北アルプス・剣岳に登る2012年07月30日

剣岳
 7/27夜、やってもやって湧いてくるという仕事を断ち切ってS君と合流できたのは午後10時30分くらいだっただろうか。今時、仕事がなくて困っている人が多いの言うのに消費増税を見込んですでに動き出しているそうだ。車中でしばし、そんな世間話をしながら立山へと向かった。
 東海北陸道のどこかで12時になるSAかPAで車中泊と決めていたが、S君は夜通し走りたいという。現地で車中泊としたいらしい。が、それをやると運転の興奮でもう眠れないし、寝入った頃に夜明け、続々入ってくる車と人の周囲の騒々しさが経験的に蘇る。結果、ひるがのSAが比較的空いているのでそこに決める。標高800mの高原の気温は18℃と小寒いくらい。猛暑の名古屋が信じられない。ここで2時間弱、仮眠した。そして又走る。立山ICを出て、立山駅のPには4時半着。がら空きの臨時Pでまた1時間ほど体を横にした。起きてみると周囲は満杯の状況だった。
 7/28、午前6時発のケーブルカーに乗車して出発。美女平からはバスで室堂へ。もの凄い人人人の群れ。朝食をとってから剣山荘へ向かう。雷鳥沢キャンプ場までは下り気味の遊歩道を歩く。色とりどりのテントが懐かしい。ここまではキャンパー、ハイカーも混じるがこの先は登山者の世界になる。道も遊歩道からザクザクした登山道へ変わった。別山乗越に向かった。すでに日は高く上がり、夏の陽光が容赦なく降り注ぐ。わずかにある日影でほっとする。
 別山乗越に着くと雄山方面の縦走路と交差する人で賑わう。我々はここから剣沢を下った。雪渓が意外なほど多い。北面ということもあるが今年は雪が多かったそうだ。雪渓を横切り、ハイマツの切り分けを歩く。雪渓の端からは雪解け水がサラサラと流れ出し、涼味満点である。手を浸すと切れるように冷たい。
 ハイマツの間には様々な高山植物の花が咲いている。2ヶ月ほどの春と夏と秋を足したような夏を謳歌するのである。チングルマの一部はもう花が落ちて綿毛になっている。これに水滴が着くと花よりも美しい。シナノキンバイ、ハクサンフウロ、クロユリ、ナナカマド、ヨツバシオガマなど他にも知らない花が一杯咲く。
 一と山を越えた長い登山道を歩き終えた。剣山荘が眼下に見える。一度壊れて新築されたらしい。もはや登山小屋というよりは立派な構えの旅館である。実際、下界の旅館の1年分の売上を登山小屋は夏山の期間中に稼いでしまうそうだ。1泊2食で9000円也。「ちんぐるま」という個室をあてがってもらえた。ザックを室内に持ち込めるのがありがたい。
 お昼ごろに着いたが、とりあえずやることは寝不足を取り返すことだった。明日のパッキングをしたり、シャワーも浴びて、体もすっきりして、夕飯までぐっすり寝た。気温も低いし、快適な自然環境にある。こんな贅沢はないかも知れない。

 約34~5年前、山岳会に入会してすぐの夏山合宿は剣岳だった。あの頃は、高山線の夜行に乗り、富山駅で地鉄に乗り換え、立山駅から後は今と同じルートであったと思う。テントにキスリング、ニッカーホースのズボン?、ホエーブス、使い込まれた凸凹のコッヘルなどどれも懐かしい。自分達で担ぎ上げた食料を調理して食べた。剣沢のテントサイトで一夜を明かした。
 今は楽して小屋泊まり。雲泥の差がある。
 そして、翌朝4時、テントを出て驚いた。何と、ヘッドランプの行列が一服剣の方へ連なっていたのだった。唖然として眺めた。エー!という感じだった。今も昔も登山者に大人気の山であった。それが新田次郎の小説に題材を得て、映画にもなった。映画になってから人気が出たわけではないのだ。
 今回も恐らく、ほとんど同じルートを往復したが難所での行列は昔と変わりないだろう。若い人が多かった。