奥三河・天狗棚と1200高地を歩く2016年04月30日

 今朝は気持ちよく早起きした。朝寝は春の季語にもあるくらいだから怠けものではない。昨日は”目覚ましの後一眠り朝寝かな”だった。
 高速はかえって混むのでR153からR257経由で面の木峠まで走る。標高1100mの面の木園地である。トイレを済まし、園地の芝生の道をゆるやかに登るとブナの森の中の道が二岐になる。右へ振ると展望台への近道だ。途中で稜線に上がり、右折すると津具盆地の全景を見下ろす1200mの展望台に着いた。恵那山や大川入山、蛇峠山、茶臼山、三瀬明神山、平山明神などが見渡せて素晴らしい。
 展望台を後に稜線の道を戻ると、先ほどの道をやり過ごし、ちょっと登ると1220mの分岐に着いた。左は園地からの道である。天狗棚の山頂へ向かう。いくらもなく1240mの山頂だ。豊田市になってからは最高峰になった。ブナの古木が何本も残されている。かつての植生をとどめる貴重な森である。1200高地へは山頂から下り気味に歩道を歩く。
 道標も道もしっかり整備されて、されすぎて迷うこともない。左はブナ原生林の生い茂る豊田市、右はおおむね植林の旧津具村である。地形図の1229.7mに近づくと、歩道は山腹を横切るように伸びている。登山道ははっきりしないが、1200高地の道標にここから登れと書いてある。薄く踏み跡が頂上へ伸びている。これが本来の地形図の破線路であったが、多分、山麓にある名古屋市の野外教育センターが歩道を整備した際に山頂への道は等閑視したのであろう。
 踏み跡をたどるといくらもなく1229.7mの三角点のある山頂だった。点名は三方の根という地味なもの。かつてはここに山頂標があったかに記憶するが今は何もない。但し、御料局三角点がそばにあった「宮」をデフォルメして8の字に見える彫、三河国、信濃国とも彫ってある。ここも御料林だった名残である。
 展望台直下には檜原山の御料局三角点があった。依田秋圃の”津具山は今は遙けし萩垂も檜原もなべてもみぢすらしも”と詠んだのは天狗棚のことだった。檜原山がなかなか解明できなかったが、天狗棚の東側に流れる水は愛知県側であるが矢作川水系であり、長野県の檜原の地名があることで分かった。下流では檜原川となる。
 さて、山を下る。反対側の道をしばらく歩くと木橋がある。そこには湧水が流れている。ブナの森は水も豊かなのである。元の道を引き返す。
 井山に登って天狗棚全景を眺める。全山自然林に見える。一部植林も見える。たったこれだけでも貴重な自然である。反対に井山は伐り尽くされて兀山になった。展望は360度広がる。かつては牧場だったが今は風力発電の山に変わった。ここも江戸時代はブナや栃、欅の原生林の山だったと思われる。明治時代に政府から払い下げを受けて、木地師が入り伐採させた。代わりに杉や桧の植林を奨励して人工林の山になった。
 茶臼山高原道路を下って、アグリ名倉でうどんと五平餅をほおばる。エゴマの垂れが美味しい。食後はやがてダムの湖底になる豊川(とよがわ)を走った。田口の町から川に下り、大名倉、宇連の村を見て、浦田に遡り、段戸湖から県道33を走ると足助の町だ。