天白川俳句会第一回俳話会2010年06月01日

 去る5/8に新発足した天白川俳句会の第一回目の俳話会を植田駅まえのキャッツカフェで開いた。13時30分から約2時間たっぷり作品の相互句評を行った。初心者からベテランまで4名の参加であった。
 以下は10句持ち寄った中から5句を選び、2名以上の選句になった作品。◎は3句の選が集まった。
 Sさん 
 おおばこをしごいてこぼすおままごと

 マンションの木陰に倒れシャガの花

 ◎薬学部の窓を見上げる朴の花

 ◎百合の蕊白きものらに色移し

 清流に身をみがかれて山葵の花

 日の隅に子猫じゃれあふ立夏かな

 Hさん
 ◎吊り尾根の残雪きらり日を返す

 ◎まんさくの黄に目覚めし尾根の路 

 一山の若葉を池に風さわぐ

 ででむしの殻真新し雨の磴

 庭失くす更地の空白若葉風

 Nさん
 よき仕事われに与へよ啄木忌

 味噌汁のきぬさやの色たしかなる

 代馬が見へて信濃の立夏かな

 夏燕子育てのげに忙しき

 ◎菜の花の畑の彼方に鹿島槍

 ◎大木の桐の花咲くお城跡

 Kさん
 とぶ鳥もあと追ふ鳥も春陽中

 遠山も春陽あまねし木曽の領

 老いの家に人たずね来し梅の花

 老境にはげめとしとど花ふぶき

 (Kさんは出句が18句の多いために分散し◎はなかった)

鈴鹿・佐目子谷からイブネ・クラシ・銚子ヶ口縦走2010年06月07日

 名古屋の金山駅前を午前7時30分に出発。桑名IC経由鞍掛トンネルを通過して滋賀県入りした。R365から県道34に左折。犬上川に沿う山間部を走る。筒井峠を越えると御池川水系に変わる。犬上では主に川に近い民家が多かったがこちらでは山の斜面に張り付いて建っている。
 予定では佐目子谷を遡行してイブネ・クラシに登り、銚子ヶ口から杠葉尾に下山。そのために下山予定地に車をデポした。登山口の佐目子谷は今は佐目町である。地名の語源を調べると谷川の出口、またはそこに開墾した土地の意味であった。R365の沿線にも同じ地名があった。
 Pで身支度して出発。二日分のザックはやはり重い。林道をしばらく歩くとすぐに谷の左岸の山道となるが一部は崩壊している。遭難碑のあるところで沢装備に切り替えてもらう。水量はずいぶん少なく感じた。しばらく降雨がないせいだろう。したがって川通しに歩いた。入り口では信じられない広大な沖積平野が拡がる。ほとんど高度の上がらない遡行を続けた。川幅が狭まるとほどなくして姫ヶ滝に着いた。ここで昼食とした。食後は滝を見学する。
 大きな岩が散乱する谷をぬっていくと落差4Mほどの滝に遭遇。ここは左岸にいい巻き道がついている。但し下るときはシュリンゲで確保した。中高年の骨は脆く、ザックを背負ってちょっとしたショックでも骨折がありうるからだ。高巻きはここだけで後は大した難場はない。
 谷を詰めていくと立ちはじめた。高度計でチエックしながら約800M地点をビバーク地とした。5人がめいめいツエルトを張る。食事も各自準備した。共同作業は焚き火の枯れ木集めだけである。まだ明るいが着火すると簡単に燃え上がった。するとみな集まってきた。濡れたものを乾かし、お湯を沸かして食事する。
 午後7時過ぎてようやく暗くなり始めた。ツエルトにもぐると谷の響だけが耳に聞こえた。遠くでは鹿が鳴いている。
 昨年の秋もこの辺りでビバークしたはずであるが雰囲気はまるで違った。今は緑が美しい。青葉若葉の谷である。
 6/64時に起きた。寒い一夜だった。しかし衣類は乾き、焚き火のお陰でぐっすり眠れた。ツエルト内でうどんを作って食べた。他の連中はもうツエルト畳んでいた。それから食事の用意であった。私とは逆である。
 濡れた沢シューズを履いて6時出発。地形図とにらめっこしながら佐目峠を目指した。昨年はチョウシを目指して途中で左折した。それらしいところをチエック。水量は減ったが絶えることがない。山道として理想的なルートであった。かつては登山地図に赤い破線路は表現されていたが今はもう踏み跡も定かではない。消滅したといってもいい。
 源流の果てには明るい空が見えた。峠が近いようだ。水量もついに絶えて峠の約30M北に着いた。今はもう誰一人旅人の通らない廃峠である。大きな岩に佐目峠の古い道標が無ければ誰も知らずに通過するだけであろう。
 峠からはイブネを目指した。そして冷涼な空気のさわやかな高原を味わった。イブネ北峰、クラシと縦走した。さて大峠を目指した。地形図を見てよく確かめたのであるが近くの尾根-谷尻谷から登ってくる尾根の赤テープに誘い込まれてしまった。
 約30分もしただろう。何か違う。見えるはずの無い山が見える。途中で出会った関西のパーティがお金峠から登ってきた、と言ったことを思い出した。高度計でも少し下りすぎと思われた。
 クラシ尾根に入ってしまったのだ。約40分でクラシ分岐に戻り、独立標高点の1145Mまで戻って稜線の分岐からつながりを確かめた。古びた道標が「まだまだ君たちは未熟だね」と言っているように見えた。
 クラシに来るとき枯れ木を払いのける反動で下顎をしたたかに打って口からの出血に驚き、手当てをしていた場所だった。重要な分岐を気が動転した状態で何気なく通過してしまったがメンバーの一人がこの道標を記憶していた。クラシ尾根に迷い込む前にもこの人は主張したのだが赤テープを見るとノーチエックでミスったのである。
 正しい分岐に戻り、縦走路に入るとクラシ尾根と良く似ていると感じた。もしも霧の中ならそのままワサビ峠まで下ったかも知れない。フナクボで一休みし、大峠をパスした。銚子ヶ口の三角点も踏んだ。これでもうガイドにもある登山道だから安心と下った。しかし、2回目のミスが待っていた。尾根から沢に下るところで直角に曲がった。しかし、地形図で尾根通しのはずという声。尾根に入るとたしかな踏み跡はある。すぐに意外なものが見えた。モノレールである。しかも大変急だった。
 ああ、これは違うな、と思ったが下ってみた。案の定風越谷に下る尾根であった。初心者がおれば戻った。それが原則であるが今日のメンバーには思い込みの危険を学習してもらった。クラシ尾根では地形図を充分チエックしなかった反省から今回は地形にこだわった。しかし、この道は整備された登山道なので素直に道標に従えばよかったのだ。 
 林道に下り、神崎川沿いの車道にでた。デポした車に着いたのは午後4時だった。10時間の行動であった。またもとの道を戻っていなべ市のあじさいの湯で汗を流した。
 反省点は多々あるがまずは無事に下山できたことを喜びたい。心配していた蛭も居なかった。メンバーには二日前からアルコールを絶て、といっておいたので被害はゼロ。私は他人にはいいながら自分では飲んでいたから1145Mでスパッツを外したら大きな蛭がころっと落ちた。パンツが血まみれであった。顎を打っての出血と蛭での出血で二重の遭難であった。

青葉谷吟行2010年06月10日

六月や遭難碑より谷通し

見る限り青葉若葉の佐目子谷

谷深く溯るなり遠郭公

若葉なる衣で覆うや姫ヶ滝

滝つぼの深みに入り撮影す

寂しさに鳴く六月の夜の鹿

緑陰に忘れられゆく佐目峠

イブネより御在所見れば夏の雲

フナクボに憩うやブナの夏木立

山蛭が丸々太り落ちにけり

入湯後まずソーダ水を飲みにけり

今西錦司氏を偲ぶ会参加2010年06月14日

 JAC京都支部主催の今西錦司氏を偲ぶ会が執り行われた。以前から参加してみたいと考えていたので友人を通じて申し込んでおいた。
 6/12、9:30頃名神高速から京都へ行く。ラジオでは新名神の渋滞が早朝から始っていたからだ。しかし、こちらも一宮ICまでは渋滞気味であった。梅雨入りまえの行楽であろうか。
 京都南ICへは11:30頃着いた。ここから北へほぼまっすぐ走る。待ち合わせの府立植物園前に着いたが時間はたっぷりあるのでレストランで食事をすます。
 14:00きっかり3台で分乗して会場へ向かった。場所は北山荘である。中津川林道の悪路をロデオまがいで走ると終点。ザックに荷物をパッキングして運んだ。途中に氏のレリーフが岩にはめ込まれていた。少し奥に北山荘はあった。杉の皮葺き、杉の丸太作りでいかにも京都北山の風情がある。天井には煙抜きの突起がある。
 中は中央に炉が設えてあった。奥の寝室向きの中二階の構造である。参加者は20名に満たない十数名であったが胡坐を書いて座ると一杯である。横になるなら定員30名かな。
 幅1mほどの小谷が流れ、水場にはクリンソウが綺麗に咲く。周囲はタニウツギが小さな花を咲かせる。隣はもう散っているがこちらは成長が遅かったようだ。沢ぐるみが一本大きく育っている。大体は落葉樹林の植生である。
 夕方になって今夜の主役のT氏が登ってこられた。またS元会長も登って来られて顔ぶれは揃った。
 皆が小屋に入り、缶ビールが配られ、つまみの料理も出てきた。T氏の今西さんの昔話に花が咲く。セレモニーが一通り終わるとくだけた話に移る。酔いも回る。いつしか10時も過ぎてお開きとした。
 6/13は今にも泣き出しそうな空模様に予定を早めた。7時に小屋を出て今西さんのレリーフに戻る形で勢ぞろいした。献花、献杯、合唱、あいさつなどのセレモニーを済ます。これで終了となった。
 今西さんが亡くなってはや18年経過した。s元会長の話では今の学生で今西さんの名前を知る人が少なくなったそうだ。生物の多様性の分野では先取りしていたような学者であるが最近の新聞報道でも名前が載る事はないから若い新聞記者でももう忘れられているかに思う。

今西忌を詠む2010年06月16日

かげろうとはトンボの古称。今西さんは少年時代に加茂川でかげろうの研究をした。これが生態研究の端緒になったという。

蜻蛉生る古都加茂川のみなもとへ

緑陰や師のレリーフに手を合わす

クリンソウ谷の水場を欲しいまま

師を偲ぶ北山荘や登山小屋

山水に浸すビールの冷たさよ

今西忌酒もて修す山の中

散骨の友を弔う夏木立

丸の内事務所完成2010年06月26日

 定年後の行き方として○○書士事務所を開設することになった。自宅開業で準備にかかろうとしたが膨大な書籍を外部で保管する必要に迫られた。自宅外に家賃が発生しては同じことである。開業指導の本には自宅開業が適切とはあるが一戸建てなら融通がきくが拡張性のないマンションでは限界があるということを痛感した。
 そこで悩んでいたら仲間内から中区丸の内の物件を紹介された。築年数が古く見栄えは悪いが一等地である。周囲には小奇麗な弁護士事務所が群居している。6坪と事務所にはほどほどの広さはある。色々注文を出してドア、床、キッチンなどを改装してもらうと見違えるようにきれいになった。これで6月から入居した。ガス、電気の契約、書棚搬入据付、エアコン工事、中古で目処をつけておいたオフィス家具搬入、電話工事と進んだ。所属する上部団体への登録申請、会費も払った。
 思いがけないこともあった。電話工事では光ファイバーが導入できなかった。已む無くADSLにした。丸の内界隈は電柱を埋設したのですべては地中にある。ビルが古いと大掛かりな工事が必要であった。歴史の浅い光は古いビルでは対応してなかったのだ。昨日ヤフーからモデムが届いたので導入してみるとやや遅れる程度であった。何とか使えるだろう。
 インターネット環境が整ってあとは開業許可を待つばかりとなった。その間にやらねばならないことは結構ある。まずは営業マン代わりになるホームページの作成がある。商品構成、価格体系、その他もろもろある。許可が出るまでは名刺、事務所名入り封筒、ハンコ、看板なども作れないし出せない。
 事務所の壁には油絵も購入した。一番高い出費となったが山の絵を描くSさんの白馬三山の見事な絵である。Sさん69歳の時の作品という。この数年いつも観てきた風景である。殺伐とした事務所ながら癒される風景がいつもある。

株主総会出席2010年06月29日

 今日は10時から2社所有している会社のうちC社の総会に出向いた。売上はなんと前年比半減、当然赤字で無配転落である。ついに名門企業からただの零細な会社に転落した感がある。報告書には原価低減、経費節減と決まったような文句が書いてあるがタダ同然の地価の安い資産を持つがゆえに緊迫感は伝わってこない。
 売上高でも非上場の前勤務先の方がよく無借金経営、支店、営業所などの拠点を持たない、工場もないからコストダウンの必要がない。これくらい柔軟な経営方法はないだろう。営業社員は全国の得意先に出張で出かけるから営業経費は旅費だけ。業種が違うから一概には言えないが。生産も図面を書いて下請けに渡すから工場経費はゼロである。こうした経費の差が収益力の差に出てくる。
 トヨタのカンバン方式はカネのないトヨタが零細な企業のやり方を採用しただけで特別に優れたアイデアでもなんでもない。トヨタは収益力を高めるために徹底して零細な企業の視点で経営してきたのだ。収益が多くなれば借金も返せるから朝鮮動乱の特需を機によみがえることができた。石田退三がやったのはコストダウンであった。
 C社に必要なことは細かな経費節減ではもう追いつけないところまできている。株主として「本社屋売却、東京支店、大阪支店の撤退」を検討せよと発言しておいた。社員株主がほとんどの中で勇気がいったが言うときには言っておかねばならない。
 地価の安い所有地を担保に銀行借り入れを増やせても収益力がなければ返済不能でやがては行き詰まる。名門企業は銀行も守ってくれるが銀行管理になってよみがえった企業はほとんどない。よみがえってももはやオーナーの手からは離れるだろう。ここ2年から3年が正念場を迎えるだろう。銀行借入が売上の半分になれば本社売却は必至、上場廃止も視野に入る。流動性のない株はますます売れず多くの関係者が損をする。来期は上向くらしいのでキープするが。
 社長になって2年目の若い世襲経営者には荷が重い。多国籍企業のIBMにいたというが社会の変化と対応に遅れてマイクロソフト社と反比例するように落ちぶれた米国きっての名門企業で何かを学んでいただろうか。
 同じく名門企業の富士重工業が赤字に悩み、無配だったところへ日産から送り込まれた経営者がやったことは徹底した工場のコストダウンだった。レガシーのヒットで息を吹き返した。その日産へもまたゴーンが送り込まれてやったことは徹底したコストダウンである。経費というものはいつの間にか知らずに増えていくものである。
 入るを計り出るを制す、という会計の基本だけが今も金字塔のように輝く。稲盛さんが日航でやることも決してあっと驚くアイデアではなく地味な会計の基本の徹底である。それしかないのだ。