霧の薬師岳登頂!2013年07月29日

 今回も参加させてもらった。メンバーは11名である。都合で日帰りする支部長と若い人を除くと登山には9名の参加になった。集合場所は前と同じアルペン村である。富山ICから網の目のような地方道を走るのは大変だが、以前に登った尖山(とんがりやま)559.2mが見えるうちはそこを目指す。大きなロスもなく午前6時到着。名古屋は7/27、午前1時半出発、午前3時、気温18℃のひるがのSAで1時間半仮眠、更に1時間半で富山着。

 午前7時過ぎ4台に分乗して出発。折立はすでに満車状態だったが、係員の指示で、いい場所に止められた。まず十三重の塔に参拝。ブナ、カンバなどの落葉広葉樹林の生い茂る長い坂道に取り付く。荷は軽いが身が重い。6月の冠山以来、1ヶ月半も登山から遠ざかった身体は鈍っている。
 それでも同窓らは普段から登山をやらない人がほとんどであるから初心者同然である。飛騨から来られた1人が経験者らしい。それにしてはペースが少し早い気がする。2012年の時は13人が登ったが、1人だけ弱い人がいて全体に遅かった。あの時の教訓で芍薬甘草湯も用意した。ばてた同窓のために即効性のあるブドウ糖も用意した。
 いいペースで三角点の小ピークを過ぎ、丘陵地のような長い尾根を登ると森林限界を過ぎて視界が広がる。霧のために遠望がないが、笹原に黄色いニッコウキスゲの花が群落となっている。今回で5度目と思うがこんな美しいところだった印象はない。キスゲだけでなく花が散ったチングルマ、上部ではコバイケイソウの花も群落となっている。
 13人の先輩たちが亡くなって今年で50回忌になる。存命ならば68歳か69歳の年だ。どうぞ安らかに。豪雪の山稜に消えた先輩らへの供花、と思えてきた。同窓会富山支部有志の弔いの心あればこその登山に花を添えてくれた。
 日帰りのメンバー2名と別れたのはもうすぐ太郎平小屋という丘であった。石川支部の若い後輩が薬師岳に興味を抱いてくれた意義はある。面倒でも参加を断わらずに参加させたのは若い同窓後輩への配慮であろう。
 太郎平小屋へは早い時間に着いた。外は霧雨だったが、生ビールで乾杯。雨もひどいのであてがわれた部屋で缶ビールを酌み交わした。9名もいるとあっという間に飲み干す。夕食までは歓談のうちに過ぎてゆく。夕食後は睡魔に襲われて眠る。屋根裏部屋に寝た。
 7/28(日)、就寝中でもざーっという雨音が聞こえた。激しく降っているのだろう。4時起床、5時には朝食に並ぶ。6時過ぎに、五十嶋オーナーの娘婿(次女)というイケメンの若い男性がリーダーに立ってくれた。
 丘を越えた鞍部のキャンプ場ではちょっとした異変があるという。キャンプ志向が増加中らしい。しかも一人テントの普及でパーティーであってもテントは一人用なので設営数が増えているそうだ。個室、孤食時代に育った若者にはテント内でわいわい一つ鍋のものを分け合う習慣がないのだろうか。時代だなー。
 沢に沿う山道をよじ登る。急登できついところである。しかし、そんなところにはキヌガサソウが慰めてくれる。大ぶりだが、白く清楚な感じのする花である。沢を休み休み登りきると、雪渓が現れる。今年は雪が例年になく多い。雨が少なかったという説明に納得した。薬師平の遭難ケルンに着いた。ここも高山植物が多い。ヨツバシオガマ、シナノキンバイ、コバイケイソウは特に多い。これは7年から8年ぶりとの説明があった。花にも当たり年があるようだ。

 薬師岳慰霊登山の供花とす   拙作
 
 薬師平を抜けると急になるが、薬師小屋が近い。2010年では工事中だったが、すでに営業している。あいそのいいオーナー夫妻が中に入れて歓待してくれた。熱いお茶をご馳走になった。暖かい小屋で休むと体力が回復する。気温計が9℃を指す世界である。標高2701mと小屋の近くの杭にあった。白山の頂上とほぼ同じである。
 すでに這松地帯を過ぎた。小屋が這い松の限界でもある。この先は、砂礫地が広がる。厳冬期は北西の季節風をまともに受ける厳しいところだ。尾根のとなり(東)には残雪が詰まっている。ピッケルがあればグリセードを楽しめる長い雪渓である。砂礫を踏みしめながら登ると運命の東南稜分岐である。小さな小屋と遭難ケルンが建つ。中には十三体の仏様が祀られている。2010年には般若心経が読まれた。記念写真を撮った。
 ここから頂上へはゆったりした稜線歩きになる。晴れておれば立山連峰が北上するのが見えよう。後立山連峰、槍穂高連峰、赤牛岳、黒部五郎岳なども見えるはず。

  霧深きケルンに触るる寂しさよ    石橋辰之助

 辰之助の句は登山者の心理をよく言い当てている。ここでも記念写真を撮った。登山者は続々登ってくる。縦走する人、往復で下山する人。われわれも下山の途についた。薬師小屋で再び長休みした。小屋を後にするとすぐに薬師平だ。ここでも長く時間をとった。霧が晴れて、北の俣岳、黒部五郎岳の山腹も見渡せる。雲の平も見えるがそこまでだった。
 沢の源流の小さな雪渓に着いた。ここからはまた急な沢を下る。また雨だ。カッパの上着を着たり、脱いだり忙しい。やがてキャンプ場へ着くころには大降りの様相だ。カッパのズボンを履くか、どうか。リーダーは履いている。そのままで行く。小屋に着くとずぶ濡れになった。小屋の中の乾燥室でズボンを脱いでストーブで乾燥させた。
 
 濡れ物を乾かす小屋の夏ストーブ    拙作

食堂に入って、昼食をとる。ラーメンの汁まで飲み干す旨さ。しばしの休憩を楽しむと、すっかり乾いたズボンを履いて外にでる。五十嶋オーナーも外に出て、ごあいさつをうかがった。50年前、25歳で新婚生活をそっちのけで捜索に尽力いただいた。あの捜索で薬師岳を歩き回って山の広さ大きさを知ったといわれた。また、山小屋の物資運搬にヘリの活用を思いついたきっかけにもなったそうだ。それまではランプだった山小屋も、石油を空輸できたおかげで電気が使えるようになったという。富山県に山岳救助隊ができたきっかけにもなったという。そんな話を聞いた後、オーナーを囲んで記念写真を撮った。
 いよいよ小屋を下る。霧も少しは晴れて有峰湖が見下ろせる。雲が湧いては昇る。これを靉靆(あいたい)という。長い尾根は下っても下っても着かない。そのうち足の故障者がでた。差がつき過ぎるのでそろそろと下った。針葉樹、ウダイカンバの森からブナ、ダケカンバの林に変わった。そして十三重の塔の頭が見えた。やっと下った。
 クルマに戻って、またアルペン村に走る。あいさつの後、皆さんと別れた。名古屋までの280Kmのロングドライブの途についた。

2012年8月の記録
http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/08/06/6532244
2010年8月の記録
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/08/02/5262666

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