冬晴れの遠州・常光寺山に登る2018年01月14日

 名古屋・金山駅前発7時、4名で同乗。高辻ICから鳳来峡ICへ。R151から浦川経由水窪を目指す。水窪川に沿う谷底のR473はいつまでも日がささない。かと思えば、上の山腹を見上げれば明るい谷間の村もある。少しでも太陽の恵みを得たくて上へ上へと住んだ。
 高速をでてからも長いドライブが続いてやっと水窪に着いた。山住神社の案内を確認して県道に入る。古い5万図には最奥の山里から山住神社へ破線路があった。登拝の道であった。それは今も大きな鳥居を建てて古道として残しているようだ。
 最奥の山里を離れると道は細くタイトなカーブが続く。上部に上がると太陽が一杯降り注ぐ。やがて山住神社であった。予定は右の井戸口山だったがゲートで閉ざされている。逆に諦めていた常光寺山への車道は家老平まで走れた。本当に平らな高原であり、野鳥観察の施設があった。バードウォッチャーらしい車があり1人だけいた。

 家老平から登山口の案内板があり1時間30分の表示もあった。最初はほとんど高度をあげない。空気は冷たいが風もなく日だまり山行に終始する。野鳥の森らしく雑木林をカケスが飛び交う。右にはスーパー林道が見えたが1173m辺りから離れて高度があがり急登になった。ちらほらあった雪も出てきて数センチに積もって冬山らしい。
 広い尾根からアセビのからまる痩せ尾根になる。一旦緩やかに下って登り返すと1418mのピークになる。手前には地形図にもある大きな崩壊地を通過する。1418mからは意外にも大きな下りが待っていた。北西面のためか雪が凍って滑りやすいので時間がかかった。鞍部から登り返すと山頂だ。点名常光寺の3等三角点である。
 ネット情報では展望がないとのことだったが落葉期の今は360度の大展望だった。仰角の関係か、富士山は見られず残念。20万の地勢図飯田、甲府、豊橋等を広げて山岳同定を楽しむ。(肝心な駿河は紛失した。)伊那山脈や南アルプス深南部の山々(多分麻布山から前黒法師山)、熊伏山の背後の真っ白な木曽駒と中央アルプス、意外な三角錐の恵那山等が遠望できた。南には京丸山が見えたし、遠州灘が鈍く光っていた。往路を下山。

 今年の干支の山犬を守護神とする山住神社に参拝した。御手洗の水も凍結するような厳寒の神社でも宮司が1人居られた。大杉は見ごたえがある。和銅2年(709)伊予の大山祇神(おおやまづみのかみ)を勧請して山住(やまずみ)大権現と称した。当初は、勝坂、あるいは門桁、あるいは宮川に創建された後、現在地に遷座したという。イザナミが祀られている。
 神社の由緒から「徳川家康が武田勢に追われ山住に逃げ込んだ時、山全体が鳴動し、ウォーウォーという山犬の大音声がおこり、武田勢を退散させた。以来、徳川家康の崇敬を受けたという。そのためだろうか、当社の神紋は葵の紋だ。徳川家康を助けた山犬の声でも明白だが、当社は、山犬(狼)信仰の神社。当社の神札には、山犬様が描かれている。
 山犬(狼)は、農作物を荒らす猪や鹿を退治する益獣であり、焼畑の作物の守り神。奥三河一帯には、山住神社の山犬信仰が浸透しているという。昭和27年の佐久間ダム建設の時、
周囲の猪が、いっせいに愛知県東栄町方面へ移動し、作物に多大な被害を与えた。この時にも、猪害をさけるため、小字単位で山住の小祠を作って祀ったという。猪退治の山犬信仰は、その後、悪霊除け、猿除けへと拡大した。」

 参拝後は神社の北の1108mの三角点に詣でた。常光神の入り口から山道を登ると小社がある。その少し尾根を歩くと山住峠の看板があった。ネット地図で検索すると点名は家老峠になっていた。当初予定した井戸口山の点名は山住山という。
 
 水窪ではお買いものをした。栃餅、コンニャク、山の味噌などを購入。ついでに双体道祖神を拝んだ。美男美女の兄妹が互いに縁が薄く旅に出て相手を探すが見つからずついに兄妹で結婚したという。同行者が「兄妹じゃいかんがね」と近親結婚をとがめた。「いとこ同士は鴨の味」という俚諺もあるが兄妹はないな。勝手知ったる相手ならいざこざもない。幸せなら良いじゃないか。帰路も往路を走った。

 干支の山として山犬の段から高塚山を予定したがS林道は冬の通行止めで走れず。開通後は山犬の段から房小山に行く予定。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
日本で一番美しい山は?
ヒント:芙蓉峰の別名があります。

コメント:

トラックバック