積読から捨本へ2020年02月19日

 枕元に山積みの本。すでに収容能力をオーバーしたので目に届かないまま積読にする。同じ本をうっかり2冊も買ったことが分かった。明日から、いや以前から山岳雑誌を捨てようと思いながら中々捨てられない。暇はあってもだ。
 枕元を整理するには出すか、書棚を増設するしかない。手作りで作るのも一案だが不要になった際はゴミになる。思えば昔の人はこんなにも本なんて持たなかっただろう。デジタルと言われ紙が減ると言われながら、減らない。デジタルは心もとないからやはりもの(本)が信頼できる。たしかに新聞雑誌の売り上げ数は減ったらしいが。
 しかし、本も雑誌・新聞も安い。寿命も短い。知的労働者(記者、作家、編集者、校正者ら)が長時間労働で作り上げた作品も短時日のうちに捨てられる。さらに言えば雑誌などは10年経過してから読み直すと史料になる。当時は無関心で見落とした記事にも目が留まる。へー、そうだったのか、と。取っておいてよかったという思いがある。だから捨てられない、となる。
 自分の余命は平均的には後10余年。そう考えると気は軽い。さらに読書する気力を維持できるのもそんなに長くはなさそうだ。なんだか寂しい話だがリアリズムである。