石一郎さん死去!2012年03月23日

 中日新聞、朝日新聞ともに朝刊の訃報欄で英文学者の石一郎さんの死去を報じた。享年100歳だった。ウインパーの『アルプス登攀記』などの翻訳で知られた。山岳雑誌「岳人」のバックナンバーにも寄稿が見られる。
 日本山岳会の機関紙『山岳』No105(2010年)にある人の追悼文を寄稿した。略歴を調べていて石一郎さんが戦前の日本山岳会会員と知った。その方も享年98歳だったから同じ年だったことになる。昭和17年に200名くらいが大量入会していて、ほとんどは鬼籍に入られた人ばかりであるが失礼があってはいけないので存命かどうかを確認した。石一郎さんは存命と知って驚いたことを思い出す。
 昨年4月末にも旧小原村(現在の豊田市)にある俳人・杉田久女の墓を訪ねた。隣には娘の石昌子さんの墓が新しく建立されていた。2007年1月29日に亡くなられた。享年95歳と長命であった。石昌子こそ一郎さんの妻であった。

第13回岳人写真展のご案内ー作品紹介2012年03月23日

作品名「春の虎子山」
 虎子山と書いてトラスと読ませる。地形図では無名であるが今西錦司氏が干支の山に登るテーマで探された山だった。滋賀県と岐阜県境の山である。
 ある年の2月、未明に国見岳スキーの外れの国見峠への道を出発。峠に着いて登り始めると、東の空が明るみ出した。春暁である。順々に明るくなると雪面に真横から光が差す。それがダイアモンドの粒をばら撒いたように輝いた。折しも先行者が雪の泡をすり抜けて蒼天に登らんとする一瞬を捉えた。
 虎子山を経てブンゲン、貝月山とツアーする予定だったが雪が腐って滑走が困難だったため、日越峠の手前の尾根から急峻な谷底に下って登山口に戻った。山道は不明であったため、谷底に降りたりして大変に苦労したが12時間後には戻れた思い出のスキーツアーだった。

岳人写真展は3/25まで開催中!

第13回岳人写真展のご案内ー作品紹介2012年03月23日

御在所・藤内・一の壁
 自分として珍しく一の壁でロッククライミングを楽しんだ。本当は未踏の前尾根を登ってみたかったがパーティが混んでいて転戦した結果一の壁になった。こんなすっきりした岩壁があろうとは知らなかった。あの日立ち寄った藤内小屋も未曾有の大規模災害で流失して新たな小屋が再建された。あれ以来、行っていない。

岳人写真展は3/25まで開催中!