豊田市自然観察の森内写真展に行く2017年04月01日

 今日は朝から菜種梅雨と思われる篠つく雨模様でした。矢作川流域の地域広報を担う「矢作新報」(3/31付)の4面に50年来の旧友がミニ写真展を開催中と報じたので行ってきました。テーマは「矢作川源流の森」で3/28から4/6まで。月曜休み。
 写真家の安江邦幸さんは矢作川源流に絞り込んで風景写真13枚を展示している。大川入山、茶臼山、面の木峠、段戸裏谷原生林など。ユニークと思うのはこの写真をだれが喜んでみてくれるかと考えて、源流の平谷村の小学校を28校巡回したとのこと。今は春休みなのでここという。今後は西尾市など下流域に下って展示するそうだ。
 自然観察の森は、かつて鎌倉市を旅した際、里山の田や畑もそっくり残して開発の手から守り市民が自由に歩けるように整備した鎌倉広町(48ha)の保全活動に似ている。ここは124.5haあって一周すると2時間はかかるそうだから規模的には上回る。しかし、鎌倉は公共交通のアクセスがよく、第一級の観光地に隣接するがここは公共交通機関もバスしかなく目玉がないのが惜しい。しかし、シデコブシという東海地方だけで見られる珍しい花も咲く。一見の価値はある。

麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子2017年04月03日

 今日から4月の実質スタート。役所は新年度、3月決算の会社は今日から新年度入りする。新入社員、新入学生なども今日から出社、登校する。通勤電車も初々しい服装の人らでにぎわうだろう。自分も気分一新、成年後見制度の学習と広報に取り組む年度のスタートだ。
 1941(昭和16)年の作。丁度40歳で四日市市富田に療養生活のために移ったころだ。当時の家はR23の近くだが人手に渡ったために見学は出来なかった。それでもかつて誓子が住んでいた案内板はあった気がする。この年の12月大東亜戦争に突入していく。
 誓子の代表句「海に出て木枯らし帰るところなし」もこの地で生まれた。見た目には鈴鹿おろしを言うが、昭和19年の時局が特攻隊を彷彿させる。木枯らしのように伊勢湾に吹き下ろして帰ってこない。つい深読みしてしまうのである。
 春先というのはまだ寒い。山岳会やFB仲間の報告でも冬山そのものである。雪崩の季節はこれからだ。昨日は豊川市宝円寺のシダレサクラを撮影に行ったがまだ蕾だった。今年は寒くて開花が遅れ気味のようだ。それでも次々花見客が来た。

天白川の桜並木の桜は三分咲き!2017年04月03日

 朝一で天白郵便局へ自転車で行く。風を切って走ると、少しひやっとするが心地よい。振替送金と手紙の投函を済ませて行きつけの喫茶店に繰り込む。帰路は天白川の桜並木に沿って走った。
 するとまだ三分咲きだというのに、その花の下の草地にシートを敷いて缶ビールで一杯やっている2人の花見客がいた。まだ九時半ごろだ。待ちきれないのだろう。
 西行の
 ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
は旧暦の2月15日であるが、新暦では4月2日なる。丁度今頃に詠まれた。死ぬ時も花の下で死にたいというのだが、さほどに日本人の桜花に対する感性は今も変わらない。
 天白川の右岸には緑道(自転車道)に沿うぼんぼり(雪洞)が開花を待ちかねて催促するかのように風に揺れている。満開になるとそぞろ歩きの花見客でにぎわう。落花すると客はさっと引いてゆく。そんな気分を詠んだのだろう。
    人恋し灯ともしころをさくらちる   加舎白雄
江戸時代の俳人である。今も現代俳句に紛れ込んでも解釈に難しいところはない。これが俳句である。
 雪洞でググると
    ぼんぼりに桜火照りて人もまた 中村灯声
The cherry blossom trees
lit up with paper lanterns
coyly flushed along with the people
がヒット。この人も英語俳句をやっているのだろうか。英語になった時点で俳句(詩)とは似ても似つかぬ断片になる。やや理屈っぽい句が惜しい。

 河川敷のカワヤナギの新緑も美しい緑色を呈している。
 
 やわらかに柳あをめる北上の
       岸辺目に見ゆ泣けとごとくに 石川啄木

この短歌の柳もカワヤナギのことだろう。啄木忌は4月13日だ。

体重マイナス5kg減量2017年04月03日

 ネットを閲覧中に
http://diamond.jp/articles/-/123313
を見つけてアクセスする。岡田明子 [管理栄養士]さんという女性の執筆。
太い胴回りの写真がゆるゆるになって、以下のキャッチが目に付いた。
「メタボ卒業のために無理な目標を立てるのは禁物。完璧主義な人ほど、ダイエットは長続きしません」とあった。その通りだね。

 今年、膝痛の完治を目指すこともあり、体重減が課題になった。治らないと登山もスキーからも遠ざかる。それで目標値は78kgマイナス15kg=63kgにした。実際には1月で79kgまで行った。忘年会と新年会や懇親会の出席を極力減らした。今朝測定すると下着着用でも75.1kgになっていた。まだ12kg以上あるから道のりは遠い。63kgというのは28歳で登山を本格的に開始した年だ。もう40年も前のことになる。
 初めての冬の御嶽のテント泊で、毛の下着、毛のカッターシャツ、毛の登山用セーター、オーバーヤッケなどを着ても寒かった。冬山での耐寒力をつけるためにみそ汁にバターを落として脂肪分の摂取に努めてきた結果である。今はさすがに寒さは感じにくくなった。今後、体重を落として行けば行動力は高まるが耐寒力は落ちて行くだろう。悪くいう識者が多いが体温維持のために脂肪の力は侮れないのである。
 理想的には63kgまで行ってリバウンド後68kgで維持できれば良いと思う。膝痛も緩和されてきたから今後は運動量を増やす。写真の通り、ズボンのウェストも88センチから一時91センチを着用したが、今はかなり緩み、ベルトも2穴縮んだ。ウェスト86センチがはけるようになった。85センチのズボンを一番多く持っているから体重減は経済的でもある。

高校生の冬山禁止の是非2017年04月08日

 4月5日付の中部経済新聞の一面「中経手帖」の手帖子が高校生の冬山禁止の動きを危惧している。
 那須町の山で起きた雪崩で8人の高校生らが亡くなった遭難事件に関し「冬山は危ないというイメージを決定的にしてしまった。・・・」と書きだし、「高校生の冬山を禁止する動きが広がりつつある。」と危惧する。 事故後に手帖子は白草山に登り、眼前の御嶽を目の当たりに見て、「この壮大な眺めを、山好きの高校生から奪うのはどうかと思う。中略、禁止することはない。天候にわずかでも不安があれば登らなければ良いのだ。以下略」
 しかし、大学山岳部も高校山岳部の指導者のレベルもお寒い限りと思う。
 小屋番の山日記の「今西錦司の言葉」に書いた。今西錦司は「そんなわけで、立派な登山家の薫陶を受ける機会の無い初心者は、あえて老猟師とはかぎらずとも、郷に入っては郷に従えで、その山をよく知った土地の人に教えを乞うて・・・・・・・。そして経験者といえども、都会生活を送るものが、わずかの暇を盗んで得たぐらいの経験はどうせ大したものではない。われわれは山に対してはいつになっても初心者であるという謙譲な気持ちを、つねに持っていたいものである。 」と書いている。 登山技術はあるが山を知らない指導者が多すぎるのだと思う。「山を知るとはどういうことか。山に登るというが我々は頂を目指して登る。頂は山ではなく一部である。山は全体を指す。しかし、山に登って山を見渡すとき頂の形をしっかり目に焼き付ける。だから頂を隠して山体だけを見せられてもどの山か見当がつかない。頂を見れば見当がつく。言わば頂は山の顔である・・・と。実はこれも今西氏の見解である。
 この前銚子洞の遡行に失敗して道の無い稜線に追い上げられた際に役に立ったのは正しく頂の顔(特長)であった。目に見える山々のどれか一つでも正確に同定できればあとは地形図と照合していけば自分の位置が判明し、他の山も分かろう。山を知るということは大変に広範囲な知識だけではなく尾根、谷、樹木の有様に加えて言葉にならないことも含むであろう。
 奥美濃の花房山に登る前に谷の近くの民家に教えを乞うたがこの谷のあそこが特に悪い、注意して行け、とアドバイスを受けた。行ってみると地元でダイラと呼んでいるところで伏流して小広くなっていた。下山の際にあれっと思ったのはこんなところを通ったのかなあ、という疑問であった。多分道迷いを心配してくれたであろう。
 山の隅々まで特徴を把握している(頭の中に血肉化して刻まれている)即ちこれが山を知ることであろう。 」

4月句帳2017年04月09日

  3/26 天白川俳句(話)会
長閑さやいつまで続く俳話会
・・・2010年5月以来、脱落者なしに続いてきた。80歳を超えなんとするこれからはどうなるのか。

  3/28 岳連理事会
八人の犠牲は重し春愁
・・・開口一番那須町の山で起きた高校生ら8人の雪崩事故の話題。出席者全員が立って黙祷し、哀悼の意を表した。

  3/29 某県議と会う
人の世に救いの手あり春の宵
・・・自分だけで解決するには荷が重い。そんな時政治家の助けも要る。政治家とは人脈のハブ空港(中継地)と知るし。

  3/30 さんぱつ
暖かやすその刈り上げ要望す

  3/31 弥生尽
遅々とした歩みなれども弥生尽

  4/1 豊田市自然観察の森ネイチャーセンター写真展
里山を丸ごと保つ木の芽時

春山や失われゆく里の景

  4/1 天白川緑道に雪洞(ぼんぼり)が灯る
天白の柳青める河川敷

雪洞に灯点りそぞろ歩きかな

  4/2 新城市鳳来湖の上臈岩撮影行
あちこちに咲くやキブシの花垂れり

ヤマツツジかつてはありし川合村
・・・湖底に沈んだ川合村には上臈岩の伝説があった。洞穴には高貴な女郎の櫛簪があったという。持ち帰ると葉っぱに変わるとか。

鳥交る上臈岩に巣のありぬ
・・・湖岸からバードウォッチャーが超望遠レンズで鳥の交尾を観察していた。固定したクライミング用ヌンチャクもしっかり見えた。繁殖期はクライマーも自粛するとか。

春のトビ湖面すれすれ飛来せり

  4/5 歯の治療
春愁やとみに通ひし歯科医院
・・・加齢にともない抵抗力が弱くなって歯のトラブルが増えた。

  4/5 元名古屋家裁調査官による成年後見制度のセミナー参加
春暑し八十席みな埋まる
・・・名古屋家裁の元調査官による初めてのセミナー開催。コスモスの岐阜や三重からも来場して81席は満席になった。

  4/5 山岳会の総会・例会
新参の若き人来て始まれり
・・・3月に例会見学、定光寺の岩登り参加で入会を意思表示した40歳の新人が正式に入会となった。4/3は単独で野伏ヶ岳に登山したという頼もしい新人である。

  4/6 中日信金尾張旭支店でシニア人材面談会に行く
尾北には仕事埋もれり春の昼
・・・昨年11月から経産省、中産連、信金の連帯で始まったシニア人材の発掘。富山県の高岡信金から一宮信金、豊川信金、四日市信金などに積極的に動いたが応答なし。係の人曰く「まだ決まった人は居ない」とか。「野に遺賢なし」なのか。若い社長のバイタリティを支援したい。

花冷えやベスト着て行く面談日

  4/7 コスモスあいち民法研究会(東区生涯センター)
セミナーの話してゐる春の暮
・・・昨年春からコスモスあいちに魂を入れるべく始まった広報活動も1年経過して成果を挙げてきた。まだまだこれからである。

春の夢語りつつ飲む水割りを

  4/8 橋幸夫 INブルーノート名古屋
春の宵一期一会のコンサート
・・・3/20に続いて名古屋に来るというので行って見た。怪しげなナイトクラブ風の雰囲気だ。橋幸夫も初めてのステージという。今夜の出会いは今日かぎりのこととコメント。同年代の女性同士のファンが目立った。全席50名くらいか、コスパが悪く、音響効果も今一。

春の夜のパフォーマンスのフアンかな
・・・リズミカルな曲で突如、立って両手を振り、足を躍らせる男性の老ファン。橋幸夫も目を丸くして、苦笑いして困惑気味だった。

春の夜やな踊りそと引き踊らせり
・・・店の女性スタッフが老ファンを制し、着席を促すが、広いスペースに導いて躍らせた。

歌われず後ろ髪引く春の夜
・・・今夜は得意の股旅演歌は抑え、都会風の歌に終始。そこが残念だった。「潮来笠」だけは歌ってくれたが。

御園座のビルに垂れたり春の雲
・・・小雨降る広小路を歩くと伏見駅の上に御園座のビルが出現。上には雨雲がかかっていた。年内に竣工し、来年3月には杮落公演がある。

花の雨人は少なし夜の道

哀悼!ペギー葉山さん死去2017年04月12日

NHKニュースから
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170412/k10010946071000.html?utm_int=movie-new_contents_list-items_019&movie=true
4月12日 14時59分
「ドレミの歌」や「学生時代」などのヒット曲で知られ、女性として初めて日本歌手協会の会長も務めた歌手のペギー葉山さんが12日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。83歳でした。
ペギー葉山さんは東京都出身で、昭和27年にレコードデビューしました。昭和33年には、NHK高知放送局の依頼で歌った「南国土佐を後にして」が、ふるさとを離れて働く人たちの望郷の歌として大ヒットしました。

その後も「ドレミの歌」や「ラ・ノビア」、「学生時代」など幅広いジャンルのヒット曲で人気を集め、昭和41年のNHK紅白歌合戦では紅組の司会を務めました。

また平成17年に亡くなった俳優の根上淳さんと仲のよいおしどり夫婦として知られ、根上さんの闘病生活を支えてきました。
その後も平成19年に、女性として初めて日本歌手協会の会長に就任するなど第一線で活躍し、おととし3月、放送文化賞を受賞しています。

所属するレコード会社によりますと、ペギー葉山さんは最近まで活動を続けていましたが、10日に東京都内の病院に入院し、12日昼前、肺炎のため亡くなったということです。
“バターの香り”教えてくれた大きな存在
ペギー葉山さんが亡くなったことについて、日本歌手協会の田辺靖雄会長は「戦後日本に軽音楽を通じて、洋楽・ポピュラーソングのバターの香りを教えてくれた大きな存在の歌手でした。亡くなるまで現役を通され、会長をひかれたあとも、後輩の私たちに温かく接してくださいました。お疲れさまでした。ごゆっくりお休みください」というコメントを出しました。
高知県知事「観光振興の大恩人」
ペギー葉山さんが亡くなったことについて、高知県の尾崎知事は「突然の訃報に驚いたし本当に悲しい。心から哀悼の意を表したい」と話しました。

高知県は、大ヒットした「南国土佐を後にして」が高知県への観光ブームを巻き起こしたことなどをたたえ、昭和49年、ペギー葉山さんに「名誉高知県人」の称号を贈っています。

尾崎知事は「曲がヒットしたことで高知県では『南国土佐』を1つのブランドとして長年、観光振興の取り組みを続けることができた。私たちにとっては大恩人だと思う」と功績をたたえていました。
以上
小屋番の山日記
http://koyaban.asablo.jp/blog/2007/11/25/2458224
 9年半前前に四国の山へ行った。本四架橋を渡る際にペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」の曲をカーオーディオから流して今から四国だぞという雰囲気を出した。それくらいあの歌は四国にふさわしい。誰かがこれから行くのだから「・・・・後にして」の歌と合わん、と言ったが、シンボルだから良いのだと思った。
https://www.youtube.com/watch?v=1JcGhhPM3YQ
を聞いて偲びたい。

読売新聞「HAIKUの世界」を読んで2017年04月13日

 読売新聞朝刊が4/11から4/13まで「HAIKUの世界」を3回にわたって連載し、本日完結した。記者は文化部の佐々木亜子氏。
4/11 上 英語が導き出す自由
4/12 中 「偶数行の鉄則」に挑戦
4/13 下 文化遺産登録を視野に
 何回も読み返したが違和感がぬぐえない。

 米国の元外交官というアビゲール・フリードマン氏のコメント:「俳句は日本人には伝統的な芸術だが、私達は伝統に縛られずに自由に作ることができる。」という。日本人が異文化に根ざす海外の俳句を勉強したら、「もっと面白い俳句を作れる可能性があるのでは。」
 佐々木亜子記者のバイアスも多少混じっているが、こんな考え方がそもそも俳句にはなじまない。HAIKUならいいと思う。今の日本の俳句は面白くないと嫌味を言われているようにとれるではないか。海外の俳句よりも、たとえばウクライナの小学校では日本人も知らない芭蕉の俳句が学ばれているそうだ。つまり、われわれ日本人こそもっと「猿蓑」などを読むべきなのである。
 俳句は縛られること、ルールを厳守するから面白いのに、自由を謳うようでは俳句の真髄は一生分からないだろう。日本の俳人はだれも窮屈だから自由がほしいとは思っていない。日本人の自由律の俳句もついに定着しなかった。
 特にキリスト教圏の白人の啓蒙主義、優位性が押し出されていやらしいと思う。自らは平気で国際法を破り、不都合になると次々変える国の人らしい考えだ。表意文字の俳句は表音文字のHAIKUから学ぶことはない。俳句の文化遺産登録には反対も賛成もない。意味があるのかどうか。
 柔道が国際化されてスポーツになり、ジュードーになった。以来、見た目にはレスリングになった。柔よく剛を制すという講道館柔道はどこへ行ったのかと思う。柔の道の道に意義があった。俳句も言葉の断片ではなく、人生の一こまを謳う。あるいは詠む人の人生を思わしめる。国際化の意義はほとんど考えにくい。ただし、外国人との友好的な交流の道具にはなりうる。
 この記事を読んだ後、口直しに長谷川三千子『からごころ 日本精神の逆説』(中公文庫)を読んだ。「国際社会」の国際化のためにという論考である。結論めいた言葉だけを引用すると「近代ヨーロッパ人は「他人に学ぶ」ことができない人達ではない。自分たちよりも力の弱い者達からも学ぶ」ことができれば欧米人達もコクサイカが可能。「この世界には無限の「ものの見方」の可能性があるのだという事実を謙虚に受け止めるところから出発する。
 要するに欧米人は力でねじ伏せてinternationalizeしてきた。欧米人が俳句に学んで欲しいのはその心です。国、領土等を二カ国以上の共同統治、保護の元に置くことがinternationalizeの定義。日本人の国際化は基準を外においてそれに順化することと考えている。このずれがあるかぎりは俳句とは似ても似つかないHAIKUのままにとどまるだろう。
 佐々木亜子記者も自分が日本人でありながら国際化(欧米化)された考えに染まっている(からごころ)ことに気がつかない。欧米に基準をおいて日本をそれに合わせようとするずれに気付いて欲しいものだ。
追記
 日本の新聞記者や外交官、国際企業のビジネスマンはダブルスタンダードで生きている。あちらはあちらの流儀、日本は日本の流儀ということで、これがあいまいな日本の原点だろう。真の国際化にはほど遠いと思う。
小屋番の山日記から 芭蕉を学ぶ国の危機
http://koyaban.asablo.jp/blog/2017/03/19/8411013

「山を撮る山を語る」のゲラ2017年04月14日

 4月22日(土)から中部経済新聞の連載を再開する。以前は単独で月2回の連載を40回続けた。数回で連載中止もあるよ、といわれたが、延長に次ぐ延長で40回にもなった。デスク周辺は資料の乱雑な山積であった。
 今回は写真は別人が撮影したもので、それに文章をつける形になる。作詞に作曲するような感じである。2月末にお誘いがあって面白いから承諾はした。とりあえず、夏ごろまでの4座4回分を書き送ってある。その1回目のゲラが出来た。
 早春の山に咲く花がテーマで、それにあった短歌1首がすぐ浮かんだ。更に俳句も2句つけたら500字はすぐ埋まった。先だって編集子から掲載にあたっては作者の承諾を得てくれというので、歌集や俳誌にあった電話で連絡したらご両人とも気持ちよく了解を得られた。面識もないのにありがたいことである。
 確かに、引用に当っては俳句短歌ほど無造作に勝手に使われるものはない。商業紙だけにその配慮はいる。ゲラを見ると美しい紙面になった。配達が楽しみである。今日は新聞の拡販に協力要請の手紙が来た。とる人はとっているだろうし、誰か居ないかな。部数削減に見舞われている新聞社も大変だ。魅力的な紙面づくりで拡販に協力したい。

4月句帳2 奥三河は山笑ふ2017年04月16日

  豊川市宝円寺の樹齢400年のしだれざくらは散り初め
  4/1に来た時はつぼみだったが瞬く間に盛は過ぎる
しだれざくら咲きて且つ散る宝円寺

山笑ふ表参道辺りかな

艶やかな赤や黄の色チュウリップ

  耕運機で田を耕す
蓮華田を耕す男ただ一人

  新城市設楽原歴史資料館
怒涛めく歴史雁峰山霞む

歴史など知らで芽吹きの木立かな

  塩津温泉からびわくぼ峠へ
春の日も浴びず日蔭の杉木立

春暑し風さはやかな峠かな

春山やかつて火山の岩襖

熊よけの笛に驚く春の山

草餅を食ふ空腹の身にしみる

山里は花桃多し奥三河

  稲武の喫茶店にて
シデコブシ白き花にも紅仄か