雪山に雪の降り居る夕べかな 前田普羅 ― 2014年12月22日
普羅が富山へ赴任してからの作品。今年は何かしらないが北陸方面の雪が多い。つい最近富山市へ旅行に行ってきた人の話では山では降るものの街ではそれほどでもないとのことだった。咄嗟に浮かんだのがこの句だった。町にいても山を想う。日常的に親しんだ山の道も家も雪に埋もれてゆく。そういう想像を巡らせているのだろう。
by koyaban [一句鑑賞] [コメント(0)|トラックバック(0)]
登山と自然を愛して四季の山歩きをしています。その見聞を綴りました。又、登山や自然に関した俳句、写真、書物、人などのことも折々書いていきます。
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「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」
東海銀行山岳部「さすらい」2号(昭和38年)の寄稿から
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