飛騨の山歩き 4座2009年10月12日

安房山からの穂高連峰と上高地

           10/10 福地山1671.7m

 10/10から10/12はGW,SWに続いてブロンズウィークというらしい。金、銀、銅の順である。銅の英語はコッパーであるがオリンピックで渡す銅メダルは青銅だという。だからブロンズになるというのだ。
 BWの初日はKさん宅を午前6時に出発する。目的地は飛騨の山。朝発では現地着は遅いので先ず福地山を登る。北アルプスの展望が売り物の山で登山道は近年の開削らしい。
 9:50に朝市のPから出発。古い案内板にしたがって歩き出す。最初は杉林をジグザグに登るが次第に雑木林に変わる。黄葉にはまだ早い。早くも汗が出てくるので調節のためにシャツ1枚になる。ジグザグを繰り返しながら高度を上げると焼岳2393mが見えてきた。山腹から白い噴煙を出している。穂高は厚い雲が閉ざすので遠望は効かず。笠ヶ岳ももちろん雲が閉ざす。山頂には沢山のハイカーが到着して食事中であった。一応は三角点にあいさつするが先行者の食事の飯台代わりに使われていた。山頂から高原川の付近にきれいな虹が浮んだ。しかし、ダイナミックな展望なくしてはただ登っただけの福地山である。
 同行者は山栗を拾いながら下ったので大変遅かった。明日の登山に備えてテント場を探したが適地は得られないので止むを得ず、国道から隠れた空き地で一夜を過ごす。
 
           10/11 安房山2219.4m

 朝4時30分起床。手早く朝食をとり、現地を出る。平湯に戻る。R158から安房峠(1790m)を目指す。一度はバスで越えた気がするがもう記憶はない。黄葉には早いが最盛期は素晴らしいだろう。安房峠へは道も急に細くなる。峠を6:40に出発。巨大な円筒形の建物のための歩道を歩く。カメラマンがシャッターチャンスを待機中であった。
 施設を過ぎると途端に山道になるが登山者向きの登山道ではないので荒れた感じである。斜面を横切ると尾根を忠実に辿る道を攀じ登る感じだ。縄梯子、トラロープのフィックスなどに頼りながらたちまち高度が上がる。ササヤブの切れ目からは目前の焼岳2393m(△2455.4m)、白谷山2188m、アカンダナ山2109.4m、槍、穂高連峰(西穂から奥穂、前穂と連なる)、霞沢岳2645.6mなどが居並ぶ。地形図のイメージどおりに登る。約1時間30分。意外に短時間であった。笹に囲まれた山頂は三角点はあるが見晴らしは今一なので山上の携帯電話の中継施設への踏み跡を辿る。何の施設なのか外部からは一向に分らない。但し、霞沢岳と西穂2908.6mに囲まれた上高地が穂高連峰とバランスよく配置された景観は絶景である。
 W・ウェストン『日本アルプス 登山と探検』(平凡社ライブラリ)の第五章で平湯から槍ヶ岳に登山のため旧の安房峠(本には1920mとあるが現在の地形図では2010m)を登下降する際に「中部日本で一番よい眺め」「美しいぼかし絵」が現れたと絶賛したあの風景と殆ど変わらないはずである。何枚も撮影した。それくらい美しい。雪を頂けば更に美しいだろう。彼らは安房山と十石山2524.8mの鞍部を越えたのである。踏み跡は施設で終っており、旧安房峠への踏み跡はなかった。私たちは往路をくだった。峠には沢山のマイカーが止まり、写真撮影に余念がなかった。
     
          10/11 キラズ山 1187.8m
 
 安房山を下山してもまだ時間が余る。明日は漆山岳であるが林道や登山道の情報は不明なのでもう一山今日中にやれそうな山座を選定しておいた。即座にヒットしたのは対岸のキラズ山である。『ぎふ百山』と『続・ぎふ百山』には収録されず、『飛騨の百山』『越中の百山』には収録された山である。
 飛越国境で飛騨の最西端という。事前にネットで調べたが現地の登山口が分かりにくい。R41から宮川と高原川が合流する手前を急角度で右折して東猪谷に渡る。まず舟渡で里に建っている大きな案内地図を見るが分らず、草刈の人に聞く。すると舟渡からとか小糸からとか不明瞭な説明であった。舟渡で老婦人に問うと小糸のヤマモトさんちの家を曲がるとか具体的であるがヤマモトちが分らない。とにかく行ってみると三叉路があり、右折する。あとは車道から林道を高みを目指して走った。
 結局林道は631の独立標高点を峠にして下るのみとなり、(広い地形図がないので吉野へ下ることが分からない)631を戻って行く途中、前方に登る枝道と直感。車を置いて長い林道を40分歩き、ネットで見たキラズ山登山口の道標まで来た。ここで後続を待ってまだ走るように登った。刈り払われて歩きやすい。杉林が山頂直下のブナ林まで続いていた。キラズは不伐の意味であるが今は人工林の山である。ブナ林は小規模だがないよりはいい。垂れ下がるロープで引き上げる用にピッチを高めて約35分で着いた。
 三角点の周囲は切り払われて富山湾の方面に眺望が得られた。北への刈り払いもあるので入って見たがどこまでも続く別の道のようである。戻って同行者を待ったが約1時間掛けてのんびり登って来た。下山も飛ばすように下ったが30分と登りと違わない。林道をわき目もせずに歩く。突然カモシカが前に現れて驚いた。5分くらい睨めっこしながら道を譲ってくれるのを待った。下の方へのっそり下って行った。
 そこからはほどなくで車に着く。10分後彼らも着いた。今夜のテント場は先程通過した631の空き地に決めた。もう午後4時を過ぎていたからだった。空き地からも富山湾が見下ろせたし、夜は星座も見えた。明日も天気は良さそうだ。

        10/12 漆山岳 1393.3m

 午前4時30分起床。すぐさま朝食の用意、片付けとやって6時過ぎには出られた。再び小糸、舟渡を通り、対岸のR41へ戻る。すぐに急なカーブで神岡町中山からソンボ谷林道を走る。入口で工事通行止めのバリアがあったが簡単に通過。狭い林道をゆっくり走ると看板どおり工事でUターンして止めた。法面のの増強工事で10/28までの工期であった。
 今日は休日でも祭日は工事をやるので隅っこにきっちり止めた。7:10林道を歩き出すが周囲は自然林ばかりで何のための林道かと疑う。谷の相も美しい。台風直後で増水して水がきれいである。
 いくつかの橋を渡ると水無谷橋の分岐である。ここから尾根を行くか、左折してしばらく林道を歩いてから尾根に取り付くか思案の為所であるが尾根に惹かれる気がして様子見に入る。8:10最初は杉林であるが尾根の取り付きに赤テープがありそれに引かれていくが途中でなくなる。但し、ぶなの原生林が続いて見事なので登って行くと踏み跡らしいものが続くのでこのまま続行した。
 ブナの原生林の疎林の中のヤブは大したことはない。熊を警戒して笛を吹きながらの登行を続ける。すると突然、10mくらい先を黒い獣が横切り、こちらを見ている。カモシカか、いや熊だった。身の毛がよだつような恐怖感に襲われ、後続に向って「熊だ」と叫んだ。離れていたので聞こえなかったようだ。熊は杉の植採地へ逃げた。
 そんなこともあってあまりはなれずに登った。そのうち、ブナの大木の陰で熊の糞が見つかったと叫んでいる。白っぽいが大きくて正しく熊の糞だった。
 原生林は別の尾根との合流地で絶えて小ぶりになった。自然林も細くなり、カラマツとの混淆林に変化した。そんな植生が続いた。あの感動は長くは続かず、段々ヤブがひどくなるばかりとなった。90度直角に曲がり、尾根の凹凸がなくなり、1307mの独標に吸収されていく過程ではヤブの密生に泣かされた。Kさんは赤布の間隔を短めにして対応した。すべては下山のためである。
 1307mへはヤブの密生をかき分けて到達した。すると山頂につながる尾根上は杉の植採地となっている。お陰で密度の濃いヤブからは解放された。しかいs、そうは簡単には登らせてもらえなかった。地形図で1360mの等高線に到達したばかりの場所からはこれから行く山頂から右に派生する尾根が随分遠くに見える。距離にして約500mはある。標高差も約40m以内となり、射程距離に入ったのであるが距離があった。往復約1時間半はかかる。すると14時半となる。15時頃、ヤブの密生地帯を順調に下ればいいが迷うと大変だ。Kさんらと相談して時間切れの撤退を話す。12:33承知を得て残念ながら下山した。赤布を回収しながらかなり早く水無谷橋へ2時間30分で下る。赤布の威力である。
 後は坦々と林道を戻る。工事現場は予想通り仕事中であった。大型ダンプが来て土砂を運んでくる。隅っこに寄せて置いてよかった。R41に出て割石温泉で汚れを落とし名古屋に帰った。