藤倉谷撤退2006年07月02日

 7/1.7/2共大雨洪水雷注意報が発令中であった。
 中止か、変更かW君と協議を重ねた結果計画通り実施した。KSさん、KAさん、Wさんと北陸に向った。但し、ビバークの場所は広野ダム湖の付近にある東屋と決めた。
 今庄ICからまず広野ダムに走る。幸い降雨は一段落していた。東屋よりもトイレに近い路上に仮のテントを張った。多少風が強い他には快適そのものである。ミニ宴会をして就寝。
 翌朝4時に目覚め。足りない気分でうたた寝を決めるが段々明るくなるテント内に耐えられず起床。簡単な朝食を済ます。
 外は高曇りであるが低い雲が早い速度で過ぎてゆく。低気圧に向って東から西へ雲が流れてゆく。雨はない。
 藤倉谷は芋ヶ平から高倉林道を峠に向う途中4番目の谷に当る。芋ヶ平は文字通り山奥の平である。ここの奥には蓮如上人の隠れ住んだ岩屋があるという。地形図で先の見当をつけてから出発した。落石通行止めであったが構わず入る。一箇所土砂が路上に押し出されていたがブルで修復中であった。構わず乗り越えてゆく。4番目の谷を探して出発したが谷の中は倒木だらけの荒れ様が酷い。これは大雪で多くの木が倒れたり枝折れして谷に掃き寄せられた結果であろう。根まで露にした大木まであった。そこをすり抜けながら遡行した。
 おまけに入渓後に雷雨に見舞われる。谷の中では相当響いて今にも落雷が有りそうだ。バイルなどはすぐに捨てられるように指示したがカラビナ、エイト環など金属物をぶら下げているから気が気ではない。標高差100mも稼いだところで撤退した。下山は懸垂下降の練習をしながら下った。
 さて余った時間の過ごし方であるがまず芋ヶ平の近くの蓮如さんの隠れ住んだ岩屋を見学した。車で入って更に徒歩で登ること約10分で岩の割れ目の中に立つ仏像のある岩屋を見た。他に南無阿弥陀仏の幟もある。昔の山人は単なる岩室として放っておかず蓮如などを持ち出してそこに篤い信仰心を結びつけて物語を作ったのであろう。白山の北方にも蓮如岩があったはずだ。 次は伊藤氏庭園であるが雪害で修復中とのことで見学を断られた。次は温泉であるが南条市のハス祭りに因んでマイカー客の行列に恐れをなして転進した。R8沿いにある温泉に入湯した。中々の設備があり空いていたから快適であった。そしてR8を敦賀市に向った。敦賀市では武田耕雲斎の旧跡を巡った。水戸から敦賀まで約800Kmno行軍をこなした末に松原の露と消えた近世末期の日本史の汚点であった。明治維新は無血革命だった、と称える教育を受けたがこんな事実を知れば維新前後では多くの流血の犠牲があったと認めざるを得ない。我々はその犠牲の上に生きていけるのである。
 気比の松原にも立寄った。敦賀を後にして分水嶺を越えて木之本町ではR8を外れて琵琶湖の北を探るとウインドサーフィンの遊びに見入った。水すましみたいに風を巧みに操って遊ぶのである。無心にならざるを得ないであろう。またR8に戻ってようやく名古屋へ帰った。
閑話休題。奥越の山も奥美濃と同様に圧倒的な自然の濃さに恐いくらいの気分であった。鈴鹿では感じない気分である。またの挑戦は何時になろうか。

梅雨本番2006年07月06日

 先週からいよいよ梅雨本番の様相となった。梅雨末期の大暴れともいう。東シナ海に台風が現れているせいもある。梅雨明けは近いという気がしてきた。
 7/3は抜歯された後にブリッジをかぶせてもらった。噛むとカチカチ鳴って自分の歯という気がしない。
 7/4は会の例会であった。閉会後の2次会でJAC東海支部のIさんの訃報を聞いた。まだ70歳前という。男は70歳の坂が中々越えられない、とはあるご婦人の弁である。70歳を越えても順調には寿命は伸ばせない。トヨタの元重役が70歳前後で立て続けに亡くなられたことを思い出す。頻繁な海外出張で体を酷使した結果であろうと推測したが子供時代の食料事情が影響していることもあろう。 
 先日は橋本竜太郎元首相が亡くなられた。68歳であった。終戦時(1945年)は7歳前後か。多臓器不全と死因が書いてあるのを見ると幼少時に食べたいだけ食べられなかったのであろう、と思いを致す。勤務先の元上司は定年後半年で亡くなられた。終戦の年の生まれである。お金持ちでも食べ物には不自由した時代であった。頑健そうに見えてもどこか弱点があるようだ。
 7/5は先週の山でやられた漆かぶれの治療に皮膚科に行った。半ズボンで散歩したらどうも漆に被れたらしい。朝一で皮膚科のお世話になる
    ”風生と死の話して涼しさよ”  虚子
富安風生と高浜虚子が死の話をしていたら背筋にすーっと涼しさを感じた、というのであろう。お互いに死が近い境遇に思い至り話題を変えたかどうかまでは分からない。風生は93歳の長寿を得た。虚子もまた83歳で死んだ。ともに長寿といえる。
  ”このかゆみ何とかしてよ漆かぶれ”  拙作
ああ!かゆいとは生きている証拠、抜歯もまた同じで未だに冷たい水でかなり沁みる。ちびちび飲むと寿命が延びる気がした。一病息災とはよくいったものである。

石巻山撮影行2006年07月09日

 朝から雨の予報が晴れている。撮影にも何とかなりそうである。行先は石巻山。高速はやや多めの通行量だった。ETCの通勤割引が使えた。
 登山口から奥まで入って赤岩尾根分岐まで往復したがわずかに歩いただけなのに大汗が噴き出た。とりあえず不足していた写真は撮れた。
 午後このまま帰るのはもったいないので何年ぶりかで豊橋市内の「きく宗」に寄る。菜飯田楽で有名な老舗である。大汗をかいた体に菜飯の塩味が沁みこんでいく。ここちよい味わいである。田楽の味噌だれと隠し味の辛しが汗を引き締める。これで1785円。
 肉、魚なしだと物足りないが健診で高脂血症の結果がでたので我慢せねば。江戸時代の文政年間というから約200年の伝統がある。古い中にも店の格式もあり雰囲気がいい。江戸時代にタイムスリップしたみたいだ。世が世なら隣に町人風情のお客と座るかも知れない。そんな錯覚がある。そうかといって目の玉が飛び出るほど高い料金でもない。
 もう一軒泥鰌料理の桝屋にも寄りたかったが午後2時で店じまいであった。本の精文館に寄って立ち読みした。郷土の本コーナーにも食指を動かす本はない。

無題2006年07月09日

 今日は終日外出をさけて原稿整理に当てた。あちこち手をつけながら進めたため進捗度はバラバラになった。特に写真の整理が大変な労力を要求された。写真だけは他の本を参考にすることは出来ない。机上では済まないのである。今日もまだ一山不備が分かった。撮ったつもりでも肝心な所が撮れていない。又行かねばならない。
 コラム記事もかなり手を入れた。まだ推敲し短縮せねばならない。少ない数であるが手間のかかる仕事ではある。
 
 HPの更新を試みたら設定を見直せ、とPCが指示している。はてな?。何度もやったがFTP転送が行かない。はて光ファイバーに変更したからか?変更後も転送は出来た。NTTに電話するが待たされるばかりであった。以降どんなところをなぶったか思い出すとどうもファイヤーウオールであった。推奨にクリックしただけである。それを外すと転送はうまくいった。たったこんなことでも行き詰るのである。また推奨に戻すが面倒なことである。

 久々にソーメンを味わった。こんな日は食欲も無いからやむを得ない。1日2食である。出勤しないということはかなりロスがないということだ。会社に行くだけでもエネルギーは使う。行かないとホントに楽なことである。

 新聞では相変わらず日銀の福井総裁が叩かれている。高給に加えて年金だけでも800万円弱ある、というから凄い。日本人の社会は妬みの強いところが特徴である。無いものねだりだ。みんな平等でなければいけない、と教える人がいる。少し前までの日本はそうだった。これは異例のことであったろう。しかし、金持ちや高位の人を羨んではいけないよ、と教えることも必要であろう。
 車のメーカーでも差別化をはかるように人よりちょっと贅沢に見てもらえる、という車が売れる。私は走ればいい、と思う。走る、曲がる、止まるがきちんとできて耐久性、経済性があればいい。
 福井さんにもそれなりの苦悩はあるだろう。多くの経営者、投資家は日銀との戦いである、と考える。一挙手一動が見られている。だから彼らはかなり天邪鬼にならざるを得ない。誰かと会って何かを相談しても見透かされてはいけない。普通の神経では勤まらないはずである。
 だから数千万円もの年収を得て当然と思う。庶民のレベルで生活していたらだめ。でも退任したら民間の誘いをすべて断ってほしいな。そのための高給なんだからね。将来お呼びの可能性がある時に民間に下ってしまったのが彼の先見のなさかも知れない。
 沢山の人が擦り寄ってくるから踊らされないようにしてくださいな。

クルマ雑感③2006年07月12日

 ついにトヨタの品質保証体制がゆらぎ始めた。本来リコールすべきトラブルを放置して担当の部長級が書類送検された。
 元々ハイラックスサーフはアンバランスなクルマだった。友人の車を代わりに運転した事があったが様々なクルマのパーツを寄せ集めたような造りであった。軽いボディーに強力なエンジンでフットワークのいい感覚が持てて若い人にはよく売れた。寄せ集めのクルマだから開発費は安い。コスト重視のトヨタらしい発想だ。性能の割には安いというこれまたトヨタお得意の商法である。だがあんな重要な部品の強度不足を見逃したとは残念だ。担当者は鍛造部品に無知だったとしか思えない。
 以前。名古屋から高速で八方尾根へスキーに行った際国道の脇に横転した車は皆トヨタのサーフ3台、ランクル1台だった。サーフはホイールベースが短く、軽量なボディが災いして重心が高くなり横転しやすい構造だったと思える。
 日本に限ればシェアはおよそ50%を握る最大のメーカーだからもっとリコールも発表されてもいいはずがこれまでは殆ど無かった。無いのが不自然だった。奥田氏が経団連会長を退任した途端である。一企業として日本最大の広告主であること、経団連会長会社であること、ニュースメーカーでもあるからご機嫌を損なう記事は掲載して来なかった、とみた。それどころか全国紙各紙は豊田佐吉以来の伝統と豊田家のこと困難を克服して愚直なものつくりのお手本のような会社であることをキャンペーンしてきた。そしてやがて世界1になる可能性を秘めた会社であることを誇らしげに書いてきた。
 水面下ではまだあるはずだ。富士重、三菱自はマイナーだからドライにマスコミに叩かれた。トヨタの社員も疲労しているはずだ。拡大成長路線を走る会社に協力させられておまけにリコール隠しとはがっくりしているだろう。大儲けしているのにベアは我慢させられて社員の側からも何らかの声が上がるんではないか。労組も二つ出来たことだし。トヨタマンである前に社会人であるべし、これを再び掲げて徹底をはかって欲しい。

訃報2006年07月12日

 今日6/5に入院した上司がついに亡くなった。癌の闘病空しく、といったところで慰めにもならない。享年59歳。合掌。

 先だってから探し回っていた大切なものを朝発見した。本と本との間は探したがページに挟まっていようとは。井上陽水の歌を口ずさみたくなった。おまけに車内からも紛失したとばかり思っていたハリスが見つかった。見つかった日はこれまで無いと思っていた別のものが見つかる可能性があるから。様々な仕事が一段落しつつあり体まで軽い感じだし頭も開放感で一杯になりそうだ。

探し物は何ですか?♪見つかりましたか♪ルルルル

岩岳撮影行2006年07月15日

 岩岳に再度登る。昨年秋登ったもののカメラの電池の調子が悪くて殆ど撮影が出来ていなかったことに気づいた。それで再びの撮影となった。午前5時半出発、登山口7時半スタート。1時間ほどで登る。涼しくて快晴に恵まれて順調に終る。その後はドライブになった。至る所青山がある。青い田圃が広がる。美味しそうな地元産のトマトを露天で買った。
 夜になって奥飛騨の沢上谷に出発した。東海北陸で行くと飛騨入りの早いこと。ところがビバークサイトが見つからない。おまけに雨と散々であった。トヤ峠を上宝村側に下ってから雨の中を道は細くなる、カーブはきつくなる、道路照明なしで不安一杯であった。野菜の朝市用の施設に入ると先着者がいて軒先にテントを張っていた。
 我々も午後11時半になってようやくテントサイトを決めて就寝できた。コンクリートの地面にテントを設営したが防水がしっかりだから安心である。Wさんはタープ代用のビニールシートを天幕にして焼肉を始めた。炭火焼だから美味しい。テントの中ではやれないので苦肉の策である。これで今日強行した目的の半分は達成したねと笑った。

沢上谷(そうれたに) 敗退2006年07月16日

 深夜まで食事をしていたためか中々起きられないが正規の場所ではないので迷惑にならないようにテントは撤収した。今回も雨男の存在があったか。 
 さて今日の過ごし方としては何も決めてない。とりあえず入渓地をチエックしておこう、と出発したが高原川は氾濫気味であった。梅雨出水という状況でとても沢には入れない。沢上大滝を見て自然の牙を剥き出した大水に感動した。その後はドライブしながらトヤ峠に上がった。かなり上部の箕谷大滝も凄い滝であった。雨ならではの景観である。
 飛騨丹生川村に下って農場にできた飛行場を見学して時間をつぶす。十二ヶ岳の登山口で睡眠不足を解消するため休憩。大雨になってきた。美女峠を越えてR41へと戻る。その後飛騨小坂のヒメシャガの湯で一風呂浴びた。巌立峡へ行く。この奥は古手の山岳会が活躍した谷である。林道開発の後は観光開発が進みつつある。久々のR41のドライブであった。東海北陸の影響か通行量は少ない。すずらん高原スキー場が閉鎖を決めたらしいがこの交通環境の大変化には止むを無いことだろう。

品質管理ということ2006年07月19日

 このところ一流メーカーの品質問題がどっと噴出している。つい最近も松下電器のストーブの排気パイプの不良で死者が出た事件が報じられた。ここに来て今度はパロマである。自動車ではトヨタの欠陥車が明るみに出た。品質の不良というより設計段階でコストダウン優先のため手を抜いた感じである。
 消費者、ユーザー側からも再考したいことはある。トップメーカーはいい製品、安全な製品だからトップになれたわけではない。どちらかといえば商売上手なのである。安い製品を高級そうに見せたり、話題になりそうな流行を追ってみたり、宣伝も派手にやっている。メーカーだけではない。サービス業も同じである。
 これに我々は乗せられやすい。モノを買う基準としてよく売れている、と聞けばいい製品だからと勘違いしてしまう。それは決定的に安いか同じ価格なら付加価値があり、おまけが多い、といったところであろう。
 一流メーカーは押しなべてコストダウンに力を入れる。そして強力な販売網で大量に売る。これが一流会社の真骨頂なのである。ここにはいい製品、良心的な価格、安全な製品といった視点はない。ちょっとつまづくとこの有り様である。
 トップメーカーだから、大会社だから、よく名前が知られているから、よく売れているから・・・。もうそんな基準を忘れようではないか。
 松下の欠陥は排気パイプを他のメーカーは金属なのにゴム製にした。だから経年劣化がより早く起きる。ゴムならかなり安いであろう。まるで素人の考えである。トヨタは旧型の重要部品をそのまま流用してコストダウンを図ろうとした。知らなかったでは済まされない。儲け至上主義が丸見えだ。パロマの場合は配線がいとも簡単にいじられるようだ。改造防止策をとればいいのにとらなかった。
 まだこれからも続出しそうである。買うときはよく吟味したいものである。

知生山の御料局三角点2006年07月22日

 知生山を再訪した。
 久々に登りたい山であった。何がそう思わせるかといえばやはり山容の秀麗さであろう。富士形であるが三河富士ともいわれた文献はない。この山は他ではまったく見ることが出来ない。R257からクルマでなら瞬間に見えるだけである。八橋からしか見えないところにこの山の不遇さがわかろう。だがそのおかげで山の文献からはしりぞけられて常に新鮮な気分がある。
 登山口の知生も調べたがまったく分からない。伊那街道はこの山を越えるに際して知生坂と呼ばれたようだ。知生にあるから知生坂である。古道の研究家には知られた道らしい。実際に歩いてみると中々に険しい。馬に荷物を積めばかなりな負荷がかかる。越えがたい道であったであろう。