新刊『タ―プの張り方火の熾し方 私の道具と野外生活技術』 ヤマケイ文庫2019年02月16日

 2018年7月刊行。著者は沢登りで、ヤマケイや岳人、釣り雑誌に多数の寄稿をして有名な高桑信一。タイトルには沢登りと謳っていないが、基本的には沢登りの本である。そのジャンルの中の道具に特化して、43の項目にわたって著者の蘊蓄が傾けられている。そんなハウツーなら知っているよ、と思うこともあるが、沢の入門書には形式的に列挙してあるだけのことも多い。
 単に沢を登るだけでなく書ける人なんだと思う。しかも沢歴が長い。
必ずしも新しい装備を紹介しているわけではなく、古い装備でも大切に工夫して利用する。しかも調達先は登山道具店だけではなく、ホームセンターからも見つけて紹介する。そんな所に高桑信一のやり方考え方を叩き台にして沢を楽しんでください、というメッセージが伝わってくる。
高桑信一の哲学とはプラグマティズム。哲学とは知ることを愛するという意味。本書にはそんな著者の実践的な沢の道具のプラグマティズムを読みとりたい。道具の使い方揃え方に人となり、経験の濃さが現れている。ハウツウだけなら山の雑誌の新製品紹介を参考にすればよい。
 第四章「溪から溪へ」は秀逸なエッセイを3本を置いてある。
1 「おじさんたちの夏東北の秀渓にて」は若かりし頃へのノスタルジアである。
2 「秋の浦和浪漫OB山行」は沢登りの拠点としていた山岳会へのレクイエムか。
3 「昔の溪から今の溪へ」は著者の真骨頂。
日本の伝統的な登山家としての立ち位置の表明だ。
写真が多いが、実は名うての写真家としても知られている。
著者にとって、沢登りは創造であった。フィールドワークの対象になった。そして沢登りを遡行と置き換えた。
沢登りは「より険しい未知」を求めるアルピニズムに隷属という。つまりアルピニズム以下であるということ。
 ここまで読んで見ると、高桑信一は田部重治につらなる登山家になったのだと思う。田部重治『山と渓谷』の中の「遡行の喜び」の一節にかさなるからだ。沢登りを文学にした冠松次郎、田部重治につらなる1人。
 古来、旅の記録を残して文学となった例がある。
1菅江真澄(1754~1829)は愛知県豊橋市の武士。28歳で故郷を出て、東北を旅し、菅江真澄遊覧記を残した。平凡社ライブラリーに収録されている。76歳の時、秋田県角館で没した。旅がフィールドワークになった。
2真澄遊覧記を読んだ柳田国男は農林官僚で詩人だったが、後に有名な『遠野物語』を私家版で出版。反響を呼んだ。旅から得られる見聞と知見を文に発表、柳田学と言われた。日本民俗学になった。旅は学問だと書く。
 以上の例をみても秋田県出身の高桑信一が直接間接に影響を受けていることはまちがいないだろう。『山の仕事 山の暮らし』は立派な山村民俗の一書である。遡行で訪れる山村の人々のフィールドワークである。

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