訃報 Oさん逝く2009年06月09日

 昨夜元山仲間のOさんがガンで亡くなった、との訃報を聞いた。山に同行した記憶はないが編集を手伝ったことはある。会を辞めたのも闘病だったのかと振り返る。合掌!

  日焼けして負けず嫌ひの顔を想ふ

 隊長の原真さんらとソ連のコムニズム峰に登頂した。今年3月原さんが先に逝き、若い貴方までも後を追うなんて。先月亡くなったU先生とはある時、理詰めの口論をハラハラしながら聞いた。山屋同士は誰とでも遠慮なく喧嘩する。後で和解したと聞いてほっとした思い出が甦る。

山名談義 大島山と念上山2009年06月09日

 中央アルプスの参考書として永く愛読したのは『信州山岳百科Ⅱ』(信濃毎日新聞社昭和58年)であった。
 6/7の念丈岳縦走登山に参加した人達の会話に「おおじまさん」や「おおしまさん」というので調べると「伊那谷の山」のサイトでは「おおしまさん」であるが信州山岳百科Ⅱでは「おおじまさん」であった。もう一座高森町の941mのおおじまさんがあることも知った。吉田山の前衛である。それに地名の大島山もある。
 『新日本山岳誌』(ナカニシヤ出版2005年)の烏帽子ヶ岳2195mを調べると文中に念丈倶楽部が大島山周辺の登山道を整備したことも書いてある。但し、大島山の標高が2143mとある。信州山岳百科では2156m、「伊那谷の山」では2130mであった。
 2.5万図は2143mと独立標高点が印刷されているのでこれが正解であろう。2156mは北の無名の独立標高点が2158mなので書き間違いか。2130mはどこから来た数字だろうか。20万地勢図にも記載はない。
 信州山岳百科Ⅱには『大島村誌』からの引用があり、念上山と大島山が混同して用いられたことが分る。又、昔念丈岳は袴越山ともいったようである。いずれにせよ大島村の入会山であったから大島山となったのである。本来なら最高点の2158mの標高点のピークに与えたい山名である。