栃山再訪2022年05月24日

 5月21日は山岳会の山岳古道調査事業の一環で尾鷲道の踏査に来た。これで3ヶ所目。これから踏査するが、長いので一回では済まない。名古屋を朝7時出発なので2時間はかかる。海山ICで降りてから水無峠を目指す。
 今日は出発が遅いので栃山で足慣らしだ。2005年出版のJAC100周年記念出版で『新日本山岳誌』(ナカニシヤ出版)にとり上げるために登って以来である。
 ブログの開始は2006年からなので記録はない。以前はなかった登山口の道標があるほかは登山道は不明瞭なままである。その時は冬場なので、葉の茂りはなく左に太平洋が見えたと思うが、今は緑の樹林の中を歩くのみ。山頂もまったく記憶にないので初めての登山と同じ。今日は往路を戻った。時間があれば西へ下り、林道を経由で下山する予定だったが敵わなかった。
 ヤマップには栃山の北に登り40分の新しい赤線が付いたので探ってみたが道の痕跡はなく、ヤブを歩いた人がいるのだろう。これは使えないから水無峠に戻った。
 下山後は本来の尾鷲道だった古和谷の林道の入り口をチエックしたが道標はない。昔の登山者はここから稜線に登り大台ヶ原山を目指した。私も紀勢本線に夜行列車があった頃(昭和59年に名古屋発の夜行は廃止)、ここから登山計画を立てたが、夢想登山に終わった。
 五万図「尾鷲」を比較すると昭和44年測量同49年修正版はまだ破線路で、平成7年修正版とでは地蔵峠付近までの約12km林道が開通していた。破線路の時代は松浦武四郎、今西錦司(初登山―今西錦司初期山岳著作集 単行本 – 1994/4/1)も木津に下山したという。松浦武四郎 木津でググると、林道を忠実に歩いたのではなく、後谷に沿う道だった。NTRCの道標はその案内だったのか。そして海山に出て、馬越峠を経て尾鷲に下ったものもあるし、武四郎は引本港から船で帰った。  平成7年の地図には2002.5.26に登り45分のメモがある。今日は80歳の老女も含めて高齢者グループ7名なので70分かかった。
 古和谷のチエック後はR425を走り、坂下トンネルを通過、尾鷲市の市街地に。交差点右からは新しい尾鷲北ICからのクルマが多い。尾鷲市も高速道路につながる時代が来ている。かつては、亀山、久居、松阪と延伸してきたがR42は時間がかかった。今は180kmと約50km短縮された。4620円の高速料金がもう少し安くならんか。