雪の富士写ヶ岳!吟詠2008年12月04日

   冬ざれの富士写ヶ岳の登山口

   折角の木守柿取る輩かな

   時雨れても富士写ヶ岳に登るなり

   霙から雪に変わるや富士写ヶ岳

   初めての雪踏みて立つ山頂よ

   雪山に座すところ得ず立ちて喰う

   頂上は雪の円盤めく広場

   頂上や毛の手袋をして食べり

   音もせず雨に濡れたる枯葉踏む

   石楠花の冬芽が愛し尾根の道

   クリタケや冬の日を浴ぶ木の根っこ

   クリタケの犇くごとき枯木の根

   下生えの青木目によし枯木立
   
   北国の山みな眠る雪に寝る
   
   北国の旅の疲れや咳激し

東京・高尾山と名峰・筑波山を歩く2008年12月08日

 12/5夜、10時30分発の夜行バスに乗車。いつもは東名高速経由であるが今夜は中央道経由にした。但し、こちらはカーブが多く、登り下りもあって乗り心地は今一。エンジンの真上に座ったから上り坂ではうるさい。3列シートもこの欠点を補うためか。おまけに若干割高な料金設定。この路線は冬の昼間の観光用なのだろう。
 うつらうつらとしつつ、5時30分、早暁の新宿駅前に着いた。早速、吉野家に入って朝飯を掻きこむ。6:06の京王線の快速で高尾山に向った。370円と超安い。この人の多さ、スピードの速さ、線路周辺の変化のなさがいかにも都会近郊路線らしい。かつての武蔵野の只中を走る。
 やがて車窓から白い富士山も見えて山へ向っている気がしてきた。北野で乗り換え、高尾、7時頃、高尾山口終点で下車した。先ほどまでの喧騒がウソみたいに森閑とした山間の駅前。大きな案内図に従って山に向って歩く。やがてケーブルの駅に着くが始発は8時とのんびりした感じ。お客も2,3人待っているが機械力はパスして7時30分稲荷山コースへ踏み出す。いきなりの急登をやり過ごして旭稲荷に着く。ここからはやや緩むが植林帯の静かな山道である。ムラサキシキブを見る。
 坦々と登り、高齢の女性2人連れを抜くとすぐに稲荷山の展望台&トイレつき東屋に8:06に着くが関東平野は冬霞である。休憩もまだ早いのでパス。6号コース合流地点まで喬木となった雑木林が残る中を歩く。合流地まで来るとちょっと休憩。視界も開けるがすぐ上の山頂までは急な階段の道にうんざりする。はあはあ息をきらしつつ登頂。8:45だった。展望台からは白い富士山がよく見えた。隣の前衛の山は丹沢山地の大室山であろう。南アルプスの塩見岳も見えると他のハイカーがいう。
 本来の山頂には2等三角点が埋まっていた。その前の売店が2、3軒営業を始めた。この山は食料や飲み物が要らないのである。影信山に行く考えもあったが午後の山岳会の行事もあり、神社経由で下った。山頂で休んでいる間にも続々ハイカーが登って来るが下りはじめると更に増えた。神社は登拝の客もいてごった返していた。さぞや年末年始はもっと多そうだ。
 10:10にうんざりするほどお客とすれ違って朝のケーブル駅まで来たが土産物店、食堂がみな営業中で朝の閑静な感じとはまるで違って見えた。ぞろぞろ観光客の多さに圧倒された。10時、蕎麦屋に入って蕎麦を食べる。店の女の子に聞くと何かの雑誌に紹介されて一段と増えたらしい。
 京王線の駅前の手前で本山の御用達(ごようたし)の饅頭を購入。駅のトイレで歯を磨き、髯をそり、背広にワイシャツ、紳士靴に変身。年次晩餐会モードに切り替えた。
 11時の電車に乗るに高尾からJRの方が有利かと思いきや高尾ー新宿間540円、東京駅間は890円、京王線は350円。比べると2倍。何だこれは。一旦出てしまったので120円(高尾山口ー高尾間)を捨ててもったいないがまだ有利であっさり京王線に引き返した。
 新宿からは東京駅に向かい、八重洲から京橋のフィルムセンターの展示をちょいと見学してバック。品川に向った。高輪プリンスホテルで行われた年次晩餐会では皇太子を迎えて盛大に行われた。所属支部が秩父宮記念賞を受賞したので久々に参加したがこれで果たした。
 宿泊先のホテルは品川駅から3分とあったが実は早合点で大井町まで電車で3分だった。道理で安いはずである。しかし、狭苦しい部屋のバスでなく共同の展望風呂もあり、中々快適である。
 12/7朝、5時30分携帯の目覚ましで起きる。6時30分仲間と合流して秋葉原に向う。つくばエキスプレスなる聞きなれない電車に乗るためにまごついた。完全なおのぼりさんである。
 つくば駅までケーブル、バス代もセットで4300円也。百名山詣でも結構金がかかる。何分関東平野にぽつんと聳えるからついでにとはいかない。バス停からケーブル駅までは若干歩く。ここも信仰の山であるから神社経由で便利に登山できる。この山ではケーブルで登山した。山上駅からは男体山にまず登る。関東平野の遥か遠くに浅間山が白い。
 下りて女体山に登った。どちらもハイカーでごった返す。女体山の1等三角点は自然石に埋め込まれるがやや低い位置のため人に踏まれやすい。足で磨きこまれたような岩場のスリリングな山頂で記念撮影を済まし、山麓のキャンプ場へ下山した。ここでスタッフがトン汁をふるまってくれた。その後はつつじ台のバス終点に回りこんで歩くがちょっとしたハプニングがあった。用事があって先に行ったWさんが道を間違えて別のところへ下ったらしい。結果、1時間もロスした。車道から山腹の道へは道標もなく分りにくいので不案内な登山者には無念である。
 バスでつくば駅に戻り、秋葉原駅に帰った。例の事件があったところだ。まるで人間の洪水である。東京駅からは逃げ出すように新幹線で帰名した。この二日間都会は無論山も人の洪水であった。金融危機とか不況とか微塵も感じられない。東京は凄いところであった。

高尾山と筑波山吟詠2008年12月11日

   毛布掛けうつらうつらと夜行バス

   バスを出る冬あかつきの新宿駅

   冬晴れの武蔵野を行く京王線

   富士白く武蔵野の野の西の果て

   ハイカーのまばらな高尾口寒し

   山道に散り敷く紅葉踏みて行く

   喘ぎつつ登れば鈍き実むらさき

   ランナーが枯木の道を走りけり    

   貴人(あてびと)と過ごす今宵や年忘れ

   神の留守とて登拝の道を行く

   筑波嶺の男女の山眠る

   冬うらら筑波のがまの油売り

   リンゴ噛む音して甘さ広がれリ

   豚汁のおいしき日なり冬日和

   冬日浴び負われし人を待ちて撮る

会報『聳嶺』が届く2008年12月11日

 このほど平成19年8月に再発足した1等三角點研究會の新世紀第1号の会報が届いた。101ページもあるボリュームに驚く。会員の熱い思いが伝わる。私も1等三角点の登山記を数本投稿したが大笠山だけが掲載された。余りに原稿が多かったことと思われる。
 巻頭言は新会長の大槻雅弘氏が飾る。続いて旧1等三角点研究会の創立者で初代会長の坂井久光氏が旧時代の発足からのいきさつを書いている。どちらも京都交通局山岳部のOBである。
 そのいきさつを知ると坂井氏は希代の変人であり、奇人でもあると思う。たかが三角点の内の1等だけを求めて全国津々浦々の山や丘を跋渉して来られたのである。近くに名山があっても脇目もふらずに1等だけを追求してきた。この精神はアルピニズムではないし、ピークハンターでもワンダラーでもない。故今西錦司を顧問に迎えているが後には物心崇拝と批判気味であった。宗教的なまでに追求している坂井氏を牽制されたのだろうか。こんな登山家は彼より先には居ないだろう。
 私なら1等のみならず、300名山があれば「ついでに」ピークハントしていくだろう。1等三角点研究会の会長になったばかりに浮気は一切断ち切ってしまわれたのだ。
 以前に数日かけて1等の山々をやっている最中に親が亡くなられた。帰宅して見るともう葬式は終っており、親の死に目に会えなかったことを仄聞した。葬儀の一切は妻が取り仕切り、しばらくは頭が上がらなかったとも。今なら携帯電話という連絡手段もあるが当時はなかったから山へ行けば帰宅するまで消息はつかめない。やっぱり奇人というしかない。
 その坂井氏からお手紙を頂戴した。私の投稿した大笠山登山記や拾遺にかつての記憶が甦り、「懐かしく、一寸センチ」になられたようだ。センチとはセンチメンタルの略であろう。『村の記憶』という本にかつての桂部落で今西さんらと並んで撮影された写真が転載されている。その桂部落はダム湖に沈み、今はオートキャンプ場であるから昔を知る人には涙なくして語れないだろう。投稿して良かったと思う。この会報はこの意味でも記念の号になった。

音楽鑑賞の夕べ2008年12月14日

 山仲間のKさんが1年半前から練習して今日晴れの舞台(愛知県芸術劇場コンサートホール)に出演された。山とスキーだけでなく西洋音楽にも打ち込んでいたのだった。
 バッハアンサンブル名古屋主催の「ミサ曲 ロ短調」の混声合唱、楽曲演奏で5時30分から6時まで15分の休憩を挟んでたっぷり西洋音楽を堪能した。指揮は李善銘、客演独唱 小原伸枝(アルト)、頃安利秀(テノール)、今泉仁志(バス)とある。他にソプラノ二重唱もあった。原語はドイツ語(或いはラテン語)なので分らないが教会音楽らしい雰囲気は伝わってきた。
 WIKIによると「ミサ曲 ロ短調 (BWV 232) は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作曲したミサ曲。日本語ではロ短調ミサなどとも称される。早くは1724年に書かれたものを部分的に含むが、最終的に完成したのは、J.S.バッハ(以下、バッハ)の死の前年の1749年である。現代では、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲と並び、バッハの作品の中でも最高峰に位置するとされている。」「ミサ曲ロ短調は、バッハの生涯を通しての合唱曲と神学への関わりの総決算として、フーガの技法と並ぶ象徴的な作品と広く考えられている。のみならず、しばしば「クラシック音楽」の最高傑作の一つともみなされている。」とあるが意味は理解できない。しかもラテン語で書いたというからドイツ語のように又はイタリア語にも思えたが実はラテン語だったかも知れない。
 後で知ってみるとクラシックの合唱は随分高級な趣味である。

Gmailの威力2008年12月20日

 野口悠紀雄『超「超」整理法』(講談社)で知ったGmailの設定を四苦八苦しながら18日に終えた。
 開通して2日経ってみるとなるほど迷惑メールが振り分けや削除の言葉の指定もしないのにすべて迷惑メールのフォルダに自動的に振り分けられていた。一日百通の殆どが迷惑メールだからウソみたいにすっきりした気分である。その中に必要なメールが混じっていないかどうかチエックしてみるが今までにはなかった。どんな仕組みなんだろうか。
 それにoutlook expressよりも芸が細かく使いやすい。OEはそのまま残しておいて設定をちょっといじるだけでいい。ただし、設定は直感的に操作するだけでは中々成功しない。初期設定時のファイルを参考にして慎重にしてようやく開通した。ここだけがやや敷居が高い感じである。
 映像も小さく掲載されて便利だし、返信も楽である。まだ使い始めたばかりだがこれからはもう迷惑メールの処理に時間を割かなくてもよくなった。

映画は世につれ世は映画につれ・・・2008年12月23日

小津作品上映を伝える07.12.23付け朝日新聞朝刊愛知総合版
 12/23付け朝日新聞朝刊の愛知総合版に小さな囲み記事が目に付いた。最上段に「小津2作品弁士付き上映」とあり、下段に「戦前の不況期舞台」といやでも目を引き付けられる。当時20歳の田中絹代の愛らしい顔写真の入った一齣の写真もあり、耳目をひきつけよう。
 小津安二郎の「落第はしたけれど」「大学をでたけれど」が1/18(日)名古屋市中村区にある中村文化小劇場(052-411-4565 午後2時半開演 500円)で上映されるという案内である。
 この作品は2007年6月1日にDVDで鑑賞済みであるが劇場の大スクリーンで上映され、しかも佐々木亜希子の弁士付き、しかも背景音楽は生バンドという入れ込みようである。是非鑑賞したいものである。
 「大学を・・・」は1929年9月6日公開、先々バブルが崩壊すると読んで作品を作ったように思える。10月25日にニューヨーク株式の大暴落が起きて世界大恐慌へと進展していった時代である。こんな古い映画が劇場公開されるのも今の世相ならではと思う。
 今回は上映されないが1933年に公開された「出来心」は不況に喘ぐ世相を背景にした映画だ。紡績工場を解雇された若い娘を気のいい親父がかばうところから始まるコメディタッチの映画であるが時代背景は深刻である。「蟹工船」の台詞も出てきて当時の世相が描かれる。来年以降不況色が一段と強まればいずれこの作品も再び脚光を浴びるに違いない。小林多喜二の『蟹工船』が読まれ、日本共産党への入党が増えているそうなので時代が逆戻りする錯覚を覚える。
追記
朝日新聞のネット版「asahi.com」でも同記事が2009.1.2に掲載された。


アサヒコム

鎌倉アルプスと三浦アルプスを歩く2008年12月28日

 12/27朝6時30分前には名古屋ICから東名高速に入り、東進。浜松西IC,清水ICで一旦出てETC割引をゲット。最後は時間切れで厚木ICを出た。1200円、1300円、3000円の料金で合計5500円。正規料金6300円に対して800円を浮かす。終始、白い富士山を眺めながらの快適なドライブであった。
 厚木ICからは県道22号を鎌倉市大船に向う。R1と東海道本線の踏み切りで大渋滞があるがほぼ順調に鎌倉入りできた。宿にチエックインし、車を停めてJR大船駅から北鎌倉駅までJR横須賀線に乗車。
 12:35。北鎌倉駅を下車後、円覚寺の前を通り線路沿いに歩く。左折して明月院への道から天園ハイキングコースに入る。初めは静かな住宅地に沿う車道歩きであるが古い道標で右折して急坂を登り、山道となる。植生は杉などの植林もあるが常緑樹主体で昼尚薄暗い。整備し過ぎた幅広い遊歩道でなく、細い道のアップダウンがあり中々骨っぽいコースである。建長寺からの道と合流した地点からは非常によく踏まれて道幅も広くなった感じがした。ランニングの人も2、3人は行き交う。
 樹林の間からは周囲の景色がよく見えて富士山も眺められるし、海も、鎌倉市街も俯瞰できる。コースは全体的には自然景観や展望重視ではない。古都鎌倉らしい名刹古刹につながる山道は洞窟に密かに安置されていた墓や石仏が印象的である。北条氏の墓地はこんなに粗末な扱いでいいのかと思うほどである。かつては海底だったところが陸地化して層ができ、掘りやすいのであろう。いくつもの鄙びた石仏を安置した洞窟を拝観した。歴史のハイキングコースであった。
 最高点の大平山すら159m程度でそこだけは眺めがいいが後はひたすら樹林のハイキングである。六国峠は天園と呼ばれ有人の茶屋もあり、相模湾の眺めもいい。15:10。瑞泉寺に下る最終地点になって天台山141mのピークを踏んでいないことに気づいた。貝吹地蔵の辺りのピークと目星を付けて、急ぎ戻って天台山の3等三角点を確認した。ガイドマップでは通過するような表現であるが実際にはコースから外れている。ここは眺めもない静かな樹林の中である。
 瑞泉寺に下った。今年、2月3日にはここまで車で来て登る予定であったが節分会のために観光客でごった返す鎌倉市内で大渋滞となり、来ただけで時間切れのために引き返したところである。車道を歩き、鎌倉宮を経て鶴岡八幡宮に参拝。後は鎌倉駅までぶらぶら歩いた。検索によれば約8.5kmはあるようだ。約4時間のハイキングであった。
 鎌倉駅からは大船駅に戻る。宿の夕食は自由なのでレストランでの食事を止めて夜も賑わう商店街で寿司、酒、惣菜を買い宿で済ませた。
 12/28.朝、しじみ汁、納豆、焼鮭、ハムサラダ、半熟の卵などの宿の豪華な朝食を食べて出発した。おまけに宿代5500円を1人500円値引きしてくれた。車は厚意で置かせてもらえた。コインPだと1500円/日もかかるから2日で3000円も助かった。
 再び大船駅から横須賀線に乗る。目的地は東逗子駅である。10分で逗子駅に着き久里浜行きに乗り換えて東逗子駅で下車。駅前には二子山ハイキングコースの大きな案内板もあり、参考になる。しかし、駅から道標があるわけではないので地形図で見当を付けながら沼間小学校を目指す。
 駅前から右手の交差点を左折。小さな神武川の橋を渡る。県道24を渡ると正面が沼間小学校である。ここを左に行くとハイキングコースの案内標識が初めて顔を出す。住宅地の要所で目にする道標に導かれていく。やや急坂を登って行くと山道に導かれていく。自然林は少ないが鎌倉アルプスと違って少しは雑木も混じる。樹幹を栗鼠が駆け巡る。やはり木の実が豊富なようである。山道は急な箇所もなく緩やかに登って行く。所々の分岐も的確な道標に助けられて不安はない。
 少しづつ標高を稼いでいくので楽なハイキングである。深みに行くにつれて山桜の大木が増えてきた。花の咲く木は大切にされ保存を許したようだ。植樹された感がないでもないが。常緑樹を基本に低地の典型的な里山の植生であろうか。
 やがて突然車道に出会う。ここから山頂までは車道を歩く。二子山は208mの1等三角点が埋設される。標石は新しく、基本とか国地院が彫られ、1等が左から始まる。改埋と呼ばれる新しい標石である。コンクリートの展望台があり、東京湾が見え、横須賀のドックも見えた。簡単な中食後、下の山に向う。二子とは上の山と下の山の二つ並ぶ山容を指す。急な道を下り、急坂を登り返すと山頂である。下の山は樹林の中の山頂で何も見えない。安倍倉山を目指して尚も下る。
 下の山からは本格的な細い山道で標高さえ知らなければ1000m級の低山を歩いている錯覚に陥る。古い道標もあるが新しい道標が安倍倉山へと導いてくれた。かつては地形図とコンパスで首っ引きで歩かれた玄人筋の山だったのだろう。まだ道をつけて間もない感じがした。
 安倍倉山を辞してよく掘られた山道を下った。葉山町長柄に着いた。ここからJR逗子駅まで歩いた。大船駅に戻りマイカーに乗車するとようやく今回の目的を達成した喜びが沸いてきた。小さなアルプスながら好天と温暖な気候に恵まれてよかった。
 大船駅からは道路地図に従って渋滞を避けて厚木ICまで戻った。帰りも割引をゲットするために、富士IC、袋井IC、岡崎ICで出てては入りなおした。1200円、1350円、1050円、500円と半額割引は合計4100円。6300円-4100円で2200円もゲットできた。往復3000円。けちけち高速ドライブとなった。

鎌倉アルプスと三浦アルプスを歩く!吟詠2008年12月30日

  富士を見る山ゆきで締む年の内

  宿で飲む酒買う年の暮の街

  眠る山大山はいや高きなり

  霜柱踏んで山路の始まれリ

  冬うらら目白が食べるコムラサキ(小紫)

  大船や打ち水新た冬の宿

  高まれば汗かくほどに冬着脱ぐ

  山桜並木となるや冬木道

  枯木立栗鼠は人見て遠ざかる

  モクレンの冬芽それさえ温みあり

  なべて石隠す落葉や坂の道

  冬青き林にひそと石仏
  
  どこまでも冬青き葉の山路かな

  羊歯の生ゆ里山のげに懐かしき

  鈍色に光る相模の冬の海

  雲ひとつなき冬晴れの二子山

  夜が迫る冬の鎌倉そぞろ行く

  冬の夕客待ち顔の車引き

今年の会心の登山ベスト102008年12月31日

 新聞では今年の十大ニュースとかを報道している。それに習って会心の登山ベスト10を挙げてみた。

1.御嶽・継母岳スキー登山
今年は中央アルプスに一度も近づけなかった。その代わりではないが飛騨側から御嶽の西側を探る機会があった。それが継母岳スキー登山であった。上俵山を経て登山できたことに大いに満足できた。RFあり、徒渉あり、原生林帯の突破ありと登山の醍醐味をこの上なく味わった会心のベスト1であった。この得がたい情報を公表された石際淳さんに感謝したい。(現在南極で越冬中)媒体の「岳人」誌にも感謝。

2.奥飛騨・栗ヶ岳スキー登山
本命は御前岳であったが白弓スキー場から2度失敗した。リベンジとして東側の清見村側から挑んだ。御前岳には又しても達せられなかったが栗は落とせた。単調な稜線あるきであったが積雪量は豊富で飛騨一円の展望が優れていた。無雪期に一度は登っているので栗ヶ岳だけでも満足はあった。

3.奥越・屏風山 中の谷沢登り
登山歴30年余にして初めて不名誉な不時露営を体験した記念すべき登山になった。丸々二日掛けたが下山できなかったのは予想以上に長かったことや体力的なこと、ルート選定で問題があったのである。反省する沢登りであった。ただ、下山の方法は愛知川での体験を踏まえて泳いで下ったことは間違いではなかった。時間はかかるが転落事故の危険を回避するためには一つの方法であろう。もっと研究する必要がある。

4.奥越・小白山 俵谷沢登り
この山も残雪期にスキーで登山は済んでいたが沢から行けるならと挑んだ。行程が長い割りに何故か前夜発の日帰りであった。予期した通り時間切れで中途下山となった。しかし、核心部は味わうことができた。下山時は30mのザイル一杯の空中懸垂も初体験できた。これはちょっと怖い気がする。

5.新潟・浅草岳スキー登山
これまで3度試み、天気が悪くて何時も中腹で下山していたが今回は山頂まで一度もスキーを脱がずに登山でき、大展望を得た。

6.白山山系・大笠山 一般登山
この山もGWにぶなお峠からスキー登山しているが登った6月も晩春と初夏の同居した自然の美しさを堪能した。特に笈ヶ岳の美しい山容が目に焼きついている。

7.白山山系・奥三方山と奈良岳 一般登山
奈良岳は大笠山にスキー登山した際に通過した山である。奥三方山に執心してきたのは中腹にあるぶな茶屋を見たかったからである。登山した時はすでに落葉していたがそれだけにぶなの森の深さを知ることになった。この山は6月中旬と10月下旬が素晴らしいだろうと想像する。再登したい山である。

8.白山山系・薙刀山と日岸山スキー登山
石徹白を囲む山では日岸山だけが未踏であったから気になっていた。
スキーの自在な乗り物感覚を味わって雪山を堪能した。

9.奥越・金草岳 シモットノダン沢登り
谷奥は原生の自然が残されている。美濃側は悲惨な状況なので金草岳の秘められた部分もここくらいであろうか。初めてナメコを採集して充分堪能した。

10.鈴鹿・クラシ 谷尻谷遡行からクラシ谷下降
通いなれているとはいえ谷通しでしかも下降までセットでやり遂げた。特にあのレールの残骸がある辺りの広大な場所は今となっては秘境的な雰囲気が色濃い。

次点.北アルプス・鍋冠山から蝶ヶ岳、常念岳周遊登山 
いわゆる観光登山の気分であったが一度も同じ道を歩かずしてマイカーに戻れた点が会心の登山と思う。今年は沢、スキーで充実したから次点になったが堂々とした北アルプスの名山を登り、槍穂高連峰を眺めて言うことはない。高山植物も盛りであった。