オフィスの窓叩く風春寒し 拙作2019年03月12日

 朝一で地下鉄に乗る。伏見の名古屋観光ホテルへ。クラブ愛知でのスピーチの日。7時から朝食を摂って7時20分ごろからスクリーンの準備をする。時間が来て私の「登った読んだ書いた」のテーマで8時30分まで話をさせていただいた。要するに会社員人生45年間では出世するわけでもなくしたがってお宝にも恵まれなかった。
 しかし、大学の卒業式で学長の卒業生への餞の言葉の中に「健康に留意せよ、君らの二部の先輩の中には病死した卒業生もいた」との温かい言葉が記憶に残った。確かに朝8時から勤務、5時で終えて6時から9時まで講義を聞く生活を4年続けた。カネ、勤務の都合で脱落者も多いし、頑張っても発病する人もいただろう。
 それで健康のためにと始めたのが登山であった。最初は山岳団体や朝日新聞のセブンマウンテンなどに参加して入門期を過ごした。やがて単独で奥穂に行くが晩秋ゆえに頂上は積雪でしかも霧に囲まれあやうく遭難しかかった。これではいくら命があっても足りないと思い山岳会探しを始めた。勤務先は週休二日の制度はないので低山歩きが主にならざるを得ない。前夜発日帰りの範囲でほぼ登りつくした。この蓄積が図らずも後にガイドブック制作の基礎になった。
 1988年の山と溪谷社『一等三角点百名山』を皮切りに数年おきに山岳書の共著の出版に加わった。最終的には編集を担当するようになった。ふりかえると大きな財産になったというのが実感である。
 それに先立って、映像で薬師岳をスクリーンに映しだして愛大の薬師遭難の現場を見てもらった。次は薬師岳の谷底の黒部川上の廊下の遡行も静止画を見てもらった。稜線はありふれた風景だが谷を見ることは滅多にないだろう。廊下を突破した後、大東新道に出会う手間で左岸から出会う谷の風景も見てもらった。登山道から左へ東南尾根を下り、三角点付近から黒部川側に落ちた。愛大生遭難の最後の2人が見つかった谷である。降雪も間近な晩秋のことだった。
 
 一旦は事務所に戻った。昨日の確定申告書に不足のマイナンバー通知カードをコピーして貼付。徒歩で中税務署へ申告を済ます。その足で名古屋家裁に行き、某に昨年から弁護士に引き渡すまでの顛末を報告。さらにそれが原因でストップしていた出版物の企画の再開を相談しに中日新聞の出版部門を訪問した。文体はやはり客観的に展開し、法律用語をなるだけ避けて優しい言葉で表現することとした。

 事務所に戻って、午後6時からの研修を確認。ファックスが漏れていたが受講させてもらった。テーマは「会社設立」。実務的な解説に終始した。特に建設業の許可を前提に設立する場合の資本金は500万円とするなどは実務者ならではの留意事項であろう。
 受講後は近くの酒場で懇親会に出席。講師の先生は隣に座ったが、何となく老優の東野英治郎に似ている。人生の苦渋が顔ににじみ出る渋い演技が好きだった。講師も老け顔だが年齢的には2歳若かった。若い人らと飲んで盛り上がり楽しい1日の最後になった。