雪の五箇山から飛騨路ドライブ2012年02月13日

 2/11から2/12にかけて五箇山の大滝山スキー登山を目指したが降雪に断念した。
 2/11、6時W君宅を出発。東海北陸道を走る。各務原で渋滞につかまる。美濃ICで降りて、R156を走り、高速の状況を見て郡上八幡ICから入りなおす。渋滞をスルーできてスイスイ走れる。
 五箇山ICで降りて、まずは登山口の猪谷を目指した。地形図では大滝山の長大な尾根が猪谷へと下っている。小原橋を過ぎて、皆葎(みなむくら)という珍名しい地名のムラを右折。庄川の橋を渡ったところが猪谷で、三十戸もあろうか。大滝山の北東尾根の斜面に点在する山村である。平地は少しも無い。
 天気予報では曇りのち晴れであったが朝からよく晴れて雪の散乱反射で眩しい。そんな中で屋根の雪下ろしをしている光景が多かった。奥までいくと嫗が屋根に上り、長靴姿で雪下ろしをしているのには驚いた。少し会釈した。
 雪国に生まれ、雪遊びをして、雪の中で育った。雪と闘いながらもたくましく生きる。雪のない季節は冬の準備のために費やす。そんな人々が今も住む。
 奥まで行って引き返し、登る尾根の入り口を偵察した。見当はついたが今度はビバークの場所選定に迷った。生活圏は避けたい。さりとて、平地がないので道の駅にした。暖房トイレもあるし、軒先もある。
 ここまで来たからにはと、上梨の山崎富美男氏を訪ねた。8年前に胃を患ったが今は治癒している。観光客が減って土産物屋の店も仕舞った。五箇山の世界遺産指定は追い風にはならなかったようだ。それでもかえって山崎さんの存在感は高まっているようでもある。ここへ来るのは人形山への登山客と自然を愛する人らだけであるから山小屋の建設維持をしてインフラ整備に力を入れる。登山道のない笈ヶ岳には10回は登ったという。今も山崎さんを慕ってくるようだ。
 長話を打ち切ってR156を戻る。まだ時間が有るのでタカンボー山1120mのタカンボースキー場でゲレンデスキーをした。ブナ林を配置していて中々いい感じだ。リフト最上部からは対岸の大滝山が反射板を置いてよく見える。その奥が人形山、更に奥に突起が見えるのは籾糠山、隣が猿ヶ馬場山だ。目を転じると石川/富山県境の猿ヶ山も見える。赤尾からスキー向きの長い尾根を垂らしている。県境稜線もスキーを走らせたいなだらかな感じである。
 営業時間が来て、打ち切った。スキー後はくろば温泉に行く。熱めのいいお湯だった。道の駅に戻って車の隣にテントを張る。W君の用意した天津鍋(点心)を賞味した。
 2/12、2時半に隣の車が出発していった。外に出るとちらちら雪が舞っている。今日は雪か。そのうちに除雪機も出動していった。われわれも4時には起きた。鍋の残り汁に白菜、うどんを入れて朝食をとる。その間に今日の行動を相談。登山は中止した。昨日の地元の人の話ではこの時期に登る人は居ない、お前たち雪と心中するなよ、と忠告してくれたこともある。
 テントを撤収して、車に積み込む。周りは20センチの積雪だ。早朝からでもこれだけ積もる。路上にも真っ白に積もった。
 目指すは八尾町にした。W君の友人が関東からふるさとの八尾の家に帰るから会いたいという希望と八尾にあるという樹齢200年の辛夷の大樹を見たい希望が一致した。
 富山駅で10時半に落ち合い、八尾の父親宅に同行した。親はホームに居て、留守宅とのこと。堆く積もった雪で軒先が曲がっている。住まない家は傷みやすいとはいうが悲しい。
 W君との話を又聞きすると「帰らんちゃよか」の歌の歌詞ではないが
 ♪心配せんでよか心配せんでよか
   親のためにお前の生き方かえんでよか
   どうせおれたちゃ先に逝くとやけん
   おまえの思うたとおりに生きたらよか♪   
http://www.youtube.com/watch?v=ZNmZmHhSUAU&feature=related
 多額の学費を出して大学を出させたものの関東圏に居ついてしまい、帰らなければいずれ廃屋になる。売却すれば故郷の拠点は墓だけになる。叔父や叔母も死んでいけば、ああ、まるで歌に聞く「おさらば故郷さん」だ。
 http://www.youtube.com/watch?v=_89nfnMixc0
 高齢の父親に幸せあれと祈り、W君の友人と別れた。
 もう一つの目的だった辛夷の大樹は場所がうろ覚えで探せなかった。帰宅後、角間の八幡社と知ってがっくり。若宮八幡宮を訪ねておいてはあるわけがない。
 R41を忠実に走って高山に向かう。車窓からは黒部五郎岳、薬師岳、御岳、乗鞍岳、笠ヶ岳など北アルプスの貴婦人のような美しい雪嶺を眺めることができた。
 飛騨路を堪能して帰名したのは午後9時半だった。