加賀・錦城山に登る2007年09月03日

 本来は俵谷の沢登りの計画であった。林道奥深く入ったものの降雨を心配して中止と相成った。夕べは名古屋を早く出ることが出来て10時30分には着いてしまったから楽しくてついつい小宴のつもりがが長々と続いて飲みすぎて頭痛がするのも気力が伴わなかった。往復10時間だから6時には入渓するべきが随分遅刻した。これも皆が油断して飲みすぎたからか?
 林道の状態は両側から草が伸びていたし木の枝も張り出していた。落石も多いようだ。ドアを開けるとアブやオロロがどっと入ってきた。冷房するとおとなしくなった。目標地点までのろのろ走ったが途中でギャップの大きな所があり4WDだが普通の車高では太刀打ちできず、撤退となった。
 さりとて小谷堂(こたんどう)へ戻っても何かやるあてもない。岩魚釣りがひらめいたがえさの用意がない。あちこち道草を食いながら九頭竜へ戻った。車輪に砂粒が入ったらしく異音がするのでチエック。外からは分からないのでホイールを外して見たら見つかった。W君の根気に感謝。
 そうだ!こんな時こそ行ってみようか。空は鉛色の雨雲だ。もう観光しかないと腹を括った。石川県加賀市にあるの深田久弥の山の文学館だ。
 http://www1.kagacable.ne.jp/~yama/
 R158を行き、R364と走る。大聖寺町の駅の近くの看板で見当をつけて割りに簡単に行けた。絹織物の山長の工場だった古い建物だが風情がある。入館料は300円也を払うと係りの人があれこれ説明してくれた。代表作の『日本百名山』で山の作家として押しも推されぬ存在になったから立派なものである。
 沢で食べる昼飯を庭の中で食べることを許可してくださった。おかげで随分長い時間を気持ちよく過ごせた。さて、このまま帰るには何か今ひとつ足りない。素うどんプラスせめてかやくかかつおぶしの一つまみが欲しい、と思い立ったのが錦城山登山であった。
 この山は『新かが・のと百山』(平成3年)や分県登山ガイド「石川県の山」の旧版(1996年)に掲載されている。館の人に道を教えてもらい行った。簡単に登れた。何しろ標高は65mであったから。おまけに城跡だから遊歩道も整備されて歩きやすい。本丸からの展望は皆無であった。
 近くには久弥が通った小学校もある。校歌の作詞もした。「白山の峰はさやかに 強き子らここに集いて」と始まるようだ。歌うたびに少年のこころに白山は根付いていくだろう。墓地も回ったが分からなかった。生家は今も健在で紙屋さんだ。その前には生誕の地の石碑が新しい。加賀市にとっては全国に名を知られた有名人であるから顕彰する価値がある人である。
 帰る時は前方はるかに久弥が愛した富士写ヶ岳がすっきりした山容で「また来なさい」とあいさつされたようだ。そうか空はまずまずの晴れに好転していたのである。丸岡温泉で一浴して帰った。今日ばかりは文学の山旅であった。