映画「ある映画監督の生涯」鑑賞2007年11月14日

1975年、新藤兼人監督63歳の作品。近代映画協会は新藤さんの映画製作の拠点。溝口健二を証言する39人の記録、私家版と副題がある貴重な映像である。
 39人中には高橋治「絢爛たる影絵」で知った小津安二郎が仕えた牛原虚彦監督、最近観たばかりの「滝の白糸」の入江たか子、「残菊物語」の森赫子(1914-)、「近松物語」の香川京子、多数に出演した田中絹代らがインタビューに応える形で登場する。
 森赫子は1914年生まれであるから1939年の映画製作時は25歳だったことになる。1975年のこの映画出演時は61歳でサングラス姿で出演。おやっと思ってネットで検索すると42歳のときに病気で失明されたそうだ。明るい声を聞くと失明とは気がつかなかった。花柳章太郎が銀幕を通して主役ではあったが溝口監督の描きたかった女性像はお徳であった。菊之助が勘当後、潜んでいた雑司ヶ谷にまで会いに来てくれた。「女房にするつもりだ」と愛を宣言。その嬉しさを後姿で演技するなど名演は脳裏に刻まれる。
 入江たか子は1911年生まれ。1975年時点では64歳だった。「滝の白糸」は彼女にとってもはじめての明治女の役つまり和服姿だったという。戦中戦後を生き抜いた美人女優入江たか子がしゃべっている、という奇跡のような映像と思ったことである。