映画「浪華悲歌」鑑賞2007年12月09日

1936年の浪華悲歌 、1953年の雨月物語、1953年の祇園囃子などの溝口作品の世界をDVDで観た。中でも掲題の浪華悲歌は良かった。以前観た祇園の姉妹とともに代表作と並び賞賛される。1954年の山椒大夫を見た際は特に心を動かすものはなかった。原作を読んでいたので比べてしまうからであろう。田中絹代の演技力だけでは心もとない。雨月物語は原作を知らなかったが絵空事の感が強い。ただ一人森雅之の演技が光る。しかし、外国では高い評価を得ている。祇園の世界など所詮は殆ど縁のない世界だから悲劇的な女性の生き様を垣間見ただけの感想しかなかった。
 浪華悲歌は主役・山田五十鈴19歳のときの作品。今風に言えばOLの転落の物語である。父親は会社のカネを横領して株に投資するも失敗。その返済に追われる身、兄は大学生で学資が要る、妹も学校に通う身。
 ざっとこんな家庭環境の中に山田五十鈴扮するアヤ子はいた。まず父親の窮地を救うために勤務先の社長の妾になる。大金を得て父親は救われる。これは社長夫人にばれてしまう。このときの社長夫婦のやり取りは漫才みたいでおかしい。次に妹から兄が学資に困っていると聞いて勤務先に通ってくる株屋をそそのかしてカネを巻き上げる。このカネも父親に送った。
 勤務先で知り合った恋人と結婚するつもりでアパートに引き込むがそこへ株屋がカネを返せと迫って来た。急遽恋人を用心棒に立てて追い返す。これは犯罪とされて警察に引っ張られる。新聞にも掲載されてしまった。自宅に戻ったアヤ子は父や兄、妹に冷たくされる。夕飯のメニューはすきやきであった。その生活費もアヤ子から送られたカネであったが妹はすきやきを分けてくれない。兄は罵倒する。父親は黙してかばうこともしない。救いようのない場面である。本来なら温かく迎えるはずが厄介者扱いされている。
 自分を犠牲にして家族を窮地から救ったのに親兄妹は助け合うこともなかった。見切りをつけてアヤは家を飛び出す。あてどない町を彷徨う。知り合いの医者と会うが「病気と違うか」といわれて「不良少女ちう立派な病気やわ」と応える。彼女の行く末は、と気になるがそこで終る。これまでの涙を流させる映画と違って徹底したリアリズムで進行していく。現実にあったかのように。大阪弁だけが救いの映画でした。
 山田五十鈴は当時一女をもうけていたがこの作品で女優開眼したという。家庭婦人になる決意を翻して名女優へのステップを登る道を選んだという。小津監督の「東京暮色」でも山田五十鈴の役は流浪する女であった。家庭にいつかない女性である。小津さんの脳裏にはこの作品のイメージもあったと思う。ただし東京弁で喜劇の俳優がいなかったから救いがなかった。女房に逃げられた夫・笠さんを描きたかったらしいが霞んでいた。

大掃除2007年12月09日

 今日は溜まりに溜まった未整理の書類、本、雑誌、ダイレクトメール、メモ類など整理した。大掃除で深夜までかかった。
 今年は6月までは先ず先ずの進行具合だった。7月初めに雑誌の寄稿依頼を引き受けてから9月までが何かと多忙感に追われた。おまけに異常に暑かったし長引いた。こうなるとだらけて資料、参考書、メモ、プリント、地形図が出しっ放しになったまま重なって放置したままであった。
 封を開けないまま捨てるダイレクトメールや雑誌なども結構多い。溜まると面倒なものである。捨てるとまずいものもあるから一応溜めておくからだ。山行の方は程ほどであったが仕事が多忙であった。とにかくこれが一番の原因である。
 そんな中を休日毎に予定をこなすことが出来た。但し10月末で鍵当番は交代となった。やれやれである。朝早く夜遅い日常がこの3年間続いた。淋しい気もするが何とも清清しい気分が優る。11月に入って時間は余裕が出来た。但し、マイカーの鍵を一時紛失したことで気分が落ち込んだ。これも丁度1週間後に解決した。出てきたのである。誰か知らないが届けてあった。初旬の予定は皆キャンセルであった。
 11月後半は取り戻すかのように四国の山をドライブ登山してきた。快晴に恵まれて良かった。12月初めは最後の映画祭に参席。このように日程を消化してもう一年が終ろうとしている。早いものである。
 愛用のオイルヒーターを出して寒い夜に備えた。18Lで数百円だった灯油が今は1700円もする。マイカーのタイヤもスタッドレスに交換しなければならない。登山の衣類や道具も冬のものに切り替えておこう。来年の手帳も用意したい。忘年会、山行、年末年始の山、年を越えて来年早々にスキー行ETC.
 昨年の今頃からメタボ対策で徒歩通勤、肉食を止めるなどで始めたがノロウイルスに罹患し、年末から1月一杯はこじらせた風邪に悩んだ。肉を止めると免疫力が落ちて病気にかかりやすい、と知って肉食を再開し、2月から体力を回復した。しかし、時間を持て余したお陰で映画の楽しみを知ったのも事実である。怪我の功名というべしか。