海外との比較2019年06月26日

 ある知人とメールのやりとりで、日本人だが海外の社会を是とし、日本は甘えている、遅れている、マネー取引の機械化を嫌がっている、平和ボケなどと言われる。井の中の蛙とも言う。
 しかし、大切なことは日本、日本人の良いところを外国語で主張、発信、表現することなのである。
 本人は東大卒、大企業勤務後定年、子女は一流大卒、検察官、米国留学とエリート中のエリートの日本観はこんなものか、と知りました。おそらく経団連の大企業の経営者、幹部の日本観もこんなところだろうか。世界と戦うのは、コストダウンのための安い外国へ工場進出、逆に外国の優秀な人材を入国させて日本人並みの賃金で働いてもらう。
 結果、東大というのはそもそも外国の文献を輸入して翻訳し、日本中に普及させることが役割だった。だから文明の配電盤とも言った。
 じゃあ、今もか。新聞記者や政治家にもこの類いの人は多い。
 これからは異文化との摩擦も必至だと思われる。それで日本が外国に合わせて行くのか、と思う。軒先を貸して母屋を盗られることにならないか。もはやドイツではすでに起こっていることで、110万人もの移民労働者を受け入れてしまった推進者のメルケルさんは2年後に引退ともいう。
 何だかなあ。都合が悪くなると引退かよ。彼女に投票したのもドイツ国民だった。
 歴史というものは失敗の連続なんですね。
 書店をのぞくと『失敗の本質』とか『平成はなぜ失敗したか』などと失敗のタイトルで売ろうという魂胆が見え見え。失敗は成功の元ともいう。大相場は悲観のうちに生まれ懐疑とともに育ち、楽観のうちに果てる、とか言う。人間はこんなことを繰り返してきたのである。