追悼 高木泰夫先生2015年01月24日

 1月23日。JACのデジタルメディア委員会からの一斉メールを開くと、高木泰夫先生が死去されたとの訃報であった。思わずえっ、と声をもらしてしまった。今年のお年賀の返信がないのでもしや病臥かな、と思っていた矢先のことであった。死因は肺がんとのこと。葬議場で山岳会関係者に聞くと以前から入退院を繰り返しておられたようだ。享年85歳だった。
 高木先生とは『新日本山岳誌』の編纂を通じて17年くらいの交流になる。とはいえ、2005年のJAC100周年記念に上梓すればその後はお年賀だけの交流に過ぎなかった。今年はJACの110周年というので改訂版を出す準備をしている。東海支部でも分担の90座分の原稿を見直す作業に入っていたから、高木先生とのご縁を感じずにはいられなかった。
 山行は一度もご一緒する機会は無かったが、氏の著作のガイドを読んで山に行けば案外、同行二人とはいえる。どちらかと言えば漢詩を書かれるだけに文章は硬かった。高校教師から校長の地位まで昇られて職業人生を全うされた。大好きな山三昧で終わり、大往生といえるだろう。
 山の方も、足元の奥美濃の山々に足跡を残された。それらは山葵会編『奥美濃』(私家版)、『ぎふ百山』(岐阜日々新聞社)、『奥美濃-やぶ山登山のすすめ』(ナカニシヤ出版)等に結実された。なんといっても傑作は今西錦司の遺志であった高頭式編『日本山嶽志』の改訂版を出すことに注力された。JAC内の反対を押し切り、ついに2005年のJAC100周年記念出版に間に合った。その緻密で粘着質な編纂ぶりは上梓直前に腰痛に見舞われたことで推し量ることができよう。私も病院までお見舞いに行ったことを思い出す。
 訃報には1月23日の夜に御通夜、1月24日に告別式とあった。久々に穏やかな冬晴れの24日、名古屋を昼前に発って、弥富ICから揖斐川左岸の堤防道路を北進した。前方には雪を冠る奥美濃の山々が見渡せた。御嶽山などの高峰も見えたが、何といっても南宮山の右手に小津三山の特徴ある風姿が素晴らしかった。やぶ山だった三山も今は道が開けたと言う。先生はやぶ山に登ることで原始的登山の意義を説かれた。私もその信徒の一人である。今はただ、静かに山へ帰ってゆかれるのを送りたいと思う。
     雪冠る小津三山にかえるべし   拙作