白帝城 李白2021年04月02日

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HP「『早発白帝城』李白」から

早発白帝城
早つとに白帝城を発す

朝辞白帝彩雲間
朝あしたに辞す 白帝 彩雲さいうんの間かん

千里江陵一日還
千里の江陵 一日いちにちにして還る

両岸猿声啼不住
両岸の猿声えんせい 啼いて尽きず

軽舟已過万重山
軽舟けいしゅう 已すでに過ぐ 万重ばんちょうの山

李白(りはく…701~762)

唐代を代表する詩人、というより中国文学を代表する詩人。「詩仙」とも称されます。

生涯を漂泊の旅に生き、中国文学史に輝く巨星の一つでありながら不遇の一生を送りました。

上で書いた李白59歳の時の「反逆罪」とは以下のような話です。

李白50代の半ば過ぎ、唐王朝では「安史の乱」という反乱が起きます。この乱の中でかの楊貴妃は殺されてしまうのですが、その後玄宗皇帝は蜀に逃亡し、上の息子を北に下の息子を南にやって反乱軍と戦わせます。その過程で上の息子が周りから推されて即位し「粛宗」となり、下の息子・永王は兄から反逆者の嫌疑を受けてしまいます。

事がここに至る前李白は永王に幕僚として招かれており、これが原因で粛宗に対する反逆者としてとらえられた、という話です。流罪の刑を受けた李白は辺境の地・夜郎(やろう)に向かいますが、すでに60近く、体力気力が衰える年齢で流罪とは…大詩人・李白の人生は決して順調で華やかなものではありませんでした。

こうして白帝城あたりまで来て恩赦の知らせを受けるのです。『早に白帝城を発す』の詩がこの時の詩であれば、まさに喜びが船旅のスピードを後押ししているのがよく分かるのですが、当時李白は59歳、62歳で亡くなる3年前です。余命3年にしてはややエネルギッシュすぎる詩かもしれません。

・・・犬山市の犬山城を白帝城と表現したのは志賀重昂でした。一度実物を見てみたいものです。

李白のことども

李白は中国人ではない?
https://akasakanoomoide.muragon.com/entry/461.html
 李白(701-762)の血筋は漢民族ではないとする説が有力です。トルコ系らしいです。李白の父親李客は西域の行商人だったそうで、一説には隋の時代にトルコに追放された先祖の末裔ではないか、というのがあります。
 李客の客は名前ではなく、よそものという意味です。そうなると胡人つまり異民族が中国に入ってきたという意味合いが強くなります。姓の李も元々のものではありません。そのあたりは明確ではありません。
 科挙の試験は受けていません。実力は十分あったでしょうが家系の問題があったと思われます。後年推薦によって役人になりますが、実態は高等遊民でした。
 李白の号の青蓮居士は青蓮郷の出身だからとするのは誤りです。生まれは中国国外です。青蓮郷は育った場所です。だとすると目の色が青かったからではないでしょうか。李白の白も肌の色のことだと考えれば納得できます。まあ混血だということですね。
 中学のクラスメイトのRくんは中国人でしたが、肌が白く目も青かったです。お父さんは中国文学者でした。
 李白は酒豪でした。中国人は元来酒に強いのかもしれません。ですがもしトルコ系だとすれば尚の事アルコールに強かった可能性は高いです。
 李白の詩に楊貴妃の美しさを牡丹に喩えたものがあり称賛されましたが、後年それがあだとなって追放されました。
 ちなみに楊貴妃はすでにワインを飲んでいたようです。
 李白は酒の席で自分は人を殺したことがあると豪語したそうですが、そこまでいくとちょっと信じがたい話になってきます。
 詳しいことは『李白と杜甫』高島俊男(講談社学術文庫)などを参照してみてください。

李白の眼は碧かったか
http://zatuzatugaga.blog91.fc2.com/blog-entry-339.html
 
 中国が唐の時代、都の長安は異国の人々が集まる、はなやかな国際都市だった。
 青い目をしたペルシアの娘が胡弓をひき、ペルシアの商人が行き来していた。唐代の大詩人であり「詩仙」と呼ばれている李白も、こうしたペルシア人、あるいはトルコ人の子孫であったといわれている。李白が生まれたのは、中央アジアにある砕葉だった。この地は。今のキルギス共和国・トクマク市だと考えられているが、昔は中国の辺境、民族の雑居地帯だった。だから、李白が異民族の血を受け継ぎ、その目が青かったことは、十分に考えられることだったのだ。あるいは、彼の父が豪商であったことから、異民族の女性に生ませた子どもだったのかもしれない。

ウイグル国家(8世紀)
https://www.y-history.net/appendix/wh0302-078.html