活性酸素に倒れたか?大島康徳さん死す2021年07月06日

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210705/k10013120281000.html?utm_int=all_side_ranking-access_001
日本ハム元監督 大島康徳さん がんで死去 70歳 通算2204安打
2021年7月5日 16時27分

 プロ野球の中日と日本ハムで強打者として通算2000本安打を達成し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳さんが大腸がんのため、先月30日に亡くなりました。70歳でした。

大島さんは大分県出身。

昭和44年にドラフト3位でピッチャーとして中日に入団しました。

すぐに野手に転向して長打力のある右バッターとして頭角をあらわし、昭和49年と57年にリーグ優勝を経験しました。

そして昭和58年には36本のホームランを打ってタイトルを獲得しました。

昭和63年に日本ハムに移籍してからも主力としてプレーし、平成2年には通算2000本安打を達成して44歳で現役を引退しました。

 26年間の通算成績は2638試合に出場して2204安打、ホームラン382本、1234打点でした。

 引退後は平成12年から3年間、日本ハムの監督を務めたほか、第1回のWBC=ワールド・ベースボール・クラシックでは打撃コーチとして日本の優勝に貢献しました。
大島さんは、自身のブログで4年前に大腸がんのステージ4と診断されて手術を受けたことや肝臓に転移したことを公表し、治療を続けながらNHKの野球解説などを精力的に行っていました。

 先月にはおなかに水がたまる腹水を取り除く治療を受けるために入院し、その後肺への転移を明らかにしていました。
大島さんは大腸がんのため先月30日、東京都内の病院で亡くなりました。

 70歳でした。

大島さんブログ「この命を生ききる」
5日更新された大島さんのブログのタイトルは「この命を生ききる」。

 ことし春ごろに記したことばを大島さんの妻が代筆して投稿されました。

 「この先の人生何かやりたいことがあるか?と真剣に考えてみたけれど特別なことは何も浮かばない(笑) 高校を卒業してプロ野球選手としての人生をスタートし この年になるまで野球一筋、野球人として生きることができた。皆様のおかげです。どうもありがとう。
 そりゃ辛いこともあったけどそれ以上にこの世界にいなければ得ることができなかったであろうファンの方からの声援や感動や喜びをたくさんいただいた。貴重な経験もたくさんさせて頂いた。
 よき先輩、よき後輩 よき仲間、よき家族に恵まれ美味しいものをよく食べて旨い酒をよく呑んで大いに語らい大いに笑い楽しいことやりたいことは片っ端からやってきた。楽しかったなぁ…これ以上何を望む?もう何もないよ。
 幸せな人生だった 命には必ず終わりがある 自分にもいつかその時は訪れる その時が俺の寿命 それが俺に与えられた運命 病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで俺はいつも通りに普通に生きて 自分の人生を、命をしっかり生ききるよ 大島康徳」(全文ママ)

ソフトバンク 王貞治球団会長のコメント
 大島康徳さんが亡くなったことについて、ソフトバンクの王貞治球団会長は「中日ではとても元気のいい選手という印象でした。日本ハムでも明るくて人気がありましたね。第1回WBCのときはヘッド格で打撃コーチを務めてくれました。選手たちとの距離も近く、コミュニケーションをよくとってくれて、選手たちをその気にさせてくれました。ご冥福を心よりお祈りいたします」と球団を通じてコメントしました。

・・・プロ野球やドラゴンズのファンでもないが、昭和25(1950)年生まれの同年代と知れば死因に目が行く。死亡原因の50%ががんというからこれも運命であろう。闘病生活4年で命尽きた。治療などしなければよいのにとも思う。
 
 昭和44(1969)年にプロ入り、という。引退は1994年。25年間をプロ野球選手として活躍、その後も監督などで生涯野球から離れなかった。記事にもあるように本人としては野球三昧の人生で幸せだった。

 しかし、晩年の顔写真を見ると随分老人になったなと思う。はつらつとしたスポーツ選手のイメージには程遠い気がする。これはなぜなんだろう、と考えてみたが、すぐに活性酸素が原因と推察するに至った。スポーツ選手は短命で終わることが多い。大島氏もその例外ではなかった。
 活性酸素とはなにか。
https://www.tyojyu.or.jp/net/index.html
「健康長寿ネット」から

 私たちの体は酸素を利用してエネルギーを作りだしていますが、酸素を利用すると同時に活性酸素は常に体内で生じています。この活性酸素が私たちの細胞を傷つけ、被害をもたらしています。活性酸素は老化、がん、シワ、しみ、糖尿病や脂質異常症、動脈硬化などの生活習慣病の原因となります。

 活性酸素は年齢とともに増えるとも言われていますが、ストレス、食品添加物、タバコ、激しい運動、多量飲酒、紫外線なども活性酸素が増える原因です。活性酸素を増やす因子は身の回りにたくさん存在しています。

 体内で増えた活性酸素を除去していくことが、老化や、がん、生活習慣病などの予防になりますが、活性酸素によって酸化を抑えることを、抗酸化と言い、活性酸素から体を守ることを抗酸化作用と言います。

 抗酸化とは体の中を錆びつかせない(酸化を抑えること)ことですが、活性酸素は体内の酵素によって分解されます。しかし活性酸素の生成量が多いと、無毒化が間に合わずダメージを受けてしまいます。活性酸素の働きを抑えるのは酵素だけでなく、抗酸化物質も活性酸素から体を守ってくれます。

 私たちの体内では活性酸素を無毒化する抗酸化の働きが加齢によって低下していきます。そのため処理しきれなかった活性酸素は体内にたまり、より毒性の強いものへと変わっていきます。
以上

・・・やっぱり激しい運動はかえって命を縮めると理解できる。

酒と人生を謳った李白2021年07月06日

李白の出自
「中国が唐の時代、都の長安は異国の人々が集まる、はなやかな国際都市だった。
青い目をしたペルシアの娘が胡弓をひき、ペルシアの商人が行き来していた。
 唐代の大詩人であり「詩仙」と呼ばれている李白も、こうしたペルシア人、あるいはトルコ人の子孫であったといわれている。李白が生まれたのは、中央アジアにある砕葉だった。この地は。今のキルギス共和国・トクマク市だと考えられているが、昔は中国の辺境、民族の雑居地帯だった。
 だから、李白が異民族の血を受け継ぎ、その目が青かったことは、十分に考えられることだったのだ。あるいは、彼の父が豪商であったことから、異民族の女性に生ませた子どもだったのかもしれない。」

月下独酌 李白
花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢

月下独酌 李白
花間 一壷の酒、
独り酌んで相親しむもの無し。
杯を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲を解せず、
影徒に我が身に随う。
暫く月と影とを伴い、
行楽須(すべか)らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊し、
我舞えば影零乱す。
醒むる時ともに交歓し、
酔うて後は各々分散す。
永く無情の遊を結び、
相期す遥かなる雲漢に。
花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが
相伴してくれる者もいない。

そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった。

だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、
影はひたすら私の身に随うばかりだ。

まあともかくこの春の間、
しばらく月と影と一緒に楽しもう。

私が歌えば月は歩きまわり、
私が舞えば影はゆらめく。

しらふの時は一緒に楽しみ、
酔った後はそれぞれ別れていく。

月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、
遥かな天の川で再会しようと約束するのだ。
以上
・・・酒を謳う漢詩はあるが李白はとくに多かったらしい。