『稲武の地名』から② ― 2022年08月08日
続き。桑原と笹平の九沢にまたがる後山も桑原の後ろの山という意味。稲武は蚕の養蚕が盛んだったらしいのでありうる地名だ。水草の里の地名は628mの東側の谷に「水クサ」とあった。九沢から笹平へ行くとU字形の谷筋一体を指す。
by koyaban [飯田街道] [山の民俗] [愛知県の山] [コメント(0)|トラックバック(0)]
登山と自然を愛して四季の山歩きをしています。その見聞を綴りました。又、登山や自然に関した俳句、写真、書物、人などのことも折々書いていきます。
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「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」
東海銀行山岳部「さすらい」2号(昭和38年)の寄稿から
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