宮崎正弘+宮脇淳子『本当は異民族がつくった!虚構国家中国の真実』を読む ― 2021年03月01日
ビジネス社刊。2018.12.12。
内容説明
平気でウソをつく面の皮の厚い人だけが成功する中国人に日本人はどう対抗すべきか。日本国民に告ぐ!これ以上、騙されてはいけない!!
目次(若干編集)
第1章 強盗国家の常識
P33 英雄のいないウイグルのメモ
東トルキスタン共和国は1933年と
1944年 新疆北部(モンゴル系)に二度目に設立
二度目の共和国の指導者が死亡後
1955年に新疆ウイグル自治区成立
ISISに共鳴するイスラム過激派が誕生
新疆南部のオアシス都市の人はカシュガル人とホータン人でまとまりはない。
世界各地のウイグル人の団体は13あるがみんなバラバラ
日本でも喧嘩してる
横の連絡なし
・・・結局ウイグル人の悲劇の原因はウイグル人自身にもある。かれらをまとめる強烈な指導者が現れないことには当面漢民族からの虐待が続く。中国における毛沢東、朝鮮における金日成、ベトナムにおけるホーチミン。すべては若い頃からの教育であろうか。日本ならば小異を捨てて大同に就くことですぐまとまるのだが。ただイスラムが支援しているとのことでこのままで置かれるわけではなさそう。
第2章 漢字支配と歴史捏造の実態
第3章 中国を動かす客家コネクション
第4章 中国は大分裂するのか
第5章 「習王朝」権力闘争の行方
第6章 経済大崩壊の末路
第7章 いやでも中国人と戦う時代
著者等紹介
宮崎正弘[ミヤザキマサヒロ]
1946年石川県金沢生まれ。評論家。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長、貿易会社経営などを経て、1982年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇デビュー。中国ウォッチャーとして知られ、全省にわたり独自の取材活動を続けている
宮脇淳子[ミヤワキジュンコ]
1952年和歌山県生まれ。1976年京都大学卒業、1982年大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1983年から東京外語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員ほかを歴任。博士(学術)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
内容説明
平気でウソをつく面の皮の厚い人だけが成功する中国人に日本人はどう対抗すべきか。日本国民に告ぐ!これ以上、騙されてはいけない!!
目次(若干編集)
第1章 強盗国家の常識
P33 英雄のいないウイグルのメモ
東トルキスタン共和国は1933年と
1944年 新疆北部(モンゴル系)に二度目に設立
二度目の共和国の指導者が死亡後
1955年に新疆ウイグル自治区成立
ISISに共鳴するイスラム過激派が誕生
新疆南部のオアシス都市の人はカシュガル人とホータン人でまとまりはない。
世界各地のウイグル人の団体は13あるがみんなバラバラ
日本でも喧嘩してる
横の連絡なし
・・・結局ウイグル人の悲劇の原因はウイグル人自身にもある。かれらをまとめる強烈な指導者が現れないことには当面漢民族からの虐待が続く。中国における毛沢東、朝鮮における金日成、ベトナムにおけるホーチミン。すべては若い頃からの教育であろうか。日本ならば小異を捨てて大同に就くことですぐまとまるのだが。ただイスラムが支援しているとのことでこのままで置かれるわけではなさそう。
第2章 漢字支配と歴史捏造の実態
第3章 中国を動かす客家コネクション
第4章 中国は大分裂するのか
第5章 「習王朝」権力闘争の行方
第6章 経済大崩壊の末路
第7章 いやでも中国人と戦う時代
著者等紹介
宮崎正弘[ミヤザキマサヒロ]
1946年石川県金沢生まれ。評論家。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長、貿易会社経営などを経て、1982年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇デビュー。中国ウォッチャーとして知られ、全省にわたり独自の取材活動を続けている
宮脇淳子[ミヤワキジュンコ]
1952年和歌山県生まれ。1976年京都大学卒業、1982年大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1983年から東京外語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員ほかを歴任。博士(学術)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
新刊!髙山正之+馬渕睦夫『世界を破壊するものたちの正体 日本の覚醒が「グレート・リセット」の脅威に打ち勝つ 』を買いに行こう ― 2021年03月02日
秘かに浸透するディープ・ステートのプロパガンダにはもう騙されない!
今回アメリカ大統領選挙はディープ・ステートの存在を鮮明に浮かび上がらせた! そして、いまだトランプ陣営を謗り続けるメインストリーム・メディアと、その報道をただトレースするだけで主体性も客観性も見受けられない日本のメディア……。
ディープ・ステートとメインストリーム・メディアの連携は、これからも世界を破壊していくのか? 「グレート・リセット」という名の国際干渉主義に日本は耐えていけるのか? 歴史修正主義とレッテルを貼り、日本をいまだに縛り付けるのは何物か? 陰謀論と決めつけ議論をシャットアウトする勢力の魂胆は? アメリカで起きている異常事態は、この日本でも水面下で侵攻しつつある。フェイクを生み出すメディアの姿を歴史的事実から紐解く髙山正之氏と、メディアが伝えない国際情勢の因果関係を元外交官の視点から分析する馬渕睦夫氏――ふたりが腹蔵なく語り合った、日本人の覚醒の書。
本書「プロローグ(馬渕睦夫氏)」より抜粋
ディープ・ステートの実態が暴かれたた今日、次に取り組むべき課題として歴史修正主義を取り上げました。ディープ・ステートが書いた正統派歴史観に疑問を呈したのが歴史修正主義ですが、「陰謀論」と「歴史修正主義」というレッテルを貼って自らに気の喰わない言論を封殺してきた彼らの悪業を克服することが、本書のテーマである私たちの「覚醒」に繋がるからです。
本書「エピローグ(高山正之氏)」より抜粋
何の国益もない戦争が続き、その間に戦争をやめようとしたケネディは暗殺され、ニクソンは辞任させられた。
そして今回「戦争をやめる」と言ったトランプが異様な大統領選でホワイトハウスを追われた。
米市民はここに至って「もしかして我々の知っている米国政府とは別の組織が米国を操っているのではないか」と怪しみだした。
あのウイリアム・ハーストのように新聞もそっち側と組んで国益とは無関係の戦争を煽っているのではないか。そう考えるとニューヨーク・タイムズやCNNがトランプを終始詰り倒すのか、すっきり理解できる。
日本の新聞はそうしたしがらみはないはずだ。ワシントン駐在の特派員は岡目八目、寧ろ冷静にその辺を評価できるはずだが、本書にもあるように、そうした記事は見えない。
日本は今、極悪非道の支那を面前にしている。反日親中のバイデンはもはや頼れるパートナーではない。
日本の新聞は今こそ健康なジャーナリズム精神を取り戻して、自衛できるようマッカーサー憲法からの脱却とか、まともな世論喚起を考えてもらいたいものだ。
[本書の内容]
プロローグ 馬渕睦夫
第一章 アメリカの現実
第二章 歴史は語り繰り返す
第三章 縛られる日本
第四章 日本が覚醒する日
エピローグ 髙山正之
※グレート・リセットとは?
より良い世界をもたらすために、私たちの社会と経済のあらゆる側面を見直し、刷新すること。
世界情勢の改善に取り組む国際機関である「世界経済フォーラム(WEF)」が、2021年5月に開催するダボス会議のテーマを「グレート・リセット」にすると発表したことから、注目を集めている。ダボス会議は世界経済フォーラムの年次総会であり、世界経済や環境問題など幅広いテーマで討議される内容は、各界から注目されている。
世界経済フォーラムがグレート・リセットの必要性を訴える理由としては、新型コロナウイルスの感染拡大が経済成長、公的債務、雇用、人間の幸福に深刻な影響を及ぼしていること、そして気候変動や格差の拡大といった社会問題が危機的状況にあることが挙げられる。これらの危機からより良い世界を取り戻すためには、その場しのぎの措置ではなく、まったく新しい経済社会システムを構築しなければならないという考えを表明している。
以上
今回アメリカ大統領選挙はディープ・ステートの存在を鮮明に浮かび上がらせた! そして、いまだトランプ陣営を謗り続けるメインストリーム・メディアと、その報道をただトレースするだけで主体性も客観性も見受けられない日本のメディア……。
ディープ・ステートとメインストリーム・メディアの連携は、これからも世界を破壊していくのか? 「グレート・リセット」という名の国際干渉主義に日本は耐えていけるのか? 歴史修正主義とレッテルを貼り、日本をいまだに縛り付けるのは何物か? 陰謀論と決めつけ議論をシャットアウトする勢力の魂胆は? アメリカで起きている異常事態は、この日本でも水面下で侵攻しつつある。フェイクを生み出すメディアの姿を歴史的事実から紐解く髙山正之氏と、メディアが伝えない国際情勢の因果関係を元外交官の視点から分析する馬渕睦夫氏――ふたりが腹蔵なく語り合った、日本人の覚醒の書。
本書「プロローグ(馬渕睦夫氏)」より抜粋
ディープ・ステートの実態が暴かれたた今日、次に取り組むべき課題として歴史修正主義を取り上げました。ディープ・ステートが書いた正統派歴史観に疑問を呈したのが歴史修正主義ですが、「陰謀論」と「歴史修正主義」というレッテルを貼って自らに気の喰わない言論を封殺してきた彼らの悪業を克服することが、本書のテーマである私たちの「覚醒」に繋がるからです。
本書「エピローグ(高山正之氏)」より抜粋
何の国益もない戦争が続き、その間に戦争をやめようとしたケネディは暗殺され、ニクソンは辞任させられた。
そして今回「戦争をやめる」と言ったトランプが異様な大統領選でホワイトハウスを追われた。
米市民はここに至って「もしかして我々の知っている米国政府とは別の組織が米国を操っているのではないか」と怪しみだした。
あのウイリアム・ハーストのように新聞もそっち側と組んで国益とは無関係の戦争を煽っているのではないか。そう考えるとニューヨーク・タイムズやCNNがトランプを終始詰り倒すのか、すっきり理解できる。
日本の新聞はそうしたしがらみはないはずだ。ワシントン駐在の特派員は岡目八目、寧ろ冷静にその辺を評価できるはずだが、本書にもあるように、そうした記事は見えない。
日本は今、極悪非道の支那を面前にしている。反日親中のバイデンはもはや頼れるパートナーではない。
日本の新聞は今こそ健康なジャーナリズム精神を取り戻して、自衛できるようマッカーサー憲法からの脱却とか、まともな世論喚起を考えてもらいたいものだ。
[本書の内容]
プロローグ 馬渕睦夫
第一章 アメリカの現実
第二章 歴史は語り繰り返す
第三章 縛られる日本
第四章 日本が覚醒する日
エピローグ 髙山正之
※グレート・リセットとは?
より良い世界をもたらすために、私たちの社会と経済のあらゆる側面を見直し、刷新すること。
世界情勢の改善に取り組む国際機関である「世界経済フォーラム(WEF)」が、2021年5月に開催するダボス会議のテーマを「グレート・リセット」にすると発表したことから、注目を集めている。ダボス会議は世界経済フォーラムの年次総会であり、世界経済や環境問題など幅広いテーマで討議される内容は、各界から注目されている。
世界経済フォーラムがグレート・リセットの必要性を訴える理由としては、新型コロナウイルスの感染拡大が経済成長、公的債務、雇用、人間の幸福に深刻な影響を及ぼしていること、そして気候変動や格差の拡大といった社会問題が危機的状況にあることが挙げられる。これらの危機からより良い世界を取り戻すためには、その場しのぎの措置ではなく、まったく新しい経済社会システムを構築しなければならないという考えを表明している。
以上
草の戸も住替る代ぞひなの家 芭蕉 ― 2021年03月03日
芭蕉データベースから
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno011.htm
月日は百代の過客*にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ*馬の口とらえて老をむかふる物*は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人*も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の 思ひやまず、海浜にさすらへ*、去年の秋江上の破屋*に蜘の古巣をはらひて、や ゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神*の物につきて心をくるはせ、道祖神*のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里*に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて*、住る方は人に譲り、杉風が別墅*に移るに、
「雛の家」という ように芭蕉が立ち退いた後の芭蕉庵は、女の子のいる家族が移り住んだようだ。この譲受人は兵右衛門という妻子持ちであった。『一葉集』には、「・・・。日比住みける庵を相知れる人に譲りて出でぬ。この人なむ、妻を具し、娘・孫など持てるひとなりければ」と詞書が付けられている。 どうも兵右衛門夫婦は若い人達ではなかったらしい。
なお、この句は、
草の戸も住み替る世や雛の家
(真蹟短冊)
ともある。こちらが初案であろう。 「世」から「代」へ変更は「世帯」から「時代」への時代の変化を意味しているのであろう。「や」と「ぞ」で句勢がまったく異なってくる。
・・・・春ともなれば旅に出たくなる。旅に出るために住んでいる家も処分した。かつての草庵には女の子がいる親子が住んでいる。今日はひな祭りの日だ。
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno011.htm
月日は百代の過客*にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ*馬の口とらえて老をむかふる物*は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人*も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の 思ひやまず、海浜にさすらへ*、去年の秋江上の破屋*に蜘の古巣をはらひて、や ゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神*の物につきて心をくるはせ、道祖神*のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里*に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて*、住る方は人に譲り、杉風が別墅*に移るに、
「雛の家」という ように芭蕉が立ち退いた後の芭蕉庵は、女の子のいる家族が移り住んだようだ。この譲受人は兵右衛門という妻子持ちであった。『一葉集』には、「・・・。日比住みける庵を相知れる人に譲りて出でぬ。この人なむ、妻を具し、娘・孫など持てるひとなりければ」と詞書が付けられている。 どうも兵右衛門夫婦は若い人達ではなかったらしい。
なお、この句は、
草の戸も住み替る世や雛の家
(真蹟短冊)
ともある。こちらが初案であろう。 「世」から「代」へ変更は「世帯」から「時代」への時代の変化を意味しているのであろう。「や」と「ぞ」で句勢がまったく異なってくる。
・・・・春ともなれば旅に出たくなる。旅に出るために住んでいる家も処分した。かつての草庵には女の子がいる親子が住んでいる。今日はひな祭りの日だ。
いきいきと 三月生る 雲の奥 飯田龍太 ― 2021年03月04日
確か、朝日新聞の大岡信のコラムで知った記憶がある。一読して大らかな把握、伸び伸びした表現に感心したものだった。
未だコロナ禍は終息はせず、警戒しながらも生活する。ただしワクチンの国民的投与が始まる。今は準備中である。国民の多数が接種すれば沈下していくだろう。特に不特定多数の人に接する仕事の人は必須である。
コロナ禍が終息の目途がついたら山に行くもよし。旅にも出かけたい。旅先で雲の動きを眺めて解放感に浸るが良い。
未だコロナ禍は終息はせず、警戒しながらも生活する。ただしワクチンの国民的投与が始まる。今は準備中である。国民の多数が接種すれば沈下していくだろう。特に不特定多数の人に接する仕事の人は必須である。
コロナ禍が終息の目途がついたら山に行くもよし。旅にも出かけたい。旅先で雲の動きを眺めて解放感に浸るが良い。
ビタミンCの話 ― 2021年03月05日
こんな動画が見つかった。
「ビタミンCは大量に摂る!ビタミンC健康法。ビタミンCの基礎を知ろう!抗がん作用、抗菌作用、抗酸化作用、そしてホルモンとの関わり。【栄養チャンネル信長】」
ビタミンC(アスコルビン酸)の威力 ― 2019-12-04
https://www.asablo.jp/app?cmd=preview&target_fqdn=koyaban.asablo.jp&target_path=/blog/2019/12/04/9185207
「ビタミンCは大量に摂る!ビタミンC健康法。ビタミンCの基礎を知ろう!抗がん作用、抗菌作用、抗酸化作用、そしてホルモンとの関わり。【栄養チャンネル信長】」
ビタミンC(アスコルビン酸)の威力 ― 2019-12-04
https://www.asablo.jp/app?cmd=preview&target_fqdn=koyaban.asablo.jp&target_path=/blog/2019/12/04/9185207
春の鳶 寄りわかれては 高みつつ 飯田龍太 ― 2021年03月06日
鳶が二羽、春の空に舞う。寄り合ったかと見ると、たちまち別れ、次第に空の高みへと、せり上がってゆく。まるで何かに押しあげられるように上昇気流に乗って。春を迎えて求愛の飛翔だろうか。
この句の中七以下を細かく区切ってみると、「寄り」「わかれては」「高み」「つつ」のようになるが、いずれも鳶の刻々の動きを言葉で具象化してゆく表現。作者がいかに対象の動きを細かく文節化する才能に恵まれているかが判る。
そして、その細分化された対象の動きを一気に力強い詠み方で合体させるとき、句全体はきびきびした律動を与えられる。昭和28年刊『百戸の谿』所収。
飯田龍太は2007年二月下旬に亡くなった。飯田龍太は飯田蛇笏の4男として誕生。「雲母」主宰を勤めるが、もう十数年も前に自分の結社も解散した。潔いと言えよう。日本芸術院会員。
以上
ブログhttp://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-1207.html?sp
から転載。
・・・まるで動画を見ているようなゆるやかな動きのある俳句でした。
この句の中七以下を細かく区切ってみると、「寄り」「わかれては」「高み」「つつ」のようになるが、いずれも鳶の刻々の動きを言葉で具象化してゆく表現。作者がいかに対象の動きを細かく文節化する才能に恵まれているかが判る。
そして、その細分化された対象の動きを一気に力強い詠み方で合体させるとき、句全体はきびきびした律動を与えられる。昭和28年刊『百戸の谿』所収。
飯田龍太は2007年二月下旬に亡くなった。飯田龍太は飯田蛇笏の4男として誕生。「雲母」主宰を勤めるが、もう十数年も前に自分の結社も解散した。潔いと言えよう。日本芸術院会員。
以上
ブログhttp://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-1207.html?sp
から転載。
・・・まるで動画を見ているようなゆるやかな動きのある俳句でした。
タクラマカン砂漠大紀行 ~消えゆく大河を追う~ ― 2021年03月07日
タクラマカン砂漠の乾燥地帯でウイグル族の生活を伝える動画です。ウイグル族は遊牧民であり、通商に生きていることがリアルに分かります。中国人(漢人)は農耕民族ですから大地に傷をつけて農耕し収穫物を得ます。そのことが乾燥地化を促すのでしょう。
モンゴル人は農耕をしないと言います。草原は一度引っ搔いたら砂漠化することを知っている。しかし、ウイグルは漢人が入り込むことにより開拓が試みられてきたが失敗に終わった。結果、元の自然を復元することに切り替えたと言います。
https://www.youtube.com/watch?v=ZZLMnUWES9I
動画「タクラマカン砂漠を生きる」
https://ganref.jp/m/tabeyuki/portfolios/photo_detail/3033301
やはり、古代は緑豊かな土地だった。胡楊の森があったが徹底して利用した結果、砂漠化したとナレーションが語る。
胡楊 コヨウ
千年枯れず、千年倒れず、千年朽ちず
砂漠を旅するものに水を与え、タクラマカン砂漠を象徴する木です。
根本は砂が絡み付いて小山のようになります。
コラム
「緑化植物 ど・こ・ま・で・き・わ・め・る」
胡楊(コトカケヤナギ:Populus euphratica Olivier)
山中 典和(鳥取大学乾燥地研究センター)
中国のタクラマカン砂漠。その東の端、ロプノール湖のほとりにかつてシルクロードの要所として栄えた楼蘭王国がある。現在は砂に埋もれた遺跡であるが、幾多の発掘の結果、砂漠の都市にもかかわらず、建築材として夥しい木材が使われていることが明らかになっている。この砂漠の王国を支えた樹木がシルクロードを代表する樹木である胡楊である。
タクラマカン砂漠ではタリム河沿いに胡楊の大森林がみられるが、タクラマカン砂漠を取り巻くシルクロード沿いを走っても所々、河の伏流水がみられる場所を中心として胡楊の群落がみられる。砂漠での胡楊は地下水位に敏感であり、河の流路変化や地下水位が低下することにより、簡単に枯死する。シルクロード沿いにはこの様にして枯死した胡楊の群落も多くみることができる(写真参照)。
胡楊はヤナギ科の落葉高木であり、いわゆるポプラの仲間である。和名としてコトカケヤナギという名があるが1)、シルクロードを取り扱った日本の書物では中国名の「胡楊」をそのまま用いている場合が多い。テレビなどでも中国名を日本語読みにした「コヨウまたはコヨウジュ」と呼ばれることが多く、この名前の方が一般には浸透しているかもしれない。
ここでは学名を示した上で中国名の「胡楊」を使うこととする。胡楊の樹高は通常 10-18mであるが、中には 20mに達するものも存在し、直径も大きいもので1mを越す。雌雄異株で、4 月下旬-5月に開花し、6 月下旬-8 月下旬に結実する。
ヤナギ科植物は開花から結実までの時間の短い種がほとんどである中で、胡楊は最長の部類に入る。最も特徴的な性質は葉の形態であり、細長い被針形のものから卵円形で歯牙状の鋸歯を持つものまで、種内で葉形態が大きく変化する(写真参照)。
さらに1本の木の中にも複数の異なる形態の葉が認められる。このことから P. diversifolia(多様な葉を持つポプラ)という学名も使われる。一般に幼植物は被針形の葉を着けることが多い。成熟した樹木では樹冠上部に鋸歯をもつ卵円形の葉をつけ、樹冠の下部では三角形状の葉や被針形の葉がみられる2)。葉の形態の違いに伴いその生理的特性も異なることが知られている3)。
胡楊の分布は、中国国内では新彊ウイグル自治区 が主要な自生地であるが、甘粛、内蒙古、さらには寧夏、青海、山西、陕西、河北にもわずかにみられるとされる。中国以外では、中央アジアから、コーカサス、アフガニスタン、パキスタン、インド、イラン、シリアを通り、エジプトに至る。さらには遠くスペインやモロッコまで分布するとされる2)。
乾燥した大陸性気候下で、陽光を好む。生育適地は湿潤で塩分の少ない土地であるが、熱や大気の乾燥、塩、強風にもよく耐える。太い幹の中には多量の水分が含まれており、年齢を調べるために生長錐を幹に入れると、穴から水が噴き出す。これが「胡楊の泪」と呼ばれる現象である。寿命は 150年以上と考えられ、タリム河流域で測定された直径 101.5cmの胡楊で 233 年という値が記録されている2)。木材は建築材、
橋、家具材等に利用され、良好な製紙原料ともなる。
しかし、現在では禁伐となっており、枯死した枝等が燃料用に利用さ
れる程度である。胡楊から採れるʻ胡楊碱ʼは良質の塩で、食用の他、工業用、薬用にも広く使われる。緑化樹種としてもよく利用され2)、タクラマカン砂漠のオアシスでは綿畑などの防風林として胡楊が使われている。
種子は散布後、すぐに発芽する。その反面、発芽力を失うのも早く、4週間もすると大部分の種子はだめになる。乾燥剤等を利用しうまく貯蔵すると1年程度発芽力を保たせることもできる。苗の成長は速く、6月中下旬に播種すると好適条件下で生育期の終わりには 60-80cmに達する。根萌芽に因っても繁殖し、親木の周りに数十本の苗木が見られることもある。挿し木も可能である。
よみがえる緑のシルクロード (岩波ジュニア新書) 新書 – 2006/5/25
アマゾンの広告から
楼蘭に近い砂漠から、約四千年眠りつづけたミイラが多数発掘された。枕元の草かごのなかには小麦の種子が入っていた。それを分析すると驚くべきことが…。その昔、そこにはどんな人たちがどんな暮らしをしていたのか。ヘディンらの踏査を振り返り、木の墓標や副葬品などを手がかりに、ユーラシアの環境変遷を大胆に推理する。
アマゾンのレビューから
「前半では、墓地遺跡の発掘から、かつてシルクロードが「緑」であったことを示そうとしている。棺の木材、副葬品の小麦の種子、棺を覆う牛の皮などを取り上げ、それらから推測される2000〜5000年前のシルクロードの姿が描かれるのだ。
後半は、穀物のDNA解析から何が分かるか。それから、農業の環境に与える影響が論じられる。農業が環境を破壊しているのは紛れもない事実で、かなりショッキングな話だった。」
モンゴル人は農耕をしないと言います。草原は一度引っ搔いたら砂漠化することを知っている。しかし、ウイグルは漢人が入り込むことにより開拓が試みられてきたが失敗に終わった。結果、元の自然を復元することに切り替えたと言います。
https://www.youtube.com/watch?v=ZZLMnUWES9I
動画「タクラマカン砂漠を生きる」
https://ganref.jp/m/tabeyuki/portfolios/photo_detail/3033301
やはり、古代は緑豊かな土地だった。胡楊の森があったが徹底して利用した結果、砂漠化したとナレーションが語る。
胡楊 コヨウ
千年枯れず、千年倒れず、千年朽ちず
砂漠を旅するものに水を与え、タクラマカン砂漠を象徴する木です。
根本は砂が絡み付いて小山のようになります。
コラム
「緑化植物 ど・こ・ま・で・き・わ・め・る」
胡楊(コトカケヤナギ:Populus euphratica Olivier)
山中 典和(鳥取大学乾燥地研究センター)
中国のタクラマカン砂漠。その東の端、ロプノール湖のほとりにかつてシルクロードの要所として栄えた楼蘭王国がある。現在は砂に埋もれた遺跡であるが、幾多の発掘の結果、砂漠の都市にもかかわらず、建築材として夥しい木材が使われていることが明らかになっている。この砂漠の王国を支えた樹木がシルクロードを代表する樹木である胡楊である。
タクラマカン砂漠ではタリム河沿いに胡楊の大森林がみられるが、タクラマカン砂漠を取り巻くシルクロード沿いを走っても所々、河の伏流水がみられる場所を中心として胡楊の群落がみられる。砂漠での胡楊は地下水位に敏感であり、河の流路変化や地下水位が低下することにより、簡単に枯死する。シルクロード沿いにはこの様にして枯死した胡楊の群落も多くみることができる(写真参照)。
胡楊はヤナギ科の落葉高木であり、いわゆるポプラの仲間である。和名としてコトカケヤナギという名があるが1)、シルクロードを取り扱った日本の書物では中国名の「胡楊」をそのまま用いている場合が多い。テレビなどでも中国名を日本語読みにした「コヨウまたはコヨウジュ」と呼ばれることが多く、この名前の方が一般には浸透しているかもしれない。
ここでは学名を示した上で中国名の「胡楊」を使うこととする。胡楊の樹高は通常 10-18mであるが、中には 20mに達するものも存在し、直径も大きいもので1mを越す。雌雄異株で、4 月下旬-5月に開花し、6 月下旬-8 月下旬に結実する。
ヤナギ科植物は開花から結実までの時間の短い種がほとんどである中で、胡楊は最長の部類に入る。最も特徴的な性質は葉の形態であり、細長い被針形のものから卵円形で歯牙状の鋸歯を持つものまで、種内で葉形態が大きく変化する(写真参照)。
さらに1本の木の中にも複数の異なる形態の葉が認められる。このことから P. diversifolia(多様な葉を持つポプラ)という学名も使われる。一般に幼植物は被針形の葉を着けることが多い。成熟した樹木では樹冠上部に鋸歯をもつ卵円形の葉をつけ、樹冠の下部では三角形状の葉や被針形の葉がみられる2)。葉の形態の違いに伴いその生理的特性も異なることが知られている3)。
胡楊の分布は、中国国内では新彊ウイグル自治区 が主要な自生地であるが、甘粛、内蒙古、さらには寧夏、青海、山西、陕西、河北にもわずかにみられるとされる。中国以外では、中央アジアから、コーカサス、アフガニスタン、パキスタン、インド、イラン、シリアを通り、エジプトに至る。さらには遠くスペインやモロッコまで分布するとされる2)。
乾燥した大陸性気候下で、陽光を好む。生育適地は湿潤で塩分の少ない土地であるが、熱や大気の乾燥、塩、強風にもよく耐える。太い幹の中には多量の水分が含まれており、年齢を調べるために生長錐を幹に入れると、穴から水が噴き出す。これが「胡楊の泪」と呼ばれる現象である。寿命は 150年以上と考えられ、タリム河流域で測定された直径 101.5cmの胡楊で 233 年という値が記録されている2)。木材は建築材、
橋、家具材等に利用され、良好な製紙原料ともなる。
しかし、現在では禁伐となっており、枯死した枝等が燃料用に利用さ
れる程度である。胡楊から採れるʻ胡楊碱ʼは良質の塩で、食用の他、工業用、薬用にも広く使われる。緑化樹種としてもよく利用され2)、タクラマカン砂漠のオアシスでは綿畑などの防風林として胡楊が使われている。
種子は散布後、すぐに発芽する。その反面、発芽力を失うのも早く、4週間もすると大部分の種子はだめになる。乾燥剤等を利用しうまく貯蔵すると1年程度発芽力を保たせることもできる。苗の成長は速く、6月中下旬に播種すると好適条件下で生育期の終わりには 60-80cmに達する。根萌芽に因っても繁殖し、親木の周りに数十本の苗木が見られることもある。挿し木も可能である。
よみがえる緑のシルクロード (岩波ジュニア新書) 新書 – 2006/5/25
アマゾンの広告から
楼蘭に近い砂漠から、約四千年眠りつづけたミイラが多数発掘された。枕元の草かごのなかには小麦の種子が入っていた。それを分析すると驚くべきことが…。その昔、そこにはどんな人たちがどんな暮らしをしていたのか。ヘディンらの踏査を振り返り、木の墓標や副葬品などを手がかりに、ユーラシアの環境変遷を大胆に推理する。
アマゾンのレビューから
「前半では、墓地遺跡の発掘から、かつてシルクロードが「緑」であったことを示そうとしている。棺の木材、副葬品の小麦の種子、棺を覆う牛の皮などを取り上げ、それらから推測される2000〜5000年前のシルクロードの姿が描かれるのだ。
後半は、穀物のDNA解析から何が分かるか。それから、農業の環境に与える影響が論じられる。農業が環境を破壊しているのは紛れもない事実で、かなりショッキングな話だった。」
司馬遼太郎『モンゴル紀行』の中のウイグル ― 2021年03月08日
朝日文庫の街道をゆくシリーズの5巻目。
1972年9月の日中国交正常化で、モンゴルへの旅も正常化したのだろうか。大学ではモンゴル語を学んだという異色の作家ならではの紀行文である。
ウィキペディアには
「 旅のコース
新潟空港(新潟で1泊) → ハバロフスク(ヴォストークホテルで1泊) → イルクーツク(1泊) → ウランバートル(ウランバートルホテルで1泊) → 南ゴビ(数泊)
少年のころから北方の非漢民族の興亡の歴史や広大なユーラシア大陸に広がる大草原、シルクロードなどに憧れとロマンを抱いていた司馬は文壇デビュー前に、『ペルシャの幻術師』や『戈壁の匈奴』(戈壁:ゴビはモンゴル語で「草の育ちの悪い砂礫地」の意)といった短編を書いていた。
日本とモンゴルが国交を回復した翌年に、三十年来憧れてきた地に、「お伽の国にゆく感じ」で向かうことになった。
同行者はみどり夫人、挿絵の須田剋太、司馬の恩師でありモンゴル語の権威の棈松源一。
モンゴルでは案内役のツェベックマが登場する。なお司馬は後に『草原の記』(新潮社のち新潮文庫)で彼女の生涯を描いた。
行きの飛行機で司馬が学徒出陣で戦車十九連隊にいたとき同じだった難波康訓に出会う(当時帝人輸出部長。イルクーツクで司馬一行の窮状を救うことになる)。」とあり、モンゴルとも国交を正常化したのだ。
多岐にわたる紀行の中で「匈奴」の一節を読む。
・中国の周辺国家というのは、ことごとくといっていよいほど中華の風を慕い、中国文明を取り入れた。朝鮮とベトナムにおいてもっとも濃厚で、日本もその例外ではない。
もっともひどいのは、東胡系(ツングース)の半農半牧の異民族で、かれらは五胡十六国の時代以来、中国内部に侵入して国を樹でることしばしばで、ときに金帝国のように強大なものも樹て、最後には清朝のようなものまでも作ったが、そのすべてが中国文明に同化し、その固有の俗をすてたばかりでなく民族そのものまでが大陸のるつぼの中で溶け果ててしまった。
・ところがモンゴル人のみが例外なのである。彼らは古来中国文明を全くと言っていいほどに受け付けず、むろん姓をつける真似もせず、また衣服その他風俗を変えず、言語の面でも多少の借用語があっても、その数は極めて少ない。彼らは大陸内部においてを元帝国をつくったが
、その時も中国文明を拒絶した。元帝国がほろぶと温暖の中国に愛着を持たず、さっさと集団で朔北の地に帰った。ふしぎな民族というほかない。
・が、モンゴル人から見れば、元来、農耕を卑しむために、特に元時代は農耕民である漢民族を賤奴のようにあつかった。むしろ商売をするウイグル人やイラン人あるいはアラビア人を漢民族より上等の民族として上の階層に置いた。
・・・ウイグル人も羊とともに移動する遊牧民であるが、乾燥地帯に位置するために草原が少なく、流砂のために川の流れも変わるという不毛地帯だった。モンゴル人は交易はなく、草原に生きることに知恵を絞ってきた。位置的に北と東はシベリア、南は中国なので通商の道は発達しなかった。今は大国のはざまで息をひそめて生きてるような印象である。ウイグル人は青い瞳の西欧系の人種であり、イスラム教であることからも漢民族とは合わないだろう。
ため息が出るような中央アジアの現在と昔ではある。
1972年9月の日中国交正常化で、モンゴルへの旅も正常化したのだろうか。大学ではモンゴル語を学んだという異色の作家ならではの紀行文である。
ウィキペディアには
「 旅のコース
新潟空港(新潟で1泊) → ハバロフスク(ヴォストークホテルで1泊) → イルクーツク(1泊) → ウランバートル(ウランバートルホテルで1泊) → 南ゴビ(数泊)
少年のころから北方の非漢民族の興亡の歴史や広大なユーラシア大陸に広がる大草原、シルクロードなどに憧れとロマンを抱いていた司馬は文壇デビュー前に、『ペルシャの幻術師』や『戈壁の匈奴』(戈壁:ゴビはモンゴル語で「草の育ちの悪い砂礫地」の意)といった短編を書いていた。
日本とモンゴルが国交を回復した翌年に、三十年来憧れてきた地に、「お伽の国にゆく感じ」で向かうことになった。
同行者はみどり夫人、挿絵の須田剋太、司馬の恩師でありモンゴル語の権威の棈松源一。
モンゴルでは案内役のツェベックマが登場する。なお司馬は後に『草原の記』(新潮社のち新潮文庫)で彼女の生涯を描いた。
行きの飛行機で司馬が学徒出陣で戦車十九連隊にいたとき同じだった難波康訓に出会う(当時帝人輸出部長。イルクーツクで司馬一行の窮状を救うことになる)。」とあり、モンゴルとも国交を正常化したのだ。
多岐にわたる紀行の中で「匈奴」の一節を読む。
・中国の周辺国家というのは、ことごとくといっていよいほど中華の風を慕い、中国文明を取り入れた。朝鮮とベトナムにおいてもっとも濃厚で、日本もその例外ではない。
もっともひどいのは、東胡系(ツングース)の半農半牧の異民族で、かれらは五胡十六国の時代以来、中国内部に侵入して国を樹でることしばしばで、ときに金帝国のように強大なものも樹て、最後には清朝のようなものまでも作ったが、そのすべてが中国文明に同化し、その固有の俗をすてたばかりでなく民族そのものまでが大陸のるつぼの中で溶け果ててしまった。
・ところがモンゴル人のみが例外なのである。彼らは古来中国文明を全くと言っていいほどに受け付けず、むろん姓をつける真似もせず、また衣服その他風俗を変えず、言語の面でも多少の借用語があっても、その数は極めて少ない。彼らは大陸内部においてを元帝国をつくったが
、その時も中国文明を拒絶した。元帝国がほろぶと温暖の中国に愛着を持たず、さっさと集団で朔北の地に帰った。ふしぎな民族というほかない。
・が、モンゴル人から見れば、元来、農耕を卑しむために、特に元時代は農耕民である漢民族を賤奴のようにあつかった。むしろ商売をするウイグル人やイラン人あるいはアラビア人を漢民族より上等の民族として上の階層に置いた。
・・・ウイグル人も羊とともに移動する遊牧民であるが、乾燥地帯に位置するために草原が少なく、流砂のために川の流れも変わるという不毛地帯だった。モンゴル人は交易はなく、草原に生きることに知恵を絞ってきた。位置的に北と東はシベリア、南は中国なので通商の道は発達しなかった。今は大国のはざまで息をひそめて生きてるような印象である。ウイグル人は青い瞳の西欧系の人種であり、イスラム教であることからも漢民族とは合わないだろう。
ため息が出るような中央アジアの現在と昔ではある。
リアル会合2件こなす ― 2021年03月09日
朝7時半から2ヶ月ぶりに同窓会の朝食会に出席。忘年会も新年会も中止なのでリアルな会合は嬉しい。もう一つは17時半から山岳会の編集会議をこなした。これも面と向かってれこれ話し合う。話題があっちこっちへと飛ぶも楽しいものである。要する積もる話があるのだった。
堀端を歩く愉しさ柳の芽 ― 2021年03月10日
立木一成句集『渋柿』(自費出版)から
・・・名古屋城の堀端である。名古屋キャッスルホテルの前の堀端には枝垂れ柳が植えてあった。柳の芽吹き時にそこいらを歩くことで春の息吹きも感じている。
・・・名古屋城の堀端である。名古屋キャッスルホテルの前の堀端には枝垂れ柳が植えてあった。柳の芽吹き時にそこいらを歩くことで春の息吹きも感じている。
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