県といえば、最高峰が日光白根山の2578mだから浅間山とは10m違いでほぼ互角である。群を抜いて高い山はない。
 一方で浅間山のすぐ南には赤岳2899mが聳える。揃い立つという表現だから八ヶ岳連峰の眺めは壮観であろう。直線距離にして約90km西には槍ヶ岳も見えるだろう。北アルプスの眺めも峰々が雪で白くなれば鋸の歯に見えてくる。日本でここでしか見られない山岳風景である。
 作者の目はいつしかふるさとの立山の姿を追っていることだろう。三角錐が剣岳、端正な山容は立山か。実家を継いだものの先立たれた弟への思いも募るだろう。今は亡き父母と弟、句に秘められた郷愁と山恋の重なる想いを読み取りたい。

浅間嶺の空の蒼さよ今朝の秋 山元 誠2020年10月14日

句集『春星』からP228
・・・群青色の空を蒼天という。立秋の日の朝、浅間山の巨体が蒼天に突き出している。浅間三筋の煙を吐きながら活火山のすごさを見せる。足元を見ると立木はなく、草も生えず、荒涼とした溶岩地帯が広がっている。

オイル交換も世相を反映している2020年10月15日

 マイカーのエンジン音が大きくなってきた。今日はオートバックスでオイル交換を頼んだ。エンジン音はコンディションを伝えてくる。もう換えておくれよ、との合図である。
 思えば、今年2月以来4800km走行していた。大体4000km前後でやるが、4月から今まで遠方へのドライブはしてこなかった。月平均800kmだから1日では26kmくらいになる。丸の内の事務所を往復するとそれくらいにはなる。事務所へも散発的に行っただけだった。買い物と通勤がほとんどであった。
 6月までは感染予防で地下鉄、バスの利用はせず、マイカーと自転車のみだった。名城公園に路駐してそこから丸の内に通ったが駐車違反を取られた。痛かったがコロナに冒されるよりは安くあがっただろう。その自転車も前輪が暑さでパンクしたのでタイヤ毎交換したばかり。おカネは出て行くばかりだが何事もメンテナンスは大切。
 皆が外出自粛していた4月から5月は軽油代も100円割れしていたが最近は107円から112円と上がり始めている。それだけ需要があり経済が活発化の兆しを見せているのだろう。
 何か明るい話は無いものか。
 そういえば、「山と溪谷」誌11月号が先日届いた。ちょっとだけ日帰り登山の企画に関与させてもらった。この企画もコロナ禍があったればこそ発想された。小屋泊まりの登山はどこも前年比2割から3割だったらしい。その分低山に行く。低山では遭難が激増中である。何にしても自分の名前が掲載されると良いものです。これは明るい話です。

セカンドオピニオン2020年10月16日

 今年の夏は殺人的な暑さだった。何とか命は生き永らえたが、内臓の一部が負担がかかったらしい。9月になっても暑さは変わらず、やっと彼岸以降になって日照時間の減少とともに冷えて来た。
 冷えてくると睡眠も深くよく眠れるようになった。過酷な暑さで内臓の一部にポリープが出来た。良性か悪性かは切除してみないと分からないと医師は言う。しかし今は仕事も抱えるし、やり残したことが多い。
 それに手術しても再発が60%から70%の確率で出るという。さらに調べるとこのコロナ禍で多くの手術経験者が死亡している事実。手術すると確実に免疫力は落ちる。外部からの細菌には耐えらないからコロナ感染で死んでしまう。
 コロナの治療法が確立してからにしようか。と悩みを話すうちにセコンドオピニオンを勧められたので行ってみた。その医師も同じ意見で、手術をせよ、という。西洋医学はとにかく患部を切ることのみ。これで踏ん切りは着いた。
 病院を出てから元医師の某氏に電話した。明るい声、90歳にしては発声もしっかりしている。先輩だった夫が亡くなって以来、11年ぶりのこと。この先生がいた病院でもある。酒の席で、病気はほっときゃ治る、という説だった。医師でもなんでも分かっているわけじゃない。とよく聞かされた。当時、食塩と高血圧には因果関係がないとも言われた。さいきんになってその説が事実と分かってきた。
 元医師曰く、医者のいうことは聞かなきゃだめよ、と言われたが、元気なら良いじゃない、とも言われた。食べても飲んでも美味しい。これを信じることにした。そうしたら落ち込んでいた気分が一掃した。仕事もはかどった。
 病は気から。切れば転移する。放置しても転移する。切って転移しない腫瘍は良性だったことになる。切らなくても良いわけである。それなら放置である。それが寿命ということと腹をくくった。

トレラン遭難・・・行方不明になると2020年10月17日

 10/11に白山の楽々新道をたどるトレランのトレーニングに出かけたまま帰宅しない登山者がいる。10/14に警察の捜索は打ち切りになり今は家族が民間に切り替えた。現在はヤマレコで家族の中の娘さんが情報収集に懸命である。
 当会のブログにも掲載して拡散する協力をした。ささやかだが1人の人間の人脈は未知から未知へとつながって膨大な人数に拡散されてゆく。しかもインターネットは今や日常になった。多数の人が少しでも知れば拡散される。
 有益な情報がなくても捜索ボランティアに名乗りを上げる人も出てくるだろう。今はプロが2人、元捜索隊員だった人などが続々加わっているらしい。降雪期の初めでまだ少しは助かった。
 高い山ではもう降雪である。当然白山も降っている。トレランは装備を極端に切り詰めるからもしもの際は無防備で発見されても悲しい結果になるかも知れない。
 50歳代なので家族もあり、養育費もかかる年代だ。行方不明のままだと、職場は解雇、退職金はスズメの涙、給料は不明日以降は支給されず、相続はできない。金融機関の口座は遺産分割協議ができるまでは解約も凍結される。相続手続きは家裁に失踪宣告を申し立てて7年後になる。特例はあるのだろうか。
 行方不明は余りにも高い代償を払うことになる。

冬支度へ2020年10月18日

 窓から眺める猿投山には中腹に白雲がたなびく。ちょっとの観察でも雲が移動してゆく。浅野利郷の短歌が浮かぶ。

 移りつつ静かに色を変へてゆく豊旗雲の空のたなびき

 白山、立山に雪が降ったらしい。山は冬支度に入った。山麓では熊の出没の情報が絶えない。餌になるドングリの不足で寒さと飢えに耐え切れずに襲うのだろう。何をしていても襲ってくるのだから山村住民は恐怖であろう。
 10/11、白山の楽々新道へトレランに出発した50代のランナーが登山口から2kmの登山道の崖から滑落死した。警察の捜索は14日で打ち切られ、17日からプロや有志の捜索隊が入った。家族はヤマップやヤマレコで捜索協力や情報を募る発信をしていた。その中で出発時にすれ違った京都の登山者がまた引き返して崖下に遺体を発見した。死亡が確認されるか行方不明のままかでは大きな違いが出る。
 亡くなられた登山者にはご冥福をお祈りします。
 
 今朝はさわやかというよりは小寒い。気温は23℃台にまで下がってきた。すでに毛布を1枚出してある。掛け布団も掛けるようになった。お昼になればさわやかな気温になるだろう。朝でも27℃以上あった夏とは違い快適になった。
 すると気持ちが積極的になり、まずはベランダに設置してある日除けの葦簀を外した。視界が広がる。次は4畳半の寝室を衣替えするために布団を干した。夏の間は物置だった6畳間を整理して、4畳半の部屋に移動。干した布団を6畳間に並べた。山積する本を整理すると何とかスペースを確保できた。
 これで急に寒くなっても風邪を引かずに済む。4畳半の部屋は2面がガラス戸なので寒暖の差が激しく、秋から冬は未明ごろに急速に冷え込む。要は自然な保温である。6畳間は4面壁と襖なので気温変化は緩やかである。この理屈が分からずに長い間、秋の中旬になると風邪を引き始めて、寒さに弱いなと感じていたのである。
 後は機会を見て灯油を買い置きするのみか。昨年は空咳を予防するために晩秋からビタミンCの摂取を始めた。これが功を奏して空咳がほぼ止まった。今年の冬からのチャイナウイルスに耐えられた。他人の前で咳をしないことはエチケットであるが今年は特に強調されて、公共の場では今でもマスク着用が半ば強制である。
 勢いで古新聞、古紙、段ボール箱の処分、古着の処分も行った。思えば4月以降は時間が止まらないまでも日常的なルーチンワークも緩慢になったような気がする。動かさなければ溜まる。体内も同じ。運動不足や栄養の偏りから血液の循環が緩慢になり細胞が異常になる。
 今年は世界も日本も自分も半分死んだような緩慢な動きになったのである。社会の上下関係も崩れて乱世になってきた。

震度3の突き上げ2020年10月19日

 夕べから朝にかけて寒かった。部屋替えしておいて良かった。4畳半の部屋の温度計は20℃を計測、居間は24℃だから相当な温度差になる。寝室の気温は24℃で変わらず。これくらいならまだ毛布1枚あれば眠れる。

 午前3時半ごろ、突き上げるような地震があった。驚いて飛び起きた。スマホを見ても地震のニュースはなかったが明るくなると震度3という。
気象庁のHPから地震情報を探ると

「震源・震度に関する情報
令和 2年10月19日03時32分 気象庁発表

19日03時28分ころ、地震がありました。
震源地は、岐阜県美濃中西部(北緯35.2度、東経136.6度)で、震源の深さは約40km、地震の規模(マグニチュード)は4.1と推定されます。
この地震による津波の心配はありません。

この地震により観測された最大震度は3です。
[震度3以上が観測された地域]
震度3  岐阜県美濃中西部 愛知県西部 滋賀県北部
[震度3以上が観測された市町村]
岐阜県  震度3  岐阜市
愛知県  震度3  名古屋天白区
滋賀県  震度3  長浜市」
以上
 なんと天白区で最大震度3が観測された。

さわやかな秋の昼2020年10月20日

 今朝も小寒い1日。今も上着は夏物の薄手のものだが合服だとやや暑い気がする。もう少し引っ張るかな。今は夏物は収納ボックスに仕分けし、冬物を出しておくに留める。スーパーで秋物の下着も新規に購入した。くたくたになった下着はすでに保温力を失っているので処分。
 さわやかな秋の昼。午後から事務所へ。建設業許可の依頼人と会い、書類の進捗を報告し、不足書類の作成について資料提供をお願いした。80%くらいにはなった。しかし富士山と同じで頂点に近づくほど難しいことが出てくる。年内に申請ができるかどうか。否年内にやりたいね。
 面談を済ませて遅い中食をとる。久々にラーメンの小と餃子のセットで済ます。お決まりの喫茶店へコーヒータイム。朝日、日経、中日各紙の紙面を眺める。
 岡崎市長選、同市議選の結果を報道したが、年内に5万円支給についての嘆息ともとれる感想がある。「おい中根市長さんよ、ほんとにやれるのかね」という感じで、市議会に諮って迅速にやらないと公約を果たせない。内田氏を支援した多数派の与党が一転して野党になり、不賛成で邪魔をする懸念である。
 消費税10%時代になって1年。消費税不況に陥った日本経済。大衆がカネを使わなくなった。そこへコロナ禍が襲ったから弱り目に祟り目という今を乗り切るには税金の還付しかない。消費減税廃止か5%減税は中々ハードルが高い。
 それでもグローバル企業は世界で稼ぐ。対外債権は世界一多い。日本のGDPは減少の一途、中国は伸びているがそれは日本からの投資があるお陰であり、日本は中国のGDPに貢献している。だからその分も実は日本のGDPなのだが日本に恩恵はない。
 そして法人税を下げているのだから良くなるはずはない。投資は失敗しても法人税法上、すでに利益と相殺できるように引当金勘定で処理されている。利益の圧縮でその分日本には納税しない。法人税を下げるなら海外投資の引当金はやめるべきかと思う。