映画「戸田家の兄妹」鑑賞2007年08月13日

 相変わらず小津安二郎作品を観た。まず映画「長屋紳士録」だ。1947年作。迷子を連れてくる笠智衆、世話をする飯田蝶子、坂本武らが出演。蝶子としてはやっかい者を押し付けられたので終始ご機嫌斜め。迷子にも辛く当る。が次第に情が移り、子供にならないかと持ちかける。なるというところで記念の写真にも納まったはいいが結局は父親が引き取りに来て終る。最後に蝶子は泣くが情が移ったのにもう別れるから泣くのではなくあの子が本当の親と生活できるようになったことが嬉しくて泣いたと打ち明ける。人情と喜劇の物語である。上野公園の迷子のショットで締めくくる辺り当時の社会の断面も切り取ってただの人情劇で終らないのはさすがでした。
 本番は「戸田家の兄妹」で1941年制作。女優陣が絢爛豪華。当時のヒット作だったという。最もよく知られた高峰三枝子を筆頭に、三宅邦子、桑野通子、吉川満子。俳優では佐分利信が主役陣であるがあとは脇役に回る。
 高峰三枝子といえば「湖畔の宿」の歌が余りにも有名でその印象しかない。この時は23歳であり非常に綺麗である。1942年にはその湖畔の宿も大ヒット。歌う女優として知られる。ある山仲間のご尊父の葬儀では趣味だったアコーディオンのクラブが湖畔の宿を演奏するハプニングまであってびっくりした。それくらい年齢的にも幅広く大衆に親しまれた美貌と美声の女優であった。主演で観るのは初めてである。
 友人役の桑野通子も大変綺麗であったが31歳で早世した。戦後作品の「秋日和」で桑野みゆきが出ているが娘である。しかし母の方が断然綺麗である。コメディもこなすタイプだから小津さんには惜しい役者であっただろう。
 物語は上流家庭の不和である。長女、長男、次男、次女、三女の5人兄妹がいる。佐分利信の次男と、高峰三枝子の三女以外は結婚している。父親は成功者であるが急死する。死後、手形の裏書の保証を履行せねばならないことがわかった。家屋敷、骨董品などを売却して債務の50%は履行。
 結果、母親と三女は家を出ることになった。誰が面倒を見るか。まずは長男の家で落ち着こうとするも折り合いが悪く、長女の家に変るがここもだめ。
次女の家でも最初から諦めて売却さえためらわれた別荘に行くと相談。賛成するが内心ではほっとしている。
 別荘では気兼ねなく生活は出来た。やがて1周忌となり葬儀の後で天津から帰国してきた次男は母親の気苦労を思い、兄さん、姉さんは母親の面倒も見ずに何だ、と批判する。結局次男は母親、三女とも天津へ連れて行くことを促し了解させる。そして三女は次男に結婚を持ちかける。友人の桑野通子はどうだ、という。三女に任せると応じる。反対に三女にも結婚を持ちかけて承諾を得た。桑野は手土産を持って訪ねてきたが次男は海辺に出かけたショットで終る。
 よく聞く話である。兄妹は他人の始まりである。仲のよかった兄妹も其々に家庭を築いてしまうとたとえ親といえども同居は何かと難しいものがある。妻とか夫に他人が入ってくるからだ。それに亡くなった父親は負債を残していたから子供には1円の遺産もない。貧乏な母の面倒を見るのは逃げたいところだ。親の立場からすればたっぷり財産をもって死ぬまで渡さない方がいい。そうすればそうしたで子供達の相続争いの元になるが。
 後の「東京物語」のように家族がバラバラに崩壊していくということではない。母の面倒は次男が見るのだからまだ救われている。葛城文子扮する貧乏な母親役は上手い。心当たりのある観客はスクリーンの葛城文子に自分の母をダブらせたであろう。
 この映画はアメリカ映画「オーバー・ゼ・ヒル」の翻案といわれる。実は小津さんの家族でも父親の寅之助が1934年、67歳で狭心症で亡くなっている。映画の父親も狭心症の設定である。1935年には母親と弟を引き取って転居している。弟には大学まで行かせている。だからモデルとも言われたらしいが2007年1月号「雑誌「考える人 特集小津安二郎をそだてたもの」の中で弟の信三氏に嫁いだ小津ハマさんはやんわり否定されている。

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