親不知で道草食いながら帰名2019年05月06日

 長かった十連休も最終日となり、いよいよ帰名の日。新潟県の名立の道の駅を出て、R8を走る。念願だった親不知に寄った。小さなホテルが断崖にへばりつくように建っている。旧道を歩いてさらに古い道のレンガのトンネルまで往復してみた。かなりな難所だったことはひしひしと伝わってくる。
 戻って、栂海新道の登山口もチエックした。ここから白馬岳まで続く登山道の出発点であった。旧道の東屋の前に栂海新道の開拓者の小野健氏の顕彰銘板があったのはその功績を讃えたものだ。ウエストンの胸像がありともに北アルプスのよき紹介者である。
 続いて気になっていたのは芭蕉句碑のある市振の長圓寺だった。奥の細道の道中で詠まれた俳句の句碑がある。ここにも立ち寄った。
  一つ家に 遊女も寝たり 萩と月  松尾芭蕉

 そして最後は朝日町のたら汁街道を走る。朝7時40分前に栄食堂に着いて入店した。たら汁を注文した。中くらいの鍋に鱈がぶつ切りでみそ仕立ての汁になってでてきた。元は漁師の船上の料理だったが、家庭料理になり、お客に出すと喜ばれて観光客にも出す名物料理になったという。味噌の味が体にしみわたる。久々の手料理に舌鼓を打った。
 入善町では高瀬の湧水群に寄った。近所の人らがたくさん来て2リットルのペットボトルに水を詰めていた。水のポリタンクに10リットルほど汲んだ。料理に使うためだ。
 その道筋の生地魚市場にも寄った。日本海産の鮮魚が売られていた。蟹ずしを買った。こんな市場があるところは良い。すべての気になる要件は済ませたからあとはR41で帰名するだけになった。スマホのナビは常願寺川沿いに富山市街を迂回する道を選んだ。そして八尾町の笹津のR41に出た。猪谷でR360に入り宮川村を通過する。また古川町でR41に合流。古川の道の駅で車内の大整理。
 R41で高山市内を通過。宮峠を越える。R41に高山線の宮トンネルに平行するトンネルの工事が始まっている。美濃加茂市、可児市と走る。犬山市まで来ると突然天地が裂けたような稲光が走った。そして大雨になった。
 最後まで有料道路は使わずに走り切った。走行距離は2750kmになった。往路が900km、5/4に八甲田山を出発時に1700kmで青森市内は800km走った。帰路は差し引き1050km走った。大いなるグランドツーリングだった。

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