深田久弥山の文化館2014年10月16日

加賀温泉駅に近いスーパーの屋上から富士写ヶ岳を眺める
 北陸の山と俳句の旅も今日で終わる。中々行けない加賀市を回って帰名することにした。以前にも再び三度訪れたことはある。

 『日本百名山』ですっかり有名になった深田久弥は石川県加賀市の紙屋の生まれだった。長男だったが文学に目覚めたために家業は継がず作家になった。
 昭和21年、43歳で神奈川県浦賀港に復員船に乗って帰国。船内では田端義夫の「かえり船」が流されただろう。

  みな大き袋を負えり雁渡る    西東三鬼

文学上の同志として、児童文学者の北畠八穂との出逢いと別れ、初恋の志げ子との再会から八穂を捨てて志げ子と結婚。昭和22年、離婚届けと結婚届けを出す。そんな人生でもっとも波乱のあった昭和の戦前戦後を生きた。

一家が水入らずで過ごしたのは「湯沢の1年」かも知れない。湯沢には志げ子夫人が疎開していた。復員するとすぐに湯沢に向かったという。八穂を裏切ったことで鎌倉文壇から追われるという痛切な出来事があった。もう普通に作家としては生きて生きない。但し、深田には山があった。山の文を書いて生きていく。湯沢の1年はそう決断せしめただろう。

 http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/05/21/6817509

 湯沢に疎開中、朝日新聞から小説の注文があった。それで郷里の加賀市へ帰った。そして昭和39年、『日本百名山』が刊行される。何度かの名山ブームを起こして名著になった。今年は刊行後50周年の年回りという。ベストセラーかつロングセラーになったのだ。
 富士写ヶ岳は深田久弥の初登山の山だった。942mと標高も低く、マイナー山であるが、富士形の姿は美しい。文化館で教えてもらったJR加賀温泉駅からのパノラマ写真を参考に撮影ポイントを探ったが、駅の隣のスーパーの屋上がもっとも均整が取れて富士に似た形に見えた。台風前で天気が今一だったのが残念だ。

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