くびき(軛)とは何か2021年08月31日

「タタールのくびき」について
https://www.y-history.net/appendix/wh0602-056.html

 くびきという言葉は聖書に出てくる。ロシアもキリスト教の国であった。モンゴル人の支配はゆるやかなものだったが、ロシアの独立を認めなかった、という。モンゴル人も西ヨーロッパへ定着し、混血するうちに溶け込んでいった。

ヤフー知恵袋から
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11223224606

 聖書での不信者とは神理を知らずに聖職者を語る者の事で、くびきは自負(プライド)です。つまり自分を縛るもの(制限制約)の事です。
「盲が盲を導く」がこれにあたります。

 代表的なのがパリサイ派です。

 聖書ではそうですが実際はこの世で権力や名声などを求める者全てを指します。(天において最も低き者)

 他人より自分の方が優れているなど自分と他人を比較し、劣ると思う人を蔑み自分より上だと思う相手には媚び諂う、その様な愚者の事を不信者と言います。

 なぜかと言うと神の御前においてすべては平等だからです。
 くびきを外すには愛によってのみです。

 愛によって真に自由となると言う意味が質問の例え話には秘められています。掟では無く戒めです。


ソース:https://blog.goo.ne.jp/kamisanbi/e/eeb7c11e45e9ee7601b123df6331f758

ブログ「朝の光(聖書の言葉)」から

(マタイ11:30)

「わたしのくびきは負いやすく, わたしの荷は軽いからです。」


「くびき」とは,2頭の牛をつなぐための道具です。


イエスの「くびき」とは,神の愛に応える生き方です。

イエスの「くびき」は,わたしたちのからだに合っており,重荷となることはありません。わたし(イエス)のところに来て休みなさい。

(マタイ11:28-30)

「すべて,疲れた人, 重荷を負っている人は, わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく, へりくだっているから, あなたがたもわたしのくびきを負って, わたしから学びなさい。

そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく, わたしの荷は軽いからです。」

わたしたちは,悩みを主にイエス・キリストに話すなら,イエス・キリストが重荷を取ってくださいます。

「告げよ主に」