台高山脈・明神平から桧塚奥峰を歩く2014年07月26日

 今日も暑いぞ、そんな予感がする朝だった。ホントは低山ではなく、高山に登るべきなのだが。
 午前5時出発の予定が6時になった。昨日までの疲れもあるか。名二環から伊勢湾岸道、東名阪の亀山ICまで走る。R25に入り、針ICを出て、後は東吉野村までは通いなれた道である。最後のコンビニは菟田野にあった。ここで飲み物とおにぎりなどを調達。東吉野村に行けば柿の葉寿司の販売を期待していたが時間的に早いようだ。
 登山口の大又までは165kmもある。更に3km奥まで走ると広い駐車場があって数台の先行者がいるようだ。
 9:50、炎天の下を歩き出すが、すぐに緑陰の下の林道歩きになった。車止めが本当の登山口らしく登山届けのポストが設置されていた。
 ここからしばらくは舗装されているがかなり急な坂道を登った。登りきると緩やかになる。砂利道を行くとまた舗装路となり、左へ曲がって行くが直進する山道に入った。ここから四郷川に沿う険しい沢道になった。最初は右岸だが、すぐに左岸へ渡渉する。滑らないように対岸にロープが渡してある。険しい道を登るとすぐに右岸に渡渉し、小さな梯子で山道に登った。今度は大きな岩がある。これもロープをつかみながら渡渉。ぐんぐん高度を上げてゆく。やがて、落差30m位の明神滝が落ちている箇所を通過。右岸を大きく巻く。水流がやや細くなる。傾斜がきついのでジグザグを大きくとりながら高度を上げてゆく。谷も一跨ぎできる細い流れになった。もうそろそろと思う頃、水場があった。これこそが源流である。湧き水に近いのでビニールパイプを差し込んで呑みやすいようになっている。4箇所もあった。
 水場から明神平へはすぐだった。ここでしばし休憩した。薊岳も懐かしい。広々とした緑の高原が美しい。緑をなすのはシダ類である。シダを敷き詰めてあるかのようだ。その中の白い花はバイケイソウである。
 12:00、明神平を出発した。シダはきれいに踏み分けられて踏み跡が分かりやすい。すぐに三塚分岐に着いた。左へ歩くとまた道標があり、桧塚は左を指す。県境は明瞭な痩せ尾根になり、ほどなく、穂高明神(明神岳の山頂標が建つ)に着いた。
 県境は千石山へと南下して別れる。桧塚奥峰へは西へ地形図にも破線路がないぶな林の中の迷走路である。等高線が緩くなり、わずかな踏み跡と赤テープが頼りになる。日が射さないのはありがたいが風も通らない蒸し暑い森の中の散策路であった。
 13:00、桧塚奥峰に着いた。山頂だけは岩の突起があって樹林から開放されていたので南への眺めはいい。まあまあの天気だが、台高山脈の遠望は霞む。
 先行者は桧塚を往復するために発って行った。私はここよりも低いピークに行く気が失せた。三角点があるだけの山である。後続が2名来た。中々に登山者が多いじゃないか。しかし、この静寂は素晴らしい。往路を戻った。明神平で長休みしていたら鹿が4頭から5頭、平の草を食み始めた。こっちを警戒しながらも草を食べていた。
 下山中に天花寺高校の連中が登ってきた。朝の組と交代らしい。下るに連れて暑くなった。Pに着いた。
 帰りがけに温泉に入湯し、汗を流した。四郷川では都会からのレジャーの家族連れが水遊びに興じていた。きれいな水が貴重である。

 この村はかつて俳人の原石鼎が住んでいて名作を残している。その縁で句碑歌碑の建立が多い。14体もある。それでも村に根ざした作品かどうかは不明だ。
 頂上やことに野菊の吹かれをり    原 石鼎
 淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守    同