峠見ゆ十一月のむなしさに 細見綾子2019年11月19日

 1907年(明治40年)、父・細見喜市、母・とりの長女として兵庫県氷上郡芦田村、現・兵庫県丹波市青垣町東芦田に生まれ(ウィキペディア)という。地形図で見ると四方を500m~600m級の山々に囲まれた盆地である。隣へ行くには峠を越えることになる。
 ネットでヒットする鑑賞文や解説文はたくさんあるがあまり的確な文はない。大都会に生まれ育った俳人ばかりでもないと思うが山に囲まれた山人の気持ちは中々に分からない。
 彼女は日本女子大国文科を出るほどの聡明な娘だったらしい。上京後に肋膜炎を患い病弱でもあった。ゆえに療養のために帰郷することとなる。そんな彼女には山の連なりが障壁に見えたことだろう。あの山の向こうに行ってみたい。峠を越えて都会の生活にも触れてみたいと。
 病弱である彼女には生気を失った枯木山の峠すら越えがたく虚しさを覚えるばかりだったのである。
 同じく病弱だった山口誓子の山岳俳句には山へのあこがれがあった。三重県塩浜の自宅から日々鈴鹿山脈の山を眺めて俳句を作り慰めにしていた。綾子も俳句を慰めにしていた。俳句に打ち込んで行くうちに俳人の沢木欣一と知り合い結婚。病弱も克服していった。
 沢木欣一主宰の「風」は写生を第一とするが綾子の俳句観を反映させたのである。今は「伊吹嶺」に継承された。