富山県・高落場山に登る2017年10月09日

 富山市内のビジネスホテルの朝食は本当に美味い。とくにご飯が美味いため、朝食に時間がかかった。7時過ぎには出る予定が8時20分になったのは昨日の長旅の疲れもあった。
 R41を南行しながらGSを探すが昨日より10円ほどアップして安いところはなくなった。富山県の山際の県道を西へ走った。南砺市でR304に出会うまで道の田舎道を走った。
 R304からは縄ヶ池に向う林道に左折。高落場山へは若杉集落跡が登山口である。かつては五箇山街道の宿場の里として栄えたというが御影石の記念碑以外は何もない。
 『村の記憶』によると、「若杉は江戸時代五箇山と城端を往来する街道の要衝に位置し、物資の中継や宿場として栄えたが、中略、昭和42年五戸の住民は旧大鋸屋小学校校舎跡地へ集団移住した」。続けて「上流の夫婦滝から流れる内尾川のせせらぎの谷間にあって、多い時は30軒の合掌」家屋があったらしい。
 「五箇山往来の利賀の中継地として、また宿場としても栄え、番所などもあって奉行所の役人や二百人に近い五箇山への流刑人もここを通ったと言われる。そして、五箇山への荷物を運搬する牛やボッカの往来が絶えなかった。」のも今はもう幻となった。
 さて、出発の準備中、地元のお巡りさんがパトロールに来た。熊に注意してくれといわれた。春に目撃されたかららしい。ここまできて帰れとでもいうのだろうか。登山者が襲われたことはないらしい。今までも襲われるのは山菜とりがほとんどだ。山菜とりは熊の好物を横取りするけしからん敵なのである。
 10時20分出発。足元は石畳の歴史ある道である。濡れて滑りやすいから注意がいる。20分ほどで唐木峠に着いた。ここから左が高落場山だ。直進は朴峠への旧道であるが、すぐ先は笹刈りも無く藪になっていた。しかも通行禁止の看板もあった。
 ここからが地形図にもある「人喰谷」への道で名前も恐ろしい。他のサイトによれば、「「横渡りの難所」の看板には以下のように書かれている。
 『横渡りとは人喰谷の五重の谷を大きく迂回するこの辺のことをいいます。山崩れやなだれのため、道が崩壊して交通の難所となっています。昔からなだれを防ぐため付近一帯は禁伐林となっています。現在も大雨などにより木が倒れてくるなど危険なところです。』」だそうな。
 唐木峠で喉をうるおすとすぐに急登の尾根に入った。最初は右に杉林を見ながら登るが、しばらくで見事な白ブナの原生林が展開する。低山にしてこのブナの大切にされ方は雪崩防止の禁伐林ゆえだった。
 時折ブナを見上げながら、木肌に熊の爪痕がないか、こずえに熊棚がないか探したがなかった。これだけ急だと熊の棲息には適さないのか。嗅覚も大いに働かせるが獣臭はしない。うん、大丈夫だ、と鼓舞する。
 ブナを堪能した後も坦々とした尾根歩きは続く。先行者らの声が樹林を通して聞こえてくる。車は数台あったから10名位は登っているだろう。分岐に来ると右へが山頂だ。一旦軽く下って登り返すと切り開かれて明るい高落場山頂に着いた。
 アキアアカネが群舞する。アサギマダラが舞う。やがて南方へ旅立つ蝶々である。ナナカマドが赤く秋の山を象徴する。遠望は若干はあるが全体図がないことと、高峰が雲がくれしているので分からない。
 軽い昼食をとったあと下山を開始。途中で男性ばかり5名のパーティに会う、草沼山からの縦走らしい。分岐では来た道を戻った。高清水山はまたの機会にする。今日は暑かった。汗びっしょりになった。ほとんど休まず登山口まで下る。
 着替えて、縄ヶ池へ行く。途中、夫婦滝が見事だ。広い駐車場に着く。ここも熊の注意喚起の看板がある。この春のGWにはここで目撃されたらしい。池は林道の向こうにあった。チエーンがあるので徒歩で数分歩くと山中の池を俯瞰できた。
 神秘的な雰囲気があるが、遊歩道へは進まず、熊への警戒心もあって眺めるだけにする。1979年(昭和 54) 年に泉鏡花の『夜叉ケ池』が映画化された時のロケ地となった。主演は坂東玉三郎、池の中から美しい女の人がヌーッと出てくるシーンだったらしい。
 以前から一度は見てみたかった。小説に出てくる夜叉ヶ池も神秘的だが、深さも浅く、小さいし、車道が通じていないため代替地として縄ヶ池になった。なるほどと思うスケールがある。
 すべての予定を終えた。R304から高落場山の真下のトンネルを通って五箇山に出た。R156を走った。白川温泉でひと風呂浴びた。御母衣ダムの畔を走って荘川村へ。高速は使わずR158へ高山市へ抜ける。給油の後は早目の夕飯をすませ、R41、R19、R302で帰名する。