鷲ヶ峰山上2012年11月07日

御料局三角点とは
http://benchmark.yamagomori.com/01to19/hen_former/goryo.html

 今は一面草原の山なみがつづく車山から美ヶ原ですが、かつては、森林の覆う山だったと思います。この三角点がそんな自然史の一端を語ると思います。

 私の想像ですが

 皆伐→雪、雨で土壌が洗われて二次林が再生せず→草原化

 霧ケ峰は採草地になっていたようです。
 
 今は山上は矮小化した灌木のみで、山腹は落葉松の植林が目立ちます。長野県では戦後、大規模に植林したそうです。

 美ヶ原の場合は
 「古来、松本周辺の人々によって東山または王ヶ鼻と呼称されてきた。美ヶ原という呼称が定着したのは、1921年(大正10年)に木暮理太郎が、日本山岳会の会報『山岳』に登山の記録を載せてからである。

 山頂付近は、平安時代より放牧地として利用されてきた。江戸時代には、御嶽山が展望できることから、御嶽教の山岳信仰の山ともなった。王が鼻に並ぶ神像群はいずれも御嶽山の方角を向いており、御嶽教の信仰の対象である。
1909年(明治42年) - 美ヶ原牧場が開かれ、本格的な牧場として利用が始まった。
1930年(昭和5年) - 頂上に山本小屋が開業し、多くの登山者が訪れるようになった。
1954年(昭和29年) - 美ヶ原のシンボルとなっている「美しの塔」が、遭難防止のための道標および避難所として建設された。
1957年(昭和32年) - 山頂までの林道が開通し、頂上付近までバスが運行されNHKとSBCのアンテナが王ヶ頭に建設された。
1981年(昭和56年) - ビーナスラインが開通し美ヶ原高原美術館が開館して、車で手軽に行ける観光地となった。」
 
 何と平安時代から放牧地だったとは。

 そして牧場へと開発が進む。観光地化すると自然が失われてゆく。

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