トムラウシ山遭難・再考2012年07月16日

 今日の中日新聞朝刊に「トムラウシ遭難から3年」、「遺族 募る怒り」と大見出しが出た。「捜査進まず」ともあり未解決をにおわせる記事になっている。
 過去に拙ブログでも都度、採りあげてコメントしてきた。
   低体温症の怖さ
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/07/16/5222954
   トムラウシ遭難事故最終報告
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/02/25/4907555
    同上   追記
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/02/26/4909666
  北海道の山の遭難事故の反省点
http://koyaban.asablo.jp/blog/2009/07/25/4457664
  北海道の山の遭難事故にショック
http://koyaban.asablo.jp/blog/2009/07/17/4441299
 大切な家族を山で亡くした遺族の立場で考えると怒りが込み上げるのも理解はできる。専門家による最終報告では自己責任という記載もあった。これも遺族からは不満になる。そこで道警による捜査で旅行会社の刑事責任を追及してもらいたい、というのが記事の骨子だろう。
 立山・大日岳の雪庇崩落事故では民事責任は立証されて国は多額の賠償責任を負わされて遺族に支払った。ところが刑事責任までは問われなかった。
http://www.dailymotion.com/video/xcg1js_yyyyyyyyy-yyyyy_news

 法律の専門家である弁護士はどう見ているか。自分で登山もやる弁護士の溝手康史氏は山岳雑誌にも登山の法律問題を寄稿している。
溝手法律事務所のHP
http://www5a.biglobe.ne.jp/~mizote/index.htm
HPから
「5、ツアー登山における自己責任の範囲
 いかなる登山でも一定の危険性があり、登山に参加することはそのような危険を了解していることを意味する。道路を歩く歩行者は、自動車の通行による危険を承認したうえで歩行するわけではないから、原則として歩行者に危険性の承認はありえない。しかし、歩行者といえども、横断歩道以外の場所で車道を横断すれば一定の危険性を承認しているとみなされる。
 日本の裁判所は危険の承認を違法性阻却事由として扱わない傾向があり、危険の承認は注意義務違反を判断する諸事情の1つとして考慮することになるが、山岳地帯は本質的に危険であるにもかかわらず、自分の意思で敢えて行うのが登山であるから、危険の承認の有無は注意義務違反を判断する重要な事情と考えるべきである(「岳人」2006年9月号172頁参照)。
 もっとも、ツアー登山においては、契約に基づいてツアーガイドが案内することが前提となっているので、参加者の危険の承認はあくまでツアーガイドの安全配慮義務を前提としたものとなる。そこでは、ガイドが一般的なレベルの能力、技術、経験を有し、ガイドとしての一般的なレベルの安全配慮義務を尽くすことを前提としたうえで、それでも通常予想される程度の危険は参加者が承認しているとみなされる。
 例えば、冬に北アルプスの登山を行うのであれば、参加者は冬山の寒気や危険を承認して参加したものとみなされる。冬山など自然の持つ危険性は、ガイドがついていてもいなくても変わりはないからである。したがって、通常程度の冬山の風雪の中で疲労と寒さのために体力を消耗し、悪天候による停滞中に疲労凍死したとしても自己責任である。また、天候が悪化したために、荒れ狂う風雪の中を下山中に動けなくなり、凍死しても自己責任とされる場合が多いだろう。もっとも、このような事態をガイドが容易に予見できるだけの事情があり、容易に回避できるような状況があれば、ガイドが予見義務違反、結果回避義務違反の責任を問われることがある。
 では、風雪が強い中で冬山経験の豊富な客が敢えて登頂することを望み、山頂アタックを試みたが、予想以上の悪天候のために遭難した場合、風雪が強い中で敢えて山頂アタックを試みたガイドに法的責任が生じるだろうか。
 「ガイドは客の安全を守る義務がある」という点を形式的に理解すれば、「現実に天候が悪い中で行動をし、そのために遭難したのだから、遭難を予見することは可能であり、ガイドには登山を中止すべき注意義務があった」と結論づけることは容易だろう。しかし、ここで重要な点は、一定の程度の危険を承認したうえで客が行動を選択した点である。現実には、悪天候は予想以上であり、そのために遭難したのであるが、山岳という自然の持つ危険性を予め正確に予測することは不可能であり、ある程度の冬山経験のある客が悪天候の中で行動することを敢えて選択したことは危険の承認といえる。ただし、ガイドが行動中に遭難の危険を容易に予見できたとすれば、ガイドは途中で登山を中止して下山すべき注意義務を負う。この場合、悪天候の中で登山を決行したことがガイドの過失になるのではなく、遭難の危険を容易に予見できたのに、途中で登山を中止しなかったことが過失となる。
 他方、冬山登山の参加者が初心者であるような場合には、客が「どうしても登りたい」と言っても、天候が悪ければガイドは登山を中止すべき注意義務を負う。この場合、初心者の客が「どうしても登りたい」と言ったとしても、登山の危険性を十分に判断できるだけの能力に欠けるので、公平の見地から危険の承認があったということはできない。
 前記の穂高岳ガイド登山事故では、新雪のラッセルに時間をとられ途中で時間が足りずビバークが避けられなくなったとしても、それは11月の北アルプスでは想定された事態であり、危険の承認の範囲内の行動である。したがって、仮に、ビバーク中に疲労凍死したとしてもガイドの責任を問うことはできない。しかし、時間不足のために予定を変更して雪崩の危険のあるルートを下降することによる危険は、11月の北アルプスの縦走登山では想定外のものである。したがって、この事故により客が遭難したことに危険の承認があったとはいえない。
 唐松岳ガイド登山事故については、悪天候のために下山ルートを見失い、ビバークすることは冬山登山で予想される危険の範囲内のことであり(出発時に、下山ルートを見失う危険を予見することが可能だった場合は別であるが)、ガイドに法的責任は生じないだろう(この事故では死亡したのがガイドなので法的紛争になりにくい)。
 他方、前記の谷川岳ガイド登山事故は残雪期の岩登りであるから、滑落の危険性があることは客も想定しているといえる。ただし、ガイドが滑落することが予見できるような場所でロープをはずすように指示したとすれば、ガイドの安全配慮義務違反が問われることになるが、この事故の具体的状況が不明なので何とも言えない。
 一般的には、悪天候であれば、当然にガイドに登山を中止すべき注意義務を負うというものではない。客にそれなりの体力や技術があれば、少々の悪天候でも登山を安全に実施できないわけではないし(現実に、羊蹄山ツアー登山、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故、白馬岳登山事故でも、遭難することなく行動できた客がいる)、客に悪天候による危険性の承認があれば客の自己責任になるからである。しかし、一般にツアー登山では客はガイドにとって初対面であることが多く、ガイドが客の体力や技術を正確に判断することが難しいことが多いので、ガイドは客にそれほど体力や技術がないことを前提としたうえで行動を考えなくてはならない。少々の悪天候でも行動をすることが許されるのは、ガイドがそれまでに客と行動を共にしたことがあり、客の力量を正確に把握でき、登山の形態や状況から客が登山の危険性を十分に理解し、判断しているとみなすことができる場合に限られる。その場合でも、万一、ガイドの予想に反して客が悪天候に耐えることができず遭難に至ればガイドの判断が的確だったかどうかが法的に問題となるので、ガイドとしては敢えてこのようなリスクを犯さない方が賢明である。
 前記の羊蹄山ツアー登山事故の場合で言えば、台風の通過直後であり、登山当日は悪天候が予想され、出発前に2人の客は登山を断念した。他の客は参加することにしたのだが、参加者はある程度の悪天候を予想していたと言え、その限りでは出発時点では一定の危険を承認していたとみなされる。しかし、9合目付近で風速毎秒15メートルくらいあり、パーティーが崩壊状態となったのであるから、そのままでは安全に客をガイドできないことをツアーガイドは予見できたはずである。この時点で、登山を続行するか、あるいは、どのように行動すべきかはツアーガイドの判断によって決定されるべきことであり、客には選択すべき能力もそれだけの状況にもなかった。そのまま登山を続行したことは極めて危険なことであったが、それを客が自ら決定したとして危険の承認があったと言うことはできない。
 要するに、羊蹄山ツアー登山事故の場合には、死亡した客は出発時における悪天候による一定の危険を承認していたが、9合目付近ではガイドに全面的に頼るしかなく、山頂付近での客の行動は自己決定に基づく危険の承認があったとはいえない。
 なお、このケースではガイドに安全配慮義務違反があるのだが、現実には、客が出発時において予想される悪天候による登山の危険を認識していたとは思えないフシがある。余りにも安易に旅行会社主催のツアー登山に参加する傾向が問題とされている(これはガイドの責任とは全く別の問題である)。地図、磁石、雨具、ヘッドランプ、非常食等を持たないツアー登山参加者は参加する資格がないのだが、添乗員が大の大人を相手に所持品検査はできず、、せいぜい、「雨具、ヘッドランプをちゃんと持っていますね?」と言うくらいのことしかできないのが現実でだろう。天候のよいときであれば添乗員でも安全にガイドできるかもしれないが、悪天候や降雪があった時に、添乗員にそのような登山の経験がなければ十分に対応できないし、あるいは、客が崖から転落しかかったような場合に添乗員が適切に救助できる技術を持っているとは思えない。添乗員によるツアー登山の場合、そのような危険を了解したうえで参加するという自覚が必要である。仮にガイドに安全配慮義務違反の責任が生じたとしても、失われた自分の命は戻ってこないのであり、登山者には、「いざとなれば、自分の命は自分で守る」という自覚が必要である。
 羊蹄山ツアー登山事故、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故は、いずれも、ガイドが、客の体力やルートファインデイング能力を見誤ったことが遭難に繋がっている。「この程度であれば、この客はついてこれるはずだ」とか、「この客はまだ歩けるはず」とガイドは考えたのだが、それに反して客の状態はもっと悪かった。ガイドはその客とほとんど初対面であるにもかかわらず、なぜ、そこまで客の能力を過信することができたのだろうか。恐らく、トムラウシ・ツアー登山事故の場合には、「できれば、他の客を登らせてやりたい」などのガイドの心理が働いたのではないかと思われる。羊蹄山ツアー登山事故の場合には、最初に登頂したのは添乗員と客1人だったという状況からすれば、この添乗員自身が個人的にどうしても登頂したかったのではないかと思われるフシがある。
 ガイドは、客の能力を冷静に観察し、判断に迷えば、客の登山能力を低めに見積もって判断すべきである。
 ガイドが下山を決定したにも関わらず、客がそれを無視して登山を続行する場合は、その後の客の自己責任に属する。あるいは、ガイドが雨具を付けるように客に指示したにも関わらず、雨具を着用しない場合には、それは客の自己責任に基づく行動である。
 ガイドと客が冬の岩壁登攀をするようなガイド登山とか、ヒマラヤの高峰のガイド登山など極めて危険性の高い登山では、ガイドが客の安全を確保することが困難なことが多いので、客の自己責任の範囲が広くなる。」

 「自分の命は自分で守る」自覚が必要。

 登山には超法規的な部分がある。そう思う。細かいルールを決めておいても、現場で守りきれるかどうかは分からない。

 遺族の心を慮って提案すると・・・。
①可能ならば同じ山にツアー登山で登ってみる。
②なぜこんな最果ての山に登りたがったのか故人を理解してあげる。
③同行者と友達になって登山者の心理を理解する。

 旅行会社を叩いても癒されるだろうか。
 本来は、旅行会社、リーダーは利用した登山者から感謝されていいはずだ。こんなところへ連れて来てもらってありがとう、というべきだった。事故になると一転して、豹変する。山に登るには普段と違う服装や持ち物を持つことになる。そのへんから理解していって欲しいと思う。バスツアーのツアーとは違うのだ。

 登山界では百名山を求めてツアー登山する登山者は批判の的になっている。いささか古いが、朝日新聞記者だった本多勝一氏、医師で登山家の原真氏(故人)らは自著で百名山登山を批判している。今はこんな筋金入りの批評家は居なくなったように思う。
 元々『日本百名山』は登ってください、という意味で書かれたわけではない。山の雑誌が特集したり、NHKがTVで放映し、ビデオも販売して一般登山者にも広まっていった。映像を見れば「わっ登りたい」といつしか、それがブームになって、自分の力量もわきまえずに、ツアー登山に参加して行く人が激増していった。そうした背景での事故発生である。

 今も、私の会の人らが北海道の斜里岳などに遠征している。昨年、斜里岳の登山口まで行って泊まったが、雨で決行を断念したからだ。私も判断を求められて困った。午前3時、昨夜は海辺の灯りが見えたが、今は見えないので、中止、と宣言した。
 昨年は雨でも観光バスをチャーターしたツアー登山客がずぶ濡れで下山してきた。雨だからといって中止をするとクレームになるそうだ。雨で地盤が緩むと動かない岩も動くし、崩落もある。山では何が起きても不思議ではないと心得たものが参加するべきだろう。
 今後、大きな遭難事故が起きないことを祈るばかりである。