くっきりと浅間の煙今朝の秋 山元 誠2020年10月12日

山元 誠句集『春星』から。これも以前に「辛夷」連載コラムの「好句考」の鑑賞文を転載する。2017年

 つい最近木曽の御嶽山を間近に眺めたがもう噴煙は収まっていた。しかし、浅間山の噴煙は絶えることがない。だから江戸時代に中山道が開通し、馬子が職業として成立すると「小諸馬子唄」が民謡として唄われた。その一番を引く。
♪小諸出て見りゃ 浅間の山に
今朝も三筋の 煙立つ♪
 掲句は「小諸馬子唄」を俳句にしたような気がした。
 ちなみに前田普羅の句集「春寒浅間山」をみた。普羅の俳句にも浅間山の煙が詠まれていた。 
  春星や女性浅間は夜も寝ねず 
  春星を静かにつつむ噴煙か 
  つかの間の春の霜置き浅間燃ゆ 
・・・浅間山のやわらかな山容に女性を見たという句意。普羅はごつごつした険しい山よりも女性的な山容の山が好きだった。
 長谷川伸の戯曲「沓掛時次郎」。義理と人情の股旅ものと呼んだ。「沓掛小唄」の作詞も手掛けた。♪浅間三筋の煙の下で♪と唄う。これを土台に演歌にもオマージュが産まれた。橋幸夫が「沓掛時次郎」で同じフレーズを唄う。沓掛は中軽井沢となって消滅したが浅間山の煙は永遠だろう。


小諸馬子唄
https://www.youtube.com/watch?v=8ZdplEEr6Mc

大衆に親しまれた沓掛小唄
村田英雄の沓掛小唄
https://www.youtube.com/watch?v=JBxXCjuQkmY

橋幸夫の「沓掛時次郎」
https://www.youtube.com/watch?v=JV98WVbzPYg

 これ以降もバリエーションはありますが、島津亜矢の「沓掛時次郎」には浅間は辛うじてあるが、最近の福田こうへい「あれが沓掛時次郎」には浅間三筋の言葉は継承されませんでした。後になると人間同士の絡みが残されるのみ。やっぱりあの噴煙をあげる浅間山の風景のイメージで歌わないと。
 日本の文学と芸能の融合が文芸を産んだ。俳句はその最たるもの。芸能は伝統的な民謡や文学をちょいと切り取って分かりやすく腑分けする。民謡から歌謡曲へ、そして演歌へと受け継がれた。いくら演歌であっても写実的な歌詞は必要です。そこに行かないと得られない風景描写が人心を引き付けるのです。風景と物語が日本文芸の核心です。
あっ、句集名の「春星」は普羅句集『春寒浅間山』の句に見る春星の句へのオマージュかも知れませんね。

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