御池岳今昔2012年02月21日

 25歳(1975年)くらいのとき、朝日新聞社と鉄道会社が組んで鈴鹿セブンマウンテンなる催事をやっていた。7座を終えて残ったのが御池岳だった。 
 年配の友人にいうと俺が同行してやるというので近鉄、北勢線を乗り継いで山口のバス停からキスリングに重い食糧などを詰めて担いで歩き始めた。
 R306は当時、工事中で未舗装だった。コグルミ谷登山口まで来たものの天気が悪いので入山はしなかった。道路わきの工事用の小屋の中にツエルトを張って過ごした。
 翌日も翌々日も雨だった。一日に1台くらいは車が通るので止めて事情を聞いた。仕方ないのでツエルトの中で世間話をしながらついに三日間過ごして帰った。その後別の友人と真の谷で一泊して念願の登頂を果たした。ボタンブチへは笹をもぐって行った。
 あれから30年以上は経過した。『花の百名山』1980年が出版されて脚光を浴びる山に豹変してしまった。まず藤原岳がにぎわう山になった。元々人気が高かったがよりにぎわうようになった。周辺は駐車場だらけになった。しかも有料である。
 そして御池岳である。1987年には西尾寿一『鈴鹿の山と谷』が出版された。古い山道、谷歩きのバリエーションが一気に紹介された。ガイドブックの一般ルートに飽き足らない人たちのバイブルになった。
 1995年には近藤郁夫『広芒の山 御池岳 雫物語』が出版されて評判を呼んだ。以後も何冊か続刊が出た。近藤さんのファンが自然にできていった。登るだけではない山の楽しみ方のバリエーションができたのだった。近藤自然学ということか。
 こうして池巡り、谷の遡行、藪に埋まる古道の探索など縦横に登られる時代になった。あちこちに踏み跡がついて目印もできた。もう秘境とは呼べないほどだ。GWのR306は駐車場と化す。
 但し、冬のシーズンだけが静寂を今に保つ。藤原岳の賑わいをよそに御池岳の冬はまだ足を踏み入れる人が少ない。2/11にNさんと遭った人は1名しかおらず、2/12に見た人もいない。御池岳に行かれた人も2名くらいか。ほんとに少ない。秘境を取り戻す時期だ。
 しかし、3月になり、雨が降ると雪はあっという間に解けてゆく。ユキワリソウ、フクジュソウ、ニリンソウ、ヒトリシズカなどの山野草を求めて入山者が増えてゆく。ドリーネは水を湛えて生気を取り戻すかのようだ。モリアオガエルが卵を産み付けると短い夏がくる。ホトトギス、カッコウが鳴き、ウグイスが抱卵する。
 要するに御池岳は登るだけでなく癒しの山なのである。