草の戸も住替る代ぞひなの家 芭蕉2021年03月03日

芭蕉データベースから
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno011.htm

 月日は百代の過客*にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ*馬の口とらえて老をむかふる物*は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人*も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の 思ひやまず、海浜にさすらへ*、去年の秋江上の破屋*に蜘の古巣をはらひて、や ゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神*の物につきて心をくるはせ、道祖神*のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里*に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて*、住る方は人に譲り、杉風が別墅*に移るに、

 「雛の家」という ように芭蕉が立ち退いた後の芭蕉庵は、女の子のいる家族が移り住んだようだ。この譲受人は兵右衛門という妻子持ちであった。『一葉集』には、「・・・。日比住みける庵を相知れる人に譲りて出でぬ。この人なむ、妻を具し、娘・孫など持てるひとなりければ」と詞書が付けられている。 どうも兵右衛門夫婦は若い人達ではなかったらしい。
 なお、この句は、
草の戸も住み替る世や雛の家
(真蹟短冊)
ともある。こちらが初案であろう。 「世」から「代」へ変更は「世帯」から「時代」への時代の変化を意味しているのであろう。「や」と「ぞ」で句勢がまったく異なってくる。

・・・・春ともなれば旅に出たくなる。旅に出るために住んでいる家も処分した。かつての草庵には女の子がいる親子が住んでいる。今日はひな祭りの日だ。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
日本で一番美しい山は?
ヒント:芙蓉峰の別名があります。

コメント:

トラックバック