日盛に読む青葉松事件の碑 拙作2018年08月08日

 連日の猛暑もちょっと一服の7日夕方、クラブ愛知のイベントで約20名が本丸御殿を見学。総桧造りの立派な御殿に時の権力者の財力を思う。この辺の事情は、林董一の『尾張藩漫筆』に詳しい。家康の肝いりで建立したから名城の誉れが高い。見学後は少し時間があったので、青葉松事件の記念碑にも立ち寄った。
 事件の真相は謎というのだが・・・。慶勝は江戸へ向う勢力をスムーズに通らせる役目を果たしたというのだ。これって、ロシア革命前夜の状況に酷似しているではないか。
 革命家・レーニンが列車でオーストリアからドイツを通過してロシアに行くのを妨害しなかったというのだ。ということはドイツにレーニンを通過させる勢力がいた。それはドイツ内のユダヤ金融資本か。欧州ではロシア革命はユダヤ・クーデターという見方が常識だという。ソ連はユダヤ人が支配した国家だった。
 薩摩・長州の軍が江戸へ下り易くなるように計らった慶勝とは何者だったのか。徳川幕府は自らを解体していった。慶喜と示し合わせたか。日本が欧州の植民地にならないようにするには徳川幕藩体制ではほころびがあり過ぎた。中央集権しかも立憲君主制で隙のない国家運営に目覚めていた。二人ともそれに気づいていたとしか思えない。
 アジアの植民地にされた国は、多民族、他宗教、多文化、他言語の国ばかり。タイと日本だけは植民地にならなかった。タイは仏教国として国がまとまっていたから植民地にならずに済んだ。
 
 その後金シャチ横丁の義直ゾーンで飲み放題食べ放題の暑気払い(懇親会)を開催。約40名が集まったとか。