水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る 金子兜太2020年08月11日

ブログ「金子兜太アーカイブ Tuta Kaneko Archive」から
ソース:https://kanekotota.blogspot.com/2015/06/blog-post_24.html

「池田 
この墓碑は、何で作ったんですか。

金子 
石、石。もちろん石。かなり大きい石。

池田 
あ、棒じゃないんですか。

金子 
棒じゃないです。棒の墓碑ももちろん二、三本立ってますよ、すでに。最後に石にしたんですね。これもエピソードがありましてね、カナカ族の酋長に土地を借りないかんわけ。置く場所を借りる。カナカ族は酋長が居ますから、各島にね。ところが酋長が未だに土地を貸してくれないと、これはトラック島を訪問した人の話です。日本の軍隊に対する憎しみを持ってるわけだ。けっこう最後は彼らの食料を取り上げたり、女性に対してもひどいことをしてますからね、だから怒ってるんだ。今でもこの墓碑は寝てるっていう話があります。これは行ってきた大から最近、最近っていっても数年前ですが聞きました。実際は「置きて去る」つて、立ってるというわけじゃないんだけど、でもまあ、貴女の言うとおり、木の墓標と合わせて、それも含めて何本も何本もあるから。

池田 
それが海の方から見える。実際に見えるわけではないでしょうけど心に見える。

金子 
見えるという思い。実際は見えない。遥かに遠ざかったからね、夕方でしたからね、見えない。見えるという思い。だからカナカ族のほうで土地を貸してくれないなんて問題は、この句にとってはどうでもいいんです。私の中で映像としていつまでも消えない。今でも消えないと言っていいでしょうね。これが戦後俳句の私の出発ですから。」

・・・・引揚船の上で、目に見えるのは船尾から白く泡立つ水脈だけしかない。はるかに島を思いながら心象風景を句にしたんですね。生涯是反戦詩人に終わった。

 年譜には「1944 昭和19年 25歳 3月、主計中尉に任官。3月初め、トラック島夏島(現、デュブロン)第4海軍施設部に赴任。」とあった。

 大先輩のMさん(1913~2009、国鉄労働者、非合法時代の日本共産党員、エスペラント語の大家、JAC会員)もニューギニア戦線へ送り込まれて九死に一生を得た。ほとんどの同僚は現地で戦死した中を生還した。Mさんは96歳で死んだ。
 ジャングルの中を病気と飢餓に耐えて彷徨った人は押しなべて長命を得た点でも共通している。俳人の金子兜太(1919~2018)は99歳、俳優の池部亮(1918~2010)もインドネシア北東部のハルマヘラ島へ配属されてジャングルを彷徨った。92歳で没した。ジャングルの中に戦友を置いて日本へ生還した元兵隊には言葉もないであろう。

 先日、スマホの小さなモニターで映画「ビルマの竪琴」を鑑賞したが、引揚船の場面の映像にふと反応したのが表記の俳句であった。戦争でおびただしい数の日本兵の死を弔うために僧侶となってビルマに残る日本人の物語である。
 戦争が終わって日本に帰国できる喜びよりも現地に残したままの墓碑の守りが気になる。金子には贖罪感も多々あったことだろう。