続・藤原岳行方不明者の捜索2012年02月18日

 未明の4時半、御器所にてO氏らと落ち合い、東別院ICから桑名ICまで走る。かなり早く着いたのでいなべ市で早い朝食を摂り、大貝戸の小屋に向かう。薄っすらと雪があるが問題ない。小屋は照明が点かず、暗いまま。中へ入ると協力を呼びかけたYさんが先着して準備中だった。
 いなべ署、三重岳連など関係者が続々集まりだして緊張の面持ちでメンバーを掌握していく。今日は16名が揃った。ほかにも記名されない人も含むと20名は居られよう。内14名3台でコグルミ谷登山口を目指す。他は滋賀県側に向かうらしい。
 R306は冬季通行止めであるがゲートを開放してもらう。除雪されないので4WD+スタッドレスタイヤでも滑る。パートタイム4WDなので1輪が滑っても3輪が接地しておれば尻を振りながらでも何とか進める。リーダーの車はFF系の乗用車4WDで4輪独立懸架のせいか、接地性、直進性が良い感じでスイスイ走っている。
 コグルミ谷付近までフラフラしながら進めた。そこにPしてから14名でとりあえず、歩き、リーダーパーティー7名は県境稜線につながる無名の尾根に取り付く。残り7名の我々はそのまま進み、鞍掛峠に向かった。トンネル手前から峠道に入る。
 入り口付近に設置された登山届けを探るとなんと捜索中の人の登山届けと下山届けを発見し、回収した。それは2/11.2/12の10日前の日付だった。ここから鈴北岳、御池岳を目指したが下山届では途中の小ピーク1056mで引き返したようだ。偵察山行だったのか。ゲートから歩けばそれだけで体力を消耗することを知ったか。
 実際登ってみると、夏は樹林の中の細道であるが積雪期は想像以上に広い尾根になる。スキーが使えるほどである。ガスられると帰路はルートを見失うだろう。この見分から藤原~御池縦走にしたのかも知れない。ただ、ここでは登山計画書がきれいなPCで作成されているのに今回の登山は出ていないのは何故だろう。知らないわけじゃないのだ。
 新雪の広い尾根を登るが途中から無線で連絡しあい、タテ谷に下ってリーダーパーティーと合流した。しばらく登ると谷幅一杯に雪崩れの跡がある。リーダーの指示でゾンデ棒を数本出して、上方へ20mくらい、雪面に差しこみながら横一列に進む。ここに不明者が埋まっていないか探索した。ゾンデ棒が途中で止まると異物があるということでスコップで掘り進む。みな雪崩で流された木屑だった。
 ここから鈴北岳に向かう。この辺はかつてスキー場として開発計画があった場所だった。素晴らしいゲレンデになるだろう。しかし、自然保護の高まりでつぶれたが良かった。
 鈴北岳は風当たりのきついピークだった。指先が冷える。ここから御池岳は目前に座す。周囲は夏ならば水を湛えたドリーネの点在する自然境である。日本庭園の名前もある。今は樹氷の美しい別天地になっている。厳しい冬の季節風がもたらした美を不明者も堪能されたであろう。
 御池岳に立ってから鈴北岳にも来たのだろうか。鞍掛峠への下山は止めたと思う。登ってきての直感であるが・・・。コグルミ谷道を下山すればいち早く、安全圏に出られるが長い車道を歩かねばならない。冗長な車道あるきは避けたいだろうに。
 今日の我々は鈴北岳南東の県境にあるコブからそれぞれの尾根を3班に分けて下ってみた。最後はコグルミ谷道に合流したが手がかりはなかった。
 やはり、白船峠を越えて坂本へ下ったか。坂本谷は下山ルートとして良くない、と知っていたと思う。2/16は送電鉄塔の道を下ってみたが何も見つけられなかった。
 残るルートはそのまま大貝戸へ戻ることになる。そこで聖宝寺ルート経由が浮かぶ。597mの独立標高点のある広い尾根への迷い込みが気になってくる。このような微地形を積雪期に正しくRFできるのか。赤テープなどのマーキングがあればいいが・・・。
 2/19は聖宝寺道も捜索されよう。間違って茨川へ下れば治田峠経由で三重県側に戻ることもあろうか。結果として御池藤原の全ルートを捜索することになる。
 いなべ署の警察官の話では捜索願いのあった登山者の95%が登山計画書なし、単独行の高確率になるという。
 私の捜索協力も今回で終える。最後に何時かはわが身にとの思いから名古屋山岳会の設立者にして会長だった跡部昌三の言葉を掲載させてもらおう。
 「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
 「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」