幸福学を受講2018年03月13日

 朝早く6時半に自宅を出てクラブ愛知の会合に出席。今日の講師は愛知大学法科大学院長の伊藤博文(いとうひろぶみ)氏を迎えて、まず同学の司法試験合格率の上位にあることの苦労話をさくっと話された。
 続いて本題の「幸福学」の講義を拝聴した。ふわっとした幸福を科学的に解明しようとする学問であるとのこと。ハーバード大学の教授が創案したとか。
 最後の質疑で、教授はユダヤ人かと聞いたらそうだとのこと。ハーバード大学教授の60%はユダヤ人だそうだ。
 それに何より、幸福のような主観的な課題を科学するという発想が、科学的社会主義そして共産主義を発案したユダヤ人らしい。社会主義はマルクス以前は空想的社会主義(武者小路実篤の新しき村など)と言った。
 国際共通語のエスペラントもポーランドの歯科医だったザメンホフの考案であり、彼もユダヤ人だった。EUを発案した人もユダヤ人である。ユダヤ人は流浪の民族ゆえ、グローバルであることがメリットである。
 共産主義は=グローバリズムである。
 万国の労働者が立ちあがって暴力で革命を起こし旧制を倒した。そして共和制の国家にしたというが実はユダヤ人が皇帝などを殺害して社会の中枢を握った。
 ロシア革命というのはユダヤ・クーデターと言われる。ワイマール共和国もワイマール憲法もユダヤ人が深く関与した。ドイツ人がこれに不満を持ち、ヒトラーが政権を握る。そして授権法を成立させる。議会制民主主義でもいつの間にか独裁体制になって行った。(麻生副総理はこれをポロっとしゃべった。)
 ユダヤ人は知恵者であるがどこか抜けてもいる。賢すぎて大衆心理が分からないのだ。
 日本人には幸福学なんて概念はもとよりないと思われる。
 またhappinessは幸福と翻訳したのは誰であろうか。
 伊藤先生曰く、日本語の幸福はwell-beingがふさわしいとも言われた。
 「ウェルビーイング」(well-being)とは、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、「幸福」と翻訳されることも多い言葉です。1946年の世界保健機関(WHO)憲章の草案の中で、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます(日本WHO協会:訳)」
 かつて西周がphilosophyに哲学という造語を当てて翻訳した。今では哲学が独り歩きして例えば経営哲学とか登山の哲学とか、本来の概念から外れた言い回しになってしまった。
 コトバンクには「…〈哲学〉という言葉は,明治初年の段階で,西周(にしあまね)によって,英語の〈フィロソフィーphilosophy〉の訳語として作られた。〈フィロソフィー〉は,ギリシア語の〈フィロソフィアphilosophia〉に由来し,〈知恵(ソフィアsophia)を愛する(フィレインphilein)〉という意味の言葉である。」と説明される。
 このように幸福と云う言葉(漢語)も突き詰めると違った意味になるだろう。大和言葉では幸せと書く。定義は中々に微妙である。民法の先生がなんで幸福学を研究するのか。たまには遊びたいのだろうか。