山秋谷からの鈴鹿・三池岳2009年06月29日

 昨年秋以来となる久々の沢登り。前夜発で鈴鹿山麓でテント泊。今回は男3名女4名と総勢7名のパーティーとなった。
 6/28の夜はテントのフライを激しく叩くような降雨があった。目が覚めたので時計を見ると午前2時30分だった。うつらうつらしながら5時前には皆起きだした。今年の梅雨は荒っぽい動きである。竜ヶ岳のPで身支度して出発。登竜荘を過ぎてR421の工事現場手前の東海自然歩道の入口に置く。ここは工事で埋まったために入口は変更された。
 朝から蒸し暑いので蛭は必至だろうとそれぞれ蛭対策に余念がない。Iさんから提供された新兵器を足元に塗布する。7時35分、工事で埋まった東海自然歩道の部分をしばらく、R421を歩く。左側に新しく歩道が整備された。橋を渡るとトイレがあり、古い小屋もあった。水もあるしビバークに使えそうな小屋である。ここが水晶キャンプ場らしい。
 水晶渓を渡る長い吊り橋を行く。やや急坂を乗り越すと山秋谷である。ここが入渓地点となる。ハーネスの装着チエック、沢足袋、懐かしい草鞋を一時復活したWさん、私は思い出したように歯磨きした。点検後スタート。
 風化花崗岩の美しい渓相である。しかし、昨年の9.2豪雨の影響と見られる山崩れは何箇所も見られた。谷を横に塞ぐ流木は何箇所もあり、その度に潜ったり、跨いだりして越えた。一箇所、2段の滝が前途をさえぎるので右岸側を少し下流に戻って枝沢を大高巻した。
 上流に遡行するに従い、二股をチエックしたり、枝沢をチエックした。500m付近から谷が急になる。地形図で稜線までまっすぐな谷の状態になると上部では下界が俯瞰できた。何と梅雨晴れである。700mを越えた辺りで伏流と水流を繰り返しながら源流部に突入。更に傾斜がきつくなり、落石が怖い。途中で左にけもの道が見えたのでLに断って登って見ると意外に簡単に稜線に出た。14時を過ぎていた。田光の標柱が見つかった。ここは田光の入会山であろうか。地形図の標高700m付近から源流域は菰野町となっている。
 県境稜線の涼しい風に吹かれながら皆を待った。一人、また一人と登ってくる。全員が揃ったのは3時に近かったのではないか。揃ったところで山頂に向った。三角点も踏んで中食にした。「点の記」を見ると点名は「八風峠」で明治21年に選点された。
 その後はFさんは別ルートを下るというので別れて我々は郡界尾根を下った。御池、お菊池を見学後、下ると分岐に着いた。午後3時過ぎ、急峻な尾根を下る。道はない。獣道を辿る。赤テープなど一切人工的なものはない。地形図と首っ引きで地形を判断しながら下った。
 どんなに注意を払っても本物の尾根には導かれてしまう。実は郡界尾根は急なところでは尾根の形になっていない。そこで右を探りつつ下ったがすでに左の尾根に下り始めていて相当下ってから気づく。右に盛り上がる稜線を見たときは下ってはいけない尾根に迷い込んだことを示唆している。
 ガレ、岩、枯木で下降も困難な谷が比較的傾斜が緩みだした。右に谷が見えた。もう一つ谷があった。地形図では480m付近の二股の谷の源流であった。二つの谷は落ち合い、一つになった辺りからもう一つの右岸側の尾根を探ると向うに空谷が見つかった。この谷の向こう側こそ郡界尾根と直感的に思った。後続が揃うのを待って尾根を越え、獣道に沿いながら登りきるとポリ標柱や赤テープ、赤ヒモなどもあった。あまり知られていないが好き者は歩いているのだなあと思う。
 地形図で整理するといなべ市の「な」と「べ」の間に誘われるように下る。「べ」の右辺りで気づき、「市」の辺りで合流したところを郡界尾根を南へ探ると地形図では表現されていない小谷があり、源流部を迂回するように郡界尾根に達した。みなやれやれとホッとした思いである。
 「市」付近の谷の合流地から尾根に達して切畑林道出合までは約40分であった。林道を下って東海自然歩道に出会うと肩の荷が取れたように気が楽になった。ここで17時30分。見たかった三角屋根の家は見つからなかった。そのまま自然歩道を行くと今朝の入渓地点に下る。谷から尾根を乗り越して吊橋を渡り、車に戻った。10時間を越える沢登り山行でした。Fさんは17時30分頃、一足先に下山していた。県境稜線946mから699m、444mの独立標高点を探りながら尾根伝いに下ったという。

 蛭点検をするとFJさんの足元に2尾小さいのが戯れていた。他の人は被害ゼロでした。今日は珍しく山中で人に会わなかった。鈴鹿では滅多にないことである。荒れる前の渓相はもっと良かっただろうと思う。

 それに山秋谷という名称も興味深い。遡行中周囲の樹林は落葉樹林が殆どでした。つまり、万葉歌人の額田王の御製になる

 冬こもり 春さりくれば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山我は(巻一・一六)
解釈は
(春が来ると、冬の間は鳴かなかった鳥もやってきて鳴く。咲かなかった花も咲いているけれど、山の木々が鬱蒼と茂っているので、分け入っても取らず、草が深く茂っているので、手に取っても見ない。秋の山の木の葉を見ては、紅葉したのを手に取っては美しさを味わい、まだ青いのはそのままにして嘆く。その点こそ残念ですが、秋の山の方が優れていると私は思います。)

 あちこちでウグイスが鳴き、ホトトギスも鳴く。落葉樹の山はいいものですね。山秋谷の名付け親即ちこの山の持ち主はそんな古歌を知っている教養人だったかもしれませんね。全山黄葉する時期はおそらく素晴らしい遡行が楽しめそうです。