ホームページ進化論2006年06月01日

 『ウェブ進化論』という本によれば今はweb2.0の時代という。web1.0の時代とは第一世代の謂いか。情報の送り手と受け手がはっきりしていた。今は受け手が相変わらず多いが送り手も相当なものであろう。私自信も今年4月からHPの更新の重さに観念して切り替えたblogの便利さにはまっている。会のホームページを作り出した2004年6月にすでにブログなるサービスはあったがこれほどではなかった。朝日ネットのブログサービスも昨年8月に開始されたばかりだ。
 当時はネット上に山岳会のオフィスを作るという考えであった。会には会員ルームがないからだった。会員間の連絡はメーリングリストが普及して頻繁に利用されている。だから会員専用サイトは設けなくてもいい。が書き込む場所がないので掲示板を設けたがあまり利用はされていない。我が会ではまだネットが十分活用されてはいない。 
 かつて山岳会といえば会員ルームを設けることが一つのステータスであった。アパートの一室、マンションの一室、事務所の一角を間借り、古家を間借りしたりして会員が集う場所はないよりはあったほうが格段にいい。だがあまり会費をとれない会ではルーム運営費として家賃、電話代、光熱費、火災保険料、駐車場確保などで多額の出費が必要だから公共の施設を一次利用して凌ぐことになる。わが会は年間4000円、会員ルームを持つ会は年間20000円前後が多い。これが山岳会の格差だった。
 老舗、会員集めが上手い会、知名度が突出して高い会はなべて会員ルームを設けている。それによって頻繁に集合が可能になりコミュニケーションも高まろうというもの。だが老舗の会でも公共施設を利用して例会を開催する会がでてきた。C会である。以前はまったく更新されなかったが例会ニュース、山行計画など情報公開に努めている。あわせて会員募集もといったところだ。中でも圧巻は会の過去を紹介するサイトである。
 山岳会の過去の栄光など新入りにどんな価値が分かろうか。栄光とは会員が入会してから作っていくものであろう。入会後どうする、という痛いところを突いたサイトが欲しいものである。栄光は悪く言えば自慢話である。山岳会は自分が登山してなんぼの世界だ。会員をして登山行動に駆り立てる山岳会の構築こそが語られなければならない。
 私の勤務先でもようやくHPが公開された。カタログの時代からHPの時代にようやく間に合った形である。生き残る組織は資金力、人材豊富、情報力でもなくて時代に対応していけることだ。その上で総表現化社会の到来だと著者は訴えている。面白い時代が来る予感がある。

元越谷沢初め2006年06月03日

 今年の大雪の影響はまだ残っていて夜叉ヶ池への林道は閉鎖中とかで大樽見谷の予定は中止した。代わって元越谷をスライドすることにした。何分まだ体が出来ていないし、装備も完全に揃っているか、昨年のまま保管してきて使用に耐えうるか、そいうチエックもある。
 5月中旬あたりから天気の不順が続くがこの2日間は何とかなりそうだ。暑いなりにもまださわやかである。沢初めにはふさわしい。梅雨に入るのも来週後半辺りであろう。何とか最低1山は登っておきたい。これからは登れるときには登る、ということになる。
 ただ心配なのはヤマヒルの出現である。献血月間に入ったのだ。今頃やつらはてぐすね引いて待っているんじゃないか。しかし、それでもカッコウやホトトギスの鳴き声も聞いてみたい。夏山は混沌として1年で一番面白い。

光ファイバーに契約変更2006年06月06日

 6/2光ファイバーに変更後初めてホームページの更新をした。ADSLでも結構早かったためか普段にはあまり恩恵を感じなかった。HPのFTP転送で初めて光の速さを実感した。もたつき感がない。今続々光に切り替わる人が増えているらしい。そのはずである。これなら動画も楽しめよう。
 いいものへの欲求は限りなく進化していく。光は日本人の技術らしいがこうしてその恩恵を得られるのはありがたい。そのうちどの家庭でも半導体の光すなわちLED(発光ダイオード)も普及するだろう。我々は大変化の真っ最中に生きている。

クルマ雑感②2006年06月08日

 4/23の日記にディーゼル乗用車復活待望論を少し書いた。その後5/23にホンダが2009年にD車を発売するという報道があった。続いて6/8には三菱がやはり2009年に発売するという記事が出ていた。いよいよだ。
 原油(ガソリン)の高騰が経営に与える影響は相当なもので日産では普通車が売れずスズキからOEMで購入する軽が台数を伸ばしているそうだ。しかも車種を増やすというから経営にもじわじわと悪影響が出始めている。利益率の低い小型車を軽視してきた結果であろう。ハイブリッド車は高コストですぐには先行するトヨタに追随できない。どの会社もディーゼルへと傾注せざるを得なくなった。
 中でも三菱は膨大な累積赤字がある。だからハイブリッドの開発に向うよりも足元の技術であるD車を開発した方が資金負担面でもずっといい。それに来期は単年度で黒字になるというが累積赤字のあるうちは法人税の負担がないからその分車両価格を安く設定して売上げ台数をシェアを拡大できる。赤字を逆手にとって再建を早めるチャンスである。
 連続200k/h、10万kmのテストランで華々しくデビューしたレガシーは高性能を評価されて大いに売れてスバルは赤字から脱却できた。今度は三菱の番だ。高速性能+燃費+環境と大いにアピールしたらいい。元々D車は耐久性はある。
 トヨタの拡大路線にも少しづつほころびが見え始めた。売り物の品質で韓国車に抜かれた。これはショックだろう。品質で信用を失うとトヨタの経営はは奈落の底に落ちてゆくだろう。生産台数が多いだけに・・・。現場は大混乱になると予想する。すでに社内では責任の転嫁が見られるという。どこでもあることだがトヨタは久しく聞かなかった。あの会社は拡大してもうまくやっている、さすがはトヨタさんなどと。
 ともあれユーザーとしては安くて品質、性能、燃費、デザインなどが良ければメーカーは問わないのである。

渥美半島の山・衣笠山から滝頭山へ2006年06月10日

山麓から仰いだ衣笠山  手前は小衣笠
 今日の天気予報では雨であったが梅雨前線が南に後退して曇りとなった。ちょっとした低山なら行ける、と渥美半島の山に向った。
 学生時代は豊橋市に住んでいたから大山にはバイクでちょくちょく出かけた。田原の衣笠山なんて今日まで見たことも無かった。田原の町はいつも素通りしていたのである。
 R259から右折して市街地を走ると前方に実に形の良い山が見えた。これが衣笠山であろう、とはすぐに察しがついた。
 全国に数多ある笠の形に由来する山の名前であろう。飛騨の笠ヶ岳は市女笠で中央が突起している笠に似ているから、八ヶ岳の編笠山は文字どおり編笠でおけさ笠とも、他にも大笠山、笠捨山、笠置山、笠形山など例は多い。googleのイメージで検索してみる。

 http://www.google.co.jp/imghp?hl=ja&tab=wi&q=
 
 衣笠山も検索すると結構ある。笠を伏せた形に似ていることに因むのは同じであろう。山頂が円頂のせいか田原富士とはならなかったようだ。となりの滝頭山にはなぜか田原富士の別名が与えられている。どこから見てもそんな風には見えないが・・・。
 滝頭公園のPに駐車。車道の右の桜並木をゆっくり登る。サクランボで路上は汚れ気味である。5分も登ると歩道の左に立派な登山口が見えた。擬木の階段を登るがすぐに尽きる。照葉樹の林と雑木、雑草で緑一色になっている。
 小衣笠を右に左に衣笠山という分岐を左へ。ピンク色の何かのゆりが膨らみ始めている。ササユリらしいが開花を待つばかりである。これは移植したものであろうか。
 傾斜が緩むと右から林道が上がってきている。すぐ先で衣笠山と遊歩道に分かれる。山道に入る。細幹の照葉樹林帯の中の薄暗い登山道である。これまでは衣笠自然歩道といったがここは旧来の登山道であろう。
 傾斜も急である。松尾岩とかいう岩塔に立寄ると田原市街が俯瞰できた。蔵王山も風車を設置してすぐそれと分かる。また登山道に戻って登ると山頂に着いた。珍しく山頂の看板が無い。あるのは分岐を示す道標だけだ。すぐ先に右書きの2等三角点があった。近くの岩頭に登ると三河湾が俯瞰できた。晴れておれば遠く富士山、日本アルプスも見えるかも知れない。
 道標に従って滝頭山に向う。急な道をぐんぐん下る。フィックスロープまであるほどである。やがて緩くなり先に分かれた衣笠自然歩道と合流する。
 途中東屋を経て登り返すと仁崎峠まで急降下であった。一旦車道を横切ると滝頭山への登山道に入る。やや急な山道で展望も無い。少し海が見える所もあるがひたすら樹林帯の登りである。
 左に滝不動へも道を分けて登り切ると滝頭山山頂であった。三角点はなく展望も無いさえない山である。途中のコブといった無愛想な山頂であった。すぐに滝頭の方へ下ると岩場がある。ここからはいい眺めが得られた。田原市街と蔵王山、晴れれば富士山も見えるであろう。
 急な岩混じりの道を下ると薄暗い谷に着いた。更に下ると滝頭不動であった。再び車道に戻った。公園の一角を歩いてクルマに戻った。
 AM10:25→10:30登山口→11:00山頂→11:30仁崎峠→12:00滝頭山→滝頭不動12:30
 とまあ山中で弁当を食べることもなくコーラ1本だけで周遊してしまった。
 注:衣笠山は2等なので1等の大山、3等のタコウド、雨乞山直下の4等三角点を1日で経巡ってくるとサイクル登山の達成が出来る。野球のサイクルヒットに習ったものである。1等は少ないし、中でも4等は探すが難しいから滅多にない組み合わせである。

ザクロの花2006年06月13日

石榴の花
 いきつけの食堂のPで赤く咲いた花を見た。店内の女主人に何の花か、聞いてみたらザクロの花であった。トゲがある。秋には実がなるそうだ。長年通ってるが意識したのは初めてのことである。
 通勤途上でも色々な花を見かける。みな園芸種であるが夏は鮮やかな色の花が多い。早春はクスノキ科の黄色、春はアカムラサキかピンクのツツジ科、初夏の今は鮮やかな赤が多い。むろんベースとしては一貫して白い花が多い。タムシバ、辛夷、シロヤシオ、カナミズキ、ヤマボウシ、クチナシ辺りか。
 これからは韓国の国花といわれるムクゲが咲くことになろう。この花も近くの民家で毎日見ては愛でている。イメージとしてはオレンジ色の鮮やかさが目に浮かぶ。
 夏は花が多くて花の競演で虫を誘うのであろう。山で休憩中、女性がピンクのTシャツを着ていたら蝶々が盛んに寄って来たことを思い出す。

タチアオイ(立葵)2006年06月14日

タチアオイ
 石榴の花のとなりの小さな畑はむしろ園芸種が密植してある。なんと石榴の樹もあった。バラもある。写真はキョウチクトウと教えてくれたが検索ではタチアオイであった。

廃村海老探訪と撮影行2006年06月25日

 昨日は余り芳しくない天気予報に内々に溜まった雑用を片付ける予定でいたら何と好天である。雑用の一つでもある山の撮影に早朝から三河へ走った。確かに雨が降るような天気ではないが山岳地帯では白っぽいもやがかかり写真向きではない。それでもいい角度で撮れないかあちこち走り回ったがシャッターチャンスはなかった。残念。
 矢作川源流から天竜川の支流の山郷一帯を駆け巡った。そして、三河川合まで来てふと思い出したのはかねて訪ねて見たかった宇連山の麓の廃村宇連であった。鳳来湖への案内を見て入る。ダム湖はこのところの降水で満水状態である。喫水線を越えんとするくらいだ。くねくね羊腸の道を走って目をつけておいた林道に進む。若干落石もあるが舗装のお陰で大した荒れはない。右に荒廃した家屋がある。更に行くと一軒家が建つ。まだ人が住んでいそうな気配がある。おそらく夏だけでも過ごされるのではないか。
 終点に4輪駆動車が止まっている。諏訪神社と看板のある小社が対岸にある。そこで老婦が掃き掃除をしていた。若い息子さんらしい人は屋根に上がって草をとっていた。また再現するのであろうか。海老への道を聞いて見ると丁寧に教えてくれた。やはり住んでいた人なのであろう。教えられた道を辿ると荒廃してはいるが植林の手入れに少しは歩かれているようだった。ここから海老峠に上がり、海老の里に下れる。かつては豊橋の行商人が山郷の家々を訪ね歩いて海老峠を越えていった、という。多くがダム湖の湖底に沈んだとあって宇連だけが生き残れるわけもない。車まで戻って古い民家を訪ねると誰も居ないが戸は開け放されて家の中は丸見えである。別の部屋には手入れされた布団が見えた。先ほどの二人の住居なんだな、と思った。生活のにおいがする家はいいものである。住んでさえおれば荒廃することもないのだ。先ほどから白い小さな花が一杯咲いていた。よく見ると十薬であった。どくだみである。パソコンを使う仕事で目を痛め市販の点眼薬を常用したため防腐剤が肝臓に蓄積されて体がだるくなる薬品障害を起こした。勤務先の健診でもγGTPなどの数字が上限を超えた。日経の夕刊で知りどくだみを薬局で購入し2日置きに服用して2ヵ月後の健診では数字が許容範囲に納まっていたのにびっくりした。点眼は止めていたがどくだみの薬効がこんなに劇的とは身をもって体験したことである。
 どくだみの花咲く廃村を後にしてR151に戻るとやたらに梅の幟が多い。風にはためいている。そんなに有名な産地であったかと思っているとうめの湯が見えたので一浴した。そこでも梅を販売していた。有名な産地の梅が美味いとは限りません、と書かれていた。ごもっともである。
 鳳来まで南下して設楽に向かう。また三都橋まで行き段戸湖まで上った。足助まで来てほぼ300km超のロングドライブになったことに気づいた。

西駒山荘からの手紙2006年06月28日

 長野県伊那市役所が経営する西駒山荘の管理人・宮下拓也さんから小屋開きの案内が届いた。といっても私信ではなく多分に営業的なものであるが無数にいる宿泊者からなぜ自分のところへ来信するのかは分からない。全員に出していたら通信費で赤字であろう。
 多分中央アルプスの北部にあって重厚な針葉樹の鎧をまとったような大棚入山から縦走してきたこと、中央アルプス唯一の日本海側の奈良井川源流を遡行してきたことが印象に残っているのであろうか。いずれもこの小屋に泊まったのである。特に奈良井川遡行では小屋開きというのに天気が不順でキャンセルした客が多く、我々だけの貸切になってしまったことがあった。その分親密になった。以来毎年案内が来信する。時には封筒持参で缶ビール進呈ということもあったがついに行けなかった。
 今年辺りは行ってみようか。黒川支流の伊勢滝の遡行もやりたいし。
営業期間は7/8から10/9まで。コマクサの開花を宣伝している。このことはしかし「やはり野におけ、蓮華草」か。人工的に移植された気がして美しくない気がした。コマクサは自然の姿で見たいものである。
 この句を検索で調べると原作は江戸時代の俳人の瓢水の作らしい。手にとらでやはり野におけ蓮華草、というのが原作。知人が遊女を身請けしようとしたのをとがめて送った俳句であった。自己流の解釈であるが、美人で気立てがいい、優しくしてくれる、知人はそのことに惚れ込んで身請けしたくなった。だが待てよそんな女がいるわけがない。多分に営業的に知人に近づいたんだ。身ぐるみ剥がれて哀れな末路を予想した瓢水は機知を含んだ俳句で諌めたのである。
 とまれ自然の中で咲いている花を都会に持ち帰っても枯らしてしまうことが多い。ましてやコマクサのような砂礫でささやかな貧栄養という土壌で生きている植物は尚更であろう。しかし、盗掘が多かったと見えて途絶えてしまった。高い値で取引されたであろう。今あちこちで他で育ったコマクサを移植している。無いものねだりであろうか。