とっておきの北アルプスの山旅ー蝶から常念へ2008年08月05日

 8/1の夜9時前、本郷駅前に集合して夜の中央道を走る。少し出発が遅れて松本ICに着くのが遅かった。IC手前のバスストップで夜12時を待った。ETC割引をゲット。5000円のところ3000円でパス。
 R158を上高地方面へ走り、新村の信号で右折。地方道を走り、三郷スカイライン入口を目指す。手前の枝道で左折してしまい、闇の中を迷走。山麓の農道から出てきた軽トラに道を聞いたら深夜にも関わらず、案内をしてくれた。 
 無事、三郷スカイラインに入れた。謝礼をいうとその親切な人も山やさんだった。日本百名山を目標に登っており、先日、白山に行った際に道迷いで地元の人にお世話になったから・・・とのことだった。お互い様精神が生きていた。荒んだ世の中であるが一服の清涼剤を飲んだ気がした。
 さて過去に一度日帰りで鍋冠山に登山するために来たスカイラインとはいうものの全く記憶はない。タイトなカーブ、きつい登りを10Kmも走っただろうか。トイレと送電鉄塔のあるところに止めて車中泊とした。女性達は暗闇の中でのテントを嫌った。4人の女性と男1人でどうやってと思うがそこは商用車の強みで荷物を外に出すと広大な?空間になった。5人は楽に腰を伸ばして眠れる。
 8/2、4時過ぎ、誰かのサインで起きた。荷物をパッキングして簡単な食事を済ます。5時40分出発。最初は舗装路であるがすぐに未舗装の林道になる。約1時間歩くと冷沢の登山口である。道は尾根に登って行くが沢で水を飲んだ。冷たくて美味しい。冷沢源流の水を別の山麓に引いている。鉢盛山、権兵衛峠にもある。
 登山口に戻って尾根を登る。幸い道ははっきりしている。等高線どおりの緩やかな登山道である。標高も高いので涼しい。野谷荘司山とは比較にならない、と誰かが言う。その通りである。樹林の中ばかりで余り面白みはない。しかし、重厚な原生林の中の道は風格がある。
 登山道の途中からイチヤクソウという植物がよく見られるようになった。過去にも見た記憶がある。三角点のある鍋冠山を通過。展望なし。北アルプスの森林限界は2400mから2500mほどだから大滝山までは樹林に覆われる。山頂を越すと八丁タルミのだらだらした吊り尾根を歩く。微風を感じられる程度に歩度を緩めて歩くと大汗をかかずにすむ。針葉樹の森から岳樺の森になると遠くの山も見えるようになった。高山植物の花も増えた。フウロソウ、クルマユリ、キスゲなど。
 傾斜がきつくなり、前方には稜線も見えた。樹高が低くなり、明るい光が眩しい。谷筋はお花畑となって素晴らしい。一休みしたい広場に着いた所はクロユリの花が咲いていた。北アでは初見である。少し先も偵察すると稜線上の分岐であった。西の景観は槍穂高連峰であった。思わず、あっと声をあげた。素晴らしい。35年前も見た。10年位前も見たはずであるがいつも驚かせる。
   
   登りついて不意にひらけた眼前の風景に
   しばし世界の天井が抜けたかと思う。
   やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、
   この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
   無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、
   この風景の情緒はただ身にしみるように本原的で、
   尋常の尺度にはまるで桁が外れている。
              (尾崎喜八 美ヶ原熔岩台地)
 
 この詩は美ヶ原であるが槍穂高連峰はそれこそ不意に開けた眼前の風景である。それに息を飲む感じである。どこかで見たような風景ではない。広がりだけではなくて、圧倒的な高さがある。山岳景観の圧巻である。

 右は蝶、左は大滝である。ここで休んだ。登山者も一気に増えた。まず大滝山を往復。大滝山荘は静寂な樹林の中にあって池の前にある。お花畑ではハクサンチドリを見た。分岐から10分で大滝山である。上高地も俯瞰できた。焼岳、霞沢岳が目前。鉢盛山、小鉢盛山、乗鞍岳、御嶽などが見える。引き返して蝶ヶ岳ヒュッテを目指す。15時過ぎ、約2時間で到着。10時間の行動であった。
 8/3午前4時過ぎ起床。朝食は弁当にしてもらったのですぐに出発できる。手洗い、パッキングをしていると時間はすぐに経つ。快晴で遠く富士山も見えた。浅間山、妙高連山、志賀高原辺りも見える。今日も晴れるぞ。
 午前5時、小屋を出発。昨日と違って稜線には樹林は殆どない。小さなアップダウンを繰り返す。三角点峰、蝶槍を通過。涼しいより小寒い。常念へは又下って登るの繰り返しである。時々現れるお花畑に慰められる。しばらく樹林帯を上り下りするといよいよ常念の花崗岩のガレ場を登る。
 急峻な登山道を行くとついに山頂であった。山頂に立つと大天井岳が素晴らしい山容で聳える。いつかは登らねばと思う。槍の北鎌尾根もよく見えるし、眼下には屏風岩が俯瞰できる。穂高連峰もここから見るのが一番安定感があっていい。中央に奥穂、左は前穂、右は北舗と涸沢
岳がバランスよく並ぶ。前穂の前とは安曇野側から見てのことであろう。携帯が通じたので山頂からタクシーを予約した。下山は15時の予定であるが16時とした。
 風化した花崗岩の稜線を下る。常念小屋に通じる横断道は未整備を理由に通行止めだった。前常念岳には一等三角点がある。点名は常念岳である。なぜか山頂には置かれず、尾根の途中に埋設された。
 しばらくは花崗岩の風化した岩の間を下った。やっとの思いで樹林帯に入る。かなり、歩きやすい。長い下りを経て三股登山口に着いた。800m歩くと大きな駐車場に着く。タクシーはすぐに来た。タクシーで三郷スカイラインを走ってマイカーに戻った。8700円でした。帰りはタクシーの運ちゃんお奨めの温泉に入湯。18時を回ったが松本ICまでは近い。10時名古屋に着いた。

夏山登山2008年08月09日

 8/1から8/3にかけての北アルプス登山・吟

 安曇野はさすがに涼し夜の村

 夜の秋夜景を俯瞰していたり

 朝飯に胡瓜バキッと折りて食ぶ

 朝涼し路傍の花に心寄せ

 冷沢にて顔洗ふ登山口

 イチヤクソウ可憐な白き花咲かす

 山頂はシラベの森や夏木立

 高山の見初めし花はフウロソウ 

 クロユリが咲きているとも知らで過ぐ

 岳樺の森を過ぎればお花畑

 雪渓が穂高に食い入る如く立つ

 奥穂高なべて巌を灼くなめり

 草原に花咲くテガタチドリかな

 日盛りの稜線を行く蝶ヶ岳

 キスゲ咲くお花畑を過ぎにけり

 登りつつキヌガサソウの花を見る

 万緑の鍋冠の山見たり

 天体に近き所のキャンプかな

 登山小屋カラダ一つの場を得たり

 しみじみと今日を省みビール飲む

 槍ヶ岳隠そうべしや雲の峰

 大槍と小槍に似たり雲の峰

 雲の峰崩れて見たり槍ヶ岳

 ニッポンの山の朝だよご来光

 いち早く朝日を拝むご来光

 雲海の島めく富士の色黒し

 山涼し北の山へと登るべし

 夏の虫早お出ましかスプレーす

 炎天の岩場の路を攀じにけり

 炎天の常念岳に登るなり

 夏山やより削られし槍ヶ岳

 夏山路北の果には日本海

 三角点灼けてゐし前常念

 大汗を拭ひひたすら下りなり

 山清水飲むべし顔も洗ふべし

 タクシーを待つ日盛りの広場にて

 下山後は儀式のごとく髪洗ふ

 山行の証と見たり日焼け顔

納涼!愛知川奔流核心部遡行2008年08月11日

 8/10、参加者は2人減って4名。同行する知多半島グループは5名と合わせると大勢の編成になった。知多の連中は1名を除き、皆初心者ばかりである。
 朝明の駐車場で7時半過ぎに合流。7時40分出発。ハト峰峠から白滝谷を下降する。この谷も随分ご無沙汰である。伊勢側と違って近江側は傾斜も緩くて歩きやすいし、谷相も穏やかである。そんなに下るかな、と思うほど歩いた。9時30分。知多グループの皆さんは草鞋に地下足袋のクラシックスタイルである。
 本流はさしずめ大通りであろうか。上手から下流からもパーティーが来ては去ってゆく。スタイルも本格派から軽い沢遊び本位まで様々である。既に立秋は過ぎたとはいうものの都会は炎熱地獄の日々である。ここで全身を水に浸して納涼とした。
 
 8/7
 第三のビール購ふ立秋忌
 たまねぎを買おてカレーに普羅忌なり

 8/10
 朝明の奥、水車小屋のある公園でブラジリアンのキャンプを見た。ここはキャンプの禁止のところ。お構いなしに陽気に愉しんでいた。暑い時期は暑さを愉しむのが白人社会の文化とかいうが。

 白人ら残る暑さを楽しめり
 白人の女の水着残暑かな

 したたり落ちる汗を拭いながらハト峰峠に着く。子供達が大勢集まっていた。すると誰かがあっ「鹿」と叫んだ。悠々と近江側に逃げ込んだ。

 鹿一頭休む我らを見ておりぬ
 鈴鹿みな鹿の住処や昔から

 8月や山といえども雨降らず
 8月や淵という淵みな泳ぐ
 鬼灯のごときに見へしミニトマト
 あをあをと伊勢の千草の稲田かな
 よく見れば稲田ごとにも遅速あり

僧ヶ岳に登る2008年08月13日

 富山県の黒部市にある僧ヶ岳に登った。
 8/12夜、9時出発。ひるがのSAで車中泊。他にもマツダのフリーダとかいうベッド付きのワンボックス車で仮眠している人もいた。ワゴン車、キャンピングカーなど見られた。自由な旅行者のイメージである。
 8/13、5時に出発。小矢部JCTを経て1時間程度と思っていたら勘違いも甚だしい。名古屋からひるがのまでが約140Km,ひるがのから黒部ICを経て登山口までは180Kmもあった。合計320Kmの大ドライブであった。
 ガイドブックに従って、烏帽子尾根の1280mの登山口まで走る。9時出発。そこから約2時間20分で山頂であった。夜行疲れのカラダには丁度いい。それに今日は風もなく暑い。汗が滴り落ちる。ザックが軽いだけ救われている。仏ヶ平はさすがに涼しい。雲が厚いせいもあるが。しかし、山頂からの展望は得られなかった。
 もう少し早ければ仏ヶ平のニッコウキスゲの群落を楽しめた。一部にまだ残っていたがもう主役はシモツケソウに代わっていた。シモツケも落ちかかっていた。リンドウがまだツボミで出番を待っている。
 山頂滞在中に駒ヶ岳を往復していた2人組が帰ってきた。朝6時過ぎに出て今だった。しかも77歳という元気な老人である。500CCのペットボトルの水を見せてこれだけまだあるという。この暑い中を、と労うと節制が肝心とやり返された。
 12時、下山。1時間25分で一気に休まずに、下った。一足先に下った2人組に追いついた。車に戻って、宇奈月には立寄らず、R8に出て流したがお盆なので車は結構多い。富山市からR41に左折、飛騨の割石温泉で一風呂浴びた。高山市からは東海北陸道で帰った。

花の僧ヶ岳吟詠!2008年08月14日

ベニヒカゲとマツムシソウ
 山霧や熊除けの音が聞こえ来る

 秋の蝶マツムシソウの蜜を吸ふ

 限りある命や秋のベニヒカゲ

 秋草にザック投げ出し休らへり

 僧ヶ岳千草の花の中を行く

 シモツケソウ咲く仏ヶ平天の果て

 キスゲ咲く山の小池を囲むごと

 よく見れば花なき後のキスゲの実

 吾亦紅花らしからぬ姿かな

 リンドウの今に咲くぞとつぼみかな

 霧深し眺めを教ふ方位盤

 老二人霧の駒より帰還せり

 山に吹く秋風雨も混じりけり

奥美濃・俵谷を溯る2008年08月19日

 昨年のリベンジ行であったが今回は核心部は突破したものの登頂はならず、であった。
 16日の6時、W君宅に集合する。近くで買い物を済まして東海北陸道を走る。白鳥から油坂峠を越えて福井県に行く。和泉村で石徹白川に沿って溯る。石徹白ダムを過ぎると廃村三面を過ぎ、道が細くなって小谷堂はすぐである。
 俵谷林道に入り、右折した辺りの小広い空き地でテントを張る。簡単な宴会を済ますともう12時を回っている。就寝。
 17日3時目覚ましが鳴る。深夜から雨が時々降っていたが今朝はもうやんだようだ。簡単な朝食を摂ってテントを出る。地元の祭の世話で同行出着なかったI君が5時には来るはず。そう言っていたら4時半に着いた。5時、テントサイトを出発。I君の軽トラの荷台に3人が乗せてもらう。路肩崩壊で進めず、デポ。ザイルがもう1本欲しいとWリーダーがいい、取りに行く。林道デポ地を6時に歩き出す。草深い林道である。6時56分、仮に名付けた第三堰堤に到着。古い記録ではここまで車で来られた。あちこちで路肩が崩壊して自然に帰っていく。
 第三堰堤を7時過ぎ、出発。河原歩きから華麗な最初の滝に遭遇した。ここで俵石を見た。安山岩にある柱状節理である。俵谷の名前の由来は俵石の産出と分かる。
 しばらくで滝が次々現れる。詳細は「掲示板・行ってきました」の写真でご覧いただくことにしたい。核心部に入ったのである。技術的に比較的易しい滝ばかりであった。
 核心部最後の15mの滝の上で12時を過ぎ、下降の時間を考慮すると山頂へは行っておれない。已む無く下山した。巻いた滝も直接登攀した滝も懸垂を多用した。4人で下降するため時間がかかるが安全が第一である。
 第三堰堤の河原に戻った。また草深い林道を下ると18時を回った。温泉入湯は諦めざるを得ない。登頂を逃がしたことが残念であるが日帰りの記録があるために安心していたが当時からすでに15年経過、最新の岳人でさえ2001年、と7年前になる。その間に林道の状況が大きく変わっていた。往復2時間の林道歩きがロスタイムとなって響いた。体力的な限界もある。前日に第三堰堤の河原まで来ておいて翌日早く出発しなければ無理である。
 小谷堂については殆ど知らなかったが検索で調べると面白いことが分かった。小谷堂の背後の949mの三角点の点名が平家ヶ墓という。実際山腹の500m付近に平家の落人の墓があるという。地蔵坊というらしい。その墓石がなんと俵石であるらしい。又、1609mの通称小白山は点名は石徹白という。実はここも石徹白の末社人のムラだった。かなり歴史のあるムラである。縄文遺跡もあるという。それなのに何の記念碑もなくただススキの茂る草原に埋れていく。跡かたもない夢の跡なのである。
 釣師I君の話では以前に釣れたのはアマゴだったといって首を傾げていた。ここは日本海側なので大島線(昭和6年発表)でいえばイワナ、ヤマメの領域であろう。大島線は放流で崩れてしまっている。俵谷上流部には魚影は少ない。大きな堰堤が三箇所もあって荒れた印象を受けるのでしばらく回復は難しいだろう。

『三重の百山』を読む2008年08月27日

 『三重の百山』なる山岳書を入手した。発行は津・ネージュ山岳会編で2008年3月に刊行。本書は既に2刷であるから相当売れているようだ。装丁は1座見開き2ページで、写真が3枚配される。地図は2.5万図の縮小版のために扱いにくい。地名は小さく、等高線も細かすぎるので目の悪い中高年には辛い。そこが難点である。
 会の代表の吉住友一さんは旧分県登山ガイド『三重県の山』(1996年)も手がけている80歳の超ベテランである。この時は津・峠の会会員であったが直後の1998年に結成したネージュ山岳会が10年の節目を迎えたことも意識されたかに思う。制約のある本は書いても書いても不満がどこかに残るものでこの100山の本で得心の行くものになったであろう。
 自然豊かな郷土の山へのいざない、と副題がある。特に三重県南部は林業の盛んな土地柄で自然が豊かとは思えない。しかし、登山者の目に触れる範囲ならまだまだ自然は残されていると解釈したらよかろう。選定には5つの基準を設け、234座を選んだ。そこから更に100座に絞った。三重県の山をほぼ網羅されたことで百山の本の資格を満たしたといえる。
 所在地マップによると概ね北部の鈴鹿で30座、紀伊山地で30座、その他の地域からまばらに40座が選定されてバランスよく配置されている。特に地元でも余り行かない東紀州は意識的に多めに選定された工夫が伺える。先ずは誰からも好まれる展望のいい山座が選定されたことで好評なのも理解できる。
 個人的には100座中35座が未踏であった。やはり、南部に多いのは交通が不便だったことを考えれば致し方ない。同じ交通費と時間で長野県、岐阜県、石川県の名だたる山へ行けるのだから。好みでいえば台高の「ウグイの高」が入っても良かったと思うが。伊賀市の西教山は『新日本山岳誌』で採り上げて登山道の整備が待たれる、などと書いておいたら本書でも採り上げてあり、山頂の展望台まであることが写真で分かって嬉しくなった。

8月の俳句2008年08月30日

 秋雷雨激しパソコンシャットダウンす

 秋灯下校正に目を光らせる

 歯を削る音の身に入(し)むほど痛し

 秋の夜ジクジク抜歯の痛むなり

 秋出水川は生気を取り戻す
  
 氷水に浮きし秋刀魚を一尾買ふ

 タイマーはそのまま秋の扇風機

 古き良き屋台が醸す秋祭り

 懐かしき屋台の並ぶ秋祭り
 
 銀行の名入りでもらふ秋団扇

 マイカーの使い道なき捨団扇

 秋の蚊を気にして山を打ち合わす

 残る蚊を一撃せんと線香焚く

 新涼の奥歯の義歯を嘗め回す

 俳誌より好句を探す秋灯下

 秋の夜は木暮理太郎読めとこそ

映画「若き日」鑑賞2008年08月31日

 久々に小津映画を観た。トーキー作品はみな観たがサイレント映画の方がまだ2、3見残していた。1929年。小津安二郎監督制作。副題に学生ロマンスとある。小津は19歳で伊勢の局ヶ岳山麓の尋常小学校の代用教員を勤めた後、ニート生活を経て大好きな映画の世界に入っているから大学生活は知らなかった。ちょっとした憧れもあって楽しそうな学生生活の一面を覗き見する感覚で撮られたように思った。
 1929年といえば小津は26歳。ニューヨーク大恐慌の年であった。失業者があふれて社会も不安定であった。まるで夢物語のような映画であった。それでも現在に至る影響は大きなものがある作品であろう。
 私が面白いと思ったのはギャグではなく当時のスキーの風俗である。かなり長めのスキー板に皮バンドでスキー靴を巻きつけるタイプの締め具。今でも締める感覚は分かるがあの当時は本当に締め付けている感じである。
 それにゲレンデといってもリフトが見当たらない。スキーヤーはみな歩いて登っている。雪も深そうなので長い板の必然性もあった。技術は直滑降中心で曲がる動作は少ない。ゲレンデでも山スキーに近い遊びであったと思う。
 主人公がゲレンデの真ん中でコッヘルで雪を溶かしてお湯を沸かし、紅茶を入れる場面も楽しい。どたばた喜劇であるがちゃんと時代を反映させている。当時はゲレンデに売店やレストランも無かったからである。雪山を映す場面もあったがあれが妙高山か、と思うが確信はない。
 この映画は戦後になって若大将シリーズのスキー映画に引き継がれた気がした。あの映画も2人の対照的な登場人物が面白おかしく展開する。スキーと恋を絡ませた物語である点が共通である。
 それにしても「毎日が日曜」「大学は出たけれど」など今でも古びない言葉を生み出した小津さんはやっぱり只の映画人ではなかったと思う。