吟詠!東紀州の八鬼山と高峰山2009年02月01日

 冬日和どこまで碧き熊野灘

 泰然と大台ヶ原山眠る

 雪つけし大峰釈迦の三角錐
 
 熊野への八鬼山越えに雪降れり

 冬麗箱庭のごと尾鷲湾

 雪混じる風吹き抜けし九木峠

 底冷えの荒神堂に留まれず

 冬の日を浴びて嬉しき園地かな

 冬青き木の間の熊野古道行く

 石畳延々続く冬山路

 冬深し老人だけの無人駅

 猟犬の子犬と距離の縮まらず

 のんびりと世間話を狩の人

 枯れ芝の熊野古道を歩くなり

 な捨てそと山にて拾うミカンの皮

 尾鷲ではミカンはキロで買いにけり

 冬の海朝日は海の彼方より

 風寒し矢ノ川峠(やのことうげ)の登山口

 冬日浴び頂で食う握り飯

 山眠る仙千代ヶ峰いや高し

 日脚伸ぶ喫茶「山帰来」出て寄り道

 イガミなる煮凝箸でつまみけり

 煮凝や尾鷲の海の味したり

『歯科の実力』を読む2009年02月01日

 今日は寒かったが良く晴れた。ベランダからは待望の木曽御岳山が雪に輝いていた。しかし、昨日も今日も雑用に終った。
 その後丸善で本を物色。『歯科の実力』他を購入した。昨年夏から会社を半日休んで治療に是努めたがまだ合格点を貰えず、明日も行く。
古い虫歯の治療、ブリッジの破損で30年ぶりに大掛かりな治療をした。治療した所ほど虫歯になりやすいと知った。驚くほど多額の費用もかかった。
 そこで少しは理論武装を、と思ったが書いてあることは根気良く的確なメンテナンスの実践であった。知識を得て賢くなっても実践しなければ無用である。今夜も明日も死ぬまで歯磨きに努めること。
但し、歯科医の個人差はかなりあり、専門化も進んでいるようだ。得意とする技術やキャリアもあり、患者側には選別はむりである。約30年前は自宅と勤務先の間で1軒しかなかったが今は10軒以上あり、何を基準に選んでいいか。
 読売新聞社のムック本であるが長期連載されて好評だったそうだ。ということはいかに困っている人が多いかを示す。難しい国家試験に受かった人が更に研鑽をつむのだから差はないと思いたいが。
 ただ、体は正直である。多忙を極めた頃は一軒しかない歯科医に勤務後通院して30分以上は待って診療は数分ということが多かったように思う。毎年、秋口になるとどこかの歯が痛んだ。業績がピークをつけて下がり出してからは業務量も合理化による改善と併せて大幅に減少して体も楽になった。それと歩幅をあわせるかのごとく歯医者通いも無くなった。毎年が3年後になり5年後になった。高価な電動歯ブラシを投資したこともあってか虫歯は殆ど遠のいたかに思っていたのだ。
 今は3年ほど前に労働組合が結成されて待遇改善が進んだ。午前と午後の半日の年休も取得できるようになり、それを利用して午前中一杯は治療に専念できるようになった。これはありがたいことだ。一つは加齢ということも大きい感じがする。若い時は仕事によるストレスから免疫力が落ちて虫歯になりやすかった。今は仕事は楽になったが加齢というわけである。
 今しばらくは歯医者通いが続く。もう抜かれたくない、もうこれ以上削られたくないの思いで一生懸命に磨こうか。

メモリー増設顛末記2009年02月21日

 2004年に購入した愛機エプソンダイレクトエンデバーAT950も5年経過してどうにも我慢出来ないというかごまかしが効かないほど使いづらい状況になった。
 遅い、不安定、といったトラブル解消にはメモリー不足が原因なので昨年辺りからPC雑誌をチエックし、対策の特集号を買って学習。
 今日意を決してY電機に買いに行った。すると売り場が分らないので店員らしき人に「店員さん?」と聞くと「いいえメーカーですが・・・」と言いながらもこちらの用件を聞いて対応してくれた。どうも派遣されて来た社員らしい。30歳前後で女優の稲森いずみさんにそっくりだった。顔だけではなく、体形もスレンダーで声もややかすれた感じでよくにている。そいうものかと思う。
 512MBX2のバファロー社製を購入。11800円也。安い買い物ではない。しかし、新品を買うよりはいい。自宅に戻ってPCの筐体をバラし、中を見ると埃だらけ。スプレーと掃除機で埃を掃除後、中を見るとメモリーが収まる所から初期の256MBメモリーを外し、512MBを2つセットして再び組み立てる。わくわくしながらスイッチONすると見る見る立ち上がっていく。早い早い。何だ、簡単じゃん、と一人悦に入ったのであります。
 こんなことならもっと早くやれば良かったなあ。毎朝毎晩いらいらしていた元を解消。これで晴れやかな気分で飛騨の山スキーに行ける。

飛騨・猪臥山スキー登山2009年02月22日

 2/21(土)の夜7:30栄のど真ん中で集合。W君の職場から直行となる。東海北陸道を清見で降りて彦谷を通る卯の花街道へ左折。ビバークは道の駅の一角にテントで凌ぐ。飛騨の夜空は満天の星である。「オリオン」が見える。それに非常に寒い。
 午前4時半起床、朝食、片付けなど終えて彦谷の予定地に着いたのは6:55だった。ここでシールを着装し、林道をシール登行。左手には何と猪臥山遊歩道の案内版があり、先行者がいた。どうやらスノーシューのパーティらしい。我々は何も足跡のない林道を行く。
 手の指がしびれるほど冷たい。体も中々温まらない。しかし、雪質は軽いため登行は楽だ。地形図で現在位置をチエックしながら林道を登る。右手に稜線か尾根が明るく見えるが林道通しで行くと終点になる。ここでまた遊歩道と合流したがスノーシューの踏み跡はない。
 桧の狭い樹間をぬって登ると左手から踏み跡と合流した。1285m付近の小ピークに立つ。やはり道標があり、踏み跡はここで終っていた。
我々は緩やかな大木の残る疎林を登った。
 一旦ピークに立ち、林道を見て合流したがガードレールの高さが2mはあり、空いた所から潜って林道に出た。再びシール登行を続けて電波塔のピークを右に見て山頂への稜線を辿る。下り気味に下って1470mのJCPを左から巻いた。また下って鞍部に降り立つ。緩やかに登って行くと最低鞍部まで下り、林道に迂回した。
 林道はすでに高く上がった太陽のせいで雪質が悪くなっており、シールにべったりと付着した。ワックスでそぎ落としたりした。午後からの天気の悪くなる兆しが早くも現れた。ある程度登ったところで再び尾根に取り付いた。高山市側がブナの原生林が残り、疎林が素晴らしい。
 やや急な斜面を苦労して登って尾根に上がった。そこから山頂は指呼の間であった。以前あった電波塔は撤去されて祠があるだけのすっきりした山になっていた。小鳥峠からの道は延長されて隣りの山へ続いている。小鳥峠側はスキー向きの緩斜面で滑りこみたい気になる。そして驚くことにスノーモービルの轍があったことだ。小鳥山牧場の方から来ていた。
  12:20。祠から更に高みを目指して遂に厳冬期の猪臥山に立った。
 周囲はぐるりと大展望である。時計回りに、白山別山、笈ヶ岳の頭らしいピーク、大笠山、奈良岳、猿ヶ馬場山、三ヶ辻、金剛堂山、白木ヶ峰、北アルプスはガスがかかるが槍穂高連峰、乗鞍岳、御嶽は見えた。素晴らしい。飛騨の中心の山みたいである。
 祠で風を除けて休憩後、シールを外し、13:05滑降開始。登ってきたルートを忠実に滑り、ブナの疎林を滑る。鞍部からは電波塔まで登り返さず、彦谷の源流に下った。最初は唐松や雑木の密林で難儀した。立木はストック制動でかわす。下るに連れて緩斜面となり、スキーが走るようになった。手入れされた杉の植林帯はまことに滑りやすい。14.12林道終点付近に出会う。
 林道を忠実に滑走したり、漕いだりしていくと見覚えのあるトンネルの入口に着いた。そのまま行くと彦谷の流れを橋で渡り、卯の花街道の下をくぐって街道に合流した。14:40であった。
 R158に戻ると電光掲示板で高速の渋滞を知る。久々の雪がスキーファンを喜ばせたのかな。清見をパスして荘川までR158を走り桜香の湯に入湯した。その後は荘川ICから入ったがやはり渋滞は解消されず、ETC割引をゲットすることもあって白鳥で一旦降りた。とある店で食事後、行きかけたが渋滞は増えている。R156で郡上八幡まで走り、解消を見届けてから高速入りした。
 沢山の車が今回の春雪を愉しんだことだろう。

春雪の猪臥山2009年02月23日

猪伏山南面の彦谷の林道を滑走する
 春寒や飛騨の谷間の山の家

 春星の瞬く飛騨の谷間かな

 春雪のふわりと積もる尾根を行く

 雪崩るるやスキー板の切れ目より

 春雪嶺スノーモビルの轍かな

 春雪嶺ぐるりと飛騨を囲みけり

 山頂の一際白し春の雪

 祠より堅雪の上を春スキー

 春スキーブナの疎林を滑降す

 藪からむ谷間を滑る春スキー

 そそり立つ杉の美林や雪解谷

 スキー脱げばずぶりと潜る春の雪

 ストーブのぬくもり恋し飛騨の春

春祭2009年02月27日

猪伏山への途上で見た乗鞍岳

    ☆谷々に乗鞍見えて春祭       前田普羅


 『飛騨紬』より。
 春祭と題した章に六句収まる中の一句。飛騨の春祭りといえば高山祭りのこと。他の句には根雪、杣、雪解滝、金縷梅(きんるばい=マンサク)などの語彙が並ぶ。早春の飛騨の風物詩である。
 高山市の観光HPからコピーすると「高山盆地を取り囲む山やまの雪がとけて、ところどころに地肌をみせる4月、飛騨路は陽春を迎える。長い冬籠りから開放されて耳をすますと、村の鎮守からまつり太鼓が聞えてくる。青空にそびえている幟も風にはためき、”ひだびと”の喜びを象徴しているようである。中でも4月14、15両日の山王まつり(日枝神社)が最も大きく、氏子だけではなく近郷近在はもちろん、全国から多くの人びとが集まってくる。」だそうな。 
 この間の猪伏山でも当然乗鞍岳は見えた。高山市は乗鞍岳山麓なのだった。この句の舞台は谷合の鄙びた山村住まいながら決して貧しくは無い山里であろう。冬の間の鉛色の空も青空が多くなり、乗鞍も常時見えるようになる。多忙な農事が始まる合図のような飛騨人の春の喜びを詠んだ句である。

春山2009年02月28日

猪伏山の南面が白い



  ☆雪つけて飛騨の春山南向き       前田普羅


 『飛騨紬』より。
 具体的に飛騨のどこの山と名指していない。著名な山なら山名を差し入れるが多分無名なのであろう。南風が吹き、いかにも春だというのに山の南面には残雪が見られる。そんなに高い山でもないのに飛騨らしいことだ、と解した。
 2月22日といえばまだ厳冬期だから猪伏山にもたっぷりの雪があった。期待した以上であった。ただし、午後からは天候が変わり、雪が腐り始めた。北向きは牧場に滑りこんで行けそうな緩斜面だが南向きの斜面は急斜面の滑降のフィールドであった。
 この写真を撮影した際はこの俳句を思い浮かべながら撮った。下山した道端には彦谷が雪解け水で勢い良く流れていた。