「埋甕」を見に弥富市の愛知県埋蔵文化センターへ行く2017年10月18日

 午後3時ころ、期日前投票後、愛知県埋蔵文化センターへ行く。10/15にも山の帰りに寄ったが、土日は休日という。県の博物館にしては珍しい運営である。少し時間を作って出かけた。
 http://www.pref.aichi.jp/soshiki/maizobunkazai/0000032060.html

 10月7日(土曜日)から11月4日(土曜日)に同じ施設で愛知県埋蔵文化財センタ ー主催「秋の埋蔵文化財展」も行われていると、中生涯学習センターにあったパンフで知った。
 「埋蔵文化」のボキャブラリーにはどこか心に響くものがあった。それは恵那山の山名の由来を調査していて文献的に行き詰まり、考古学の本で「埋甕」(うめがめ)という言葉に出会ったからだった。
 それは木下忠『埋甕―古代の出産習俗 (考古学選書) 』である。
 この中に、胞を底のない壺に入れて埋めるのは古代から近代の習俗という知識を得た。徳川家康の胞塚も岡崎城の一角にあるそうだ。
 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説で「えな」がヒットした。
「胞衣とも書く。後産 (あとざん。→胎盤 ) のこと。イヤ,イナなどともいう。以前はエナは土中に埋められたが,その埋め方が,生児の一生の安危にかかわるものと信じられ,また,埋め方が悪いと,生児が夜泣きするともいわれた。その埋め場所は,人に踏まれないところがよいというのと,その反対によく踏んでもらうところがよいという2通りの説がある。前者は大黒柱の下とか産室の床下,墓,便所のそば,厩 (うまや) のそばなど,後者は土間の上り台の下とか,敷居の下などが選ばれた。埋めた上を最初に通ったものを,生児が一生恐れるというので,父親が最初にまたぐという例がある。また他人に踏んでもらえば生児がまめに育つとか,産後の肥立ちがよいなどという。エナは,布やこも,油紙などに包んで埋めたが,壺や瓶に入れて埋める例もある。」
 展示品の「埋甕」は奥三河から産出された。用途は解説の通りであるが、埋文センターの解説者によればそうとは言い切れないと言われた。何分1000年以上の物質なので証拠物がないからだった。
 しかし、見学はしたもののここまでである。解説者の曰く、恵那山の話をしてみたらアマテラスは皇祖神だからあちこちの山に祀られるよ、とものの分かった人である。
 そういえば、先日の鎌ヶ岳の山頂にも「天照皇大神宮社」の小さな祠があった。果たして鎌ヶ岳は信仰の山だったのか。いや、後から勝手に鎮座したものだろう。もっと前、奥三河の須山御嶽山にも天照皇大神の石碑があった。言われる通りである。
 恵那山の恵那の地名は恵奈で10世紀以前からあるようだ。それが山頂に埋められた経緯が分からないから伝説なのである。
 元来はあの阿木村の血洗池辺りを胞山と言ったのではないか。根の上高原や保古山と向かい合う無名の山の三角点の点名には血洗とあったからだ。
 アマテラスは一地方の神だったのに皇祖神になる。時期は持統天皇の時代。その時代から伊勢神宮の20年に1回の遷宮も開始される。その度に桧の用材を大量に消費する。皇祖神に献上する(させる)ありがたみを出すためにアマテラスの胞山を今の恵那山に変えた。恵那山の北から流れる湯舟沢の国有林は桧の宝庫でかつては森林鉄道もあったほどの桧は無尽蔵であった。
 桧は木曽川に流し、筏を組んで伊勢湾を航行して伊勢に運ばれる。運搬はトラックや鉄道に変わったが、木曽桧は今も遷宮に使われる。今や誰も疑いもしない、恵那山という名称に巧みな伝説の謎を思う。一先ず、胞を家内の土中に埋める文化が確実にあったことの確認であった。