稲武の里山をめぐる2022年08月28日

 古道調査に絡んだ稲武通いもこれで7回目になった。古道踏査は2回で済んだが三河の宮・尹良親王の足跡調査に時間と手間がかかった。
 28日は道の駅「どんぐりの里」を起点にR153を歩いて黒田から正寿寺の道標から右折すると寺洞林道になる。御所屋(峠)の歌碑を確認するのも3回目になった。麓の有志が金50銭を出し合って建立したらしい。御醍醐天皇の孫を思う気持ちが伝わる。
 ほのぼのと明け行く空をながむれば月ひとり住む西の山かげ
中電の道標{REF}に従って破線路の道を登る。麓の黒田の地名の通り、この土も真っ黒である。湿地帯のじめじめした所には木が倒してある。ここを過ぎるとプラスチックの階段がありすぐに4等三角点「貝戸」に着く。中電の反射板があるが樹木で何も見えない。それに施設名の看板は外されているから廃棄されたのか。
 周囲は杉桧の高く育った疎林で気持ちの良い平になっている。緩斜面を東に向かってゆるやかに下る。800mの等高線を過ぎると段々痩せ尾根になり、踏み跡もしっかりしている。松の大木はこれまでもあったが尾根がはっきりすると同時に松尾根になった。『稲武の地名』ではこの辺りはマコと言い、下の方は松淵の地名がある。麓の4等三角点「西乳母が入り」から北へ直登してくる尾根との分岐には一升瓶など10本くらいが刺さっている。これが地元民が真弓山へ登る尾根の分岐の印であろう。
 ちょっとした鞍部から左右に踏み跡がかすかにあるが使えるかは不明。左の谷も顕著に深く見える。720mの真弓山(真弓城という本もあるが砦だろう)を経て矢竹に無事下山できた。杉、桧の植林山だが高く育っているのでヤブ、下草が生えていないので楽に歩けた。矢竹が近づくと下部は作業道が縦横に開かれていた。建設機械でやるので広くて林道みたいだが車は入れない。エスケープもできないことはないが山家とは鹿除けフェンスがあって出られないから作業道を歩く。
 一段落して安堵する。もう一回冬に御所屋から後山まで通して歩けば良いなと思う。
 御所貝津町の郷土史家M氏からも参考資料(コピー)をいただくことができた。ありがたいことである。Mさんに鹿が増えた話を振った。そしてヤマヒルの話になると最近は増えてきたと言われた。ついに稲武にも鹿が増えたせいでヤマヒルが出てくるようになった。

 ヤマップの記録は
① 4/20・・・伊勢神峠と杣路峠と三等三角点畑ヶ洞を往復

② 5/3・・・夏焼城ヶ山から地蔵峠(飯田街道)へ下山し山麓の塩の道を歩く。下山後に4等三角点「夏焼」を往復

③-1 6/12・・・黒田川右岸に腰かけ岩を発見。旧美濃街道の県道からから笹平へドライブ

③-2 6/12・・・再び愛知/長野県境の尹良社を往復。4等三角点「木地山」の登山口を探すが取り付くシマがない。

④ 6/18・・・小雨の日で九沢を調査。4等三角点、ユキヨシ様の祠を発見。

⑤ 6/25・・・熊野洞から後山を登り、美濃街道の地蔵峠を確認し、ユキヨシ様の祠に周回。ユキヨシ様の祠は6/18に発見してあったのでスムーズに周れた。
下山後に旧浪合村の宮の平にある尹良親王の墓を訪ねた。地形図に印刷された立派なお社だった。

⑥ 8/6・・・720mの真弓山を歩く目的で4等三角点「貝戸」を往復。御所屋の歌碑を発見した。もち洗い岩も発見。当日は夕立ちで急遽下山。