特別展「壬申の乱」を見学・・・岐阜市歴史博物館2021年04月28日

 壬申の乱は、天武天皇元年(672)に天智天皇(626~672)の皇子・大友皇子(648~672)に対し、天智の弟で大友の叔父にあたる大海人皇子(?~686)が兵を挙げた、日本の古代史上最大の戦乱と言われています。
 美濃国を拠点とし、この戦いに勝利した大海人皇子は天武天皇となり、律令制度の整備や中央集権化を推し進めました。
 本展では、考古・歴史資料などから壬申の乱の経緯をたどるとともに、天武天皇のもとで戦った美濃国の豪族たちや、律令制度が整備されていく中での美濃国の様子にも迫ります。

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壬申の乱と東海地域
講師/元岐阜大学教授 早川万年さん
開催日時/4月24日(土)14:00~15:30

・・・というわけで、小雨の中午前中は地道を走ったのですが、意外に車が多くて難儀した。
 歴史は文物で過去を知るものとばかり思っていた頭には割れた皿などの展示品は意外にも発掘物が多くとまどいました。まるで古代遺跡の展示かと思った。
 ざっと見た感想では、女性が天皇の地位にあることはその時代は決して幸福な平和な時代ではないな、と思った。本郷和人『乱と変の日本史』によると、乱は戦争に次いで大きな闘いであり、国全体を揺るがすような大きな闘いを「乱」とし、影響が限定的で規模の小さな戦いを「変」と定義づけています。ただ本郷さんは中世に絞ったので壬申の乱は取り上げていません。
 地政学的な観点では岐阜県美濃の木曽川右岸が歴史の舞台になったのは、古代の伊勢湾の俯瞰図が証明しています。清須市と一宮市は島であり、後は海の底だった。木曽川は犬山辺りからは伊勢湾に流れ込むイメージでした。各務原アルプスの固い地層で木曽川の流れが南へ誘導されて、岐阜で長良川を合わせ、今の大垣市以南は揖斐川と長良木曽の氾濫で成立した沖積平野と思う。当然、古代の都市成立も木曽川右岸が中心になったわけである。

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